高野三山、女人道 (Feb.8, 2004)




 新年会登山のときだつた。わが娘のやうにかわゆい春風亭が、
 「高野三山行きたーい、女人道も歩きたーい」
 「そっかそっか、よしよし」
 なあんてことで、参加希望の皆さんと日程を調整。
 前日の土曜は平地でもどんよりと曇り、雪がまいまいこんこんだつたけれど、さいわい当日は晴れてくれた。

 難波で7時の高野山行き急行に乗った百さんと、どんさんとは金剛ですぐ会った。肝心の春風亭が見当たらないと言う。
 あらあら。どないしたんやろ。電話をかけると呼び出し音のあと留守電に変わった。
 「あれ? 休むとも連絡もらってませんよね?」
 milionさん、hiroさんも見かけないと言う。
 電話してみましょか? もしもし? 出られたのは女性だった。
 「hiroさん?」
 「いえ、違いますけど」
 あらら。間違い電話だ。

 河内長野に着くと、カズさんが乗り込む。よおよお。例によって片方だけのスパッツである。
 林間田園都市で、のんぶーとRINちゃんが乗り込む。道路の凍結が心配だったけれど、二人とも無事によく来てくれた。
 カズさんは車内の探検に。
 電話番号を確認し、再びmilionさんに電話。
 「もしもし」
 おっとりした声が聞こえた。
 「hiroも春風さんもおるよ」
 「OK、OK」

 極楽橋でケーブルに乗り換え、バスで女人堂へ。
 雪は存外少なかったが、雪の下は凍っていた。とりあえずアイゼンなしで歩こう。

09:10 まず弁天岳へ。
 山頂でセーターを脱ぐ。
09:50 大門。好天に大門がそそり立つ。そばの温度計では−3.5℃。風がないせいか比較的暖かく感じられた。

 町石道を登りきると正面に大門がバンと聳える。女人道はその大門をくぐらずに右へそれる。
 相の浦口で一本。
 のんぶーさんが、羊羹二種を差し入れ。天和山のとき自家製のケーキをいただいた。この羊羹も自家製ではなかったか。
 春風亭に赤壁のことを聞く。
 946mの女人道のピークを過ぎ、大滝口へ下り、円通寺の前を過ぎる。この円通寺は修行のお寺で山門内へは入れない。雪の中、厳かな感じだ。
 再び山道に入り、山中の女人堂跡。
11:50
 大滝口へ下り、すぐそばの奥の院バス停へ。
 お昼はもう少し歩いてからにしましょう。
 参道のいろんなお墓を眺めながら玉川橋を渡り、奥の院を左に見つつ摩尼山へ向かう。
 山道に入って日当たりのいいところで昼食。
 RINちゃんからカマンベールチーズを。

 昼食後、いよいよ摩尼山への登りだ。
 この頃からやや遅れ気味になる。
 熱こそなかったものの若干風邪気味のせいだったか。
 摩尼峠を過ぎると木立を通して右に大峰山系が白く見えた。

13:20 摩尼山山頂
14:00 楊柳山山頂
 この摩尼山から楊柳山、楊柳山からの下りはさすがに滑りやすかったが、結局、全員アイゼンを履かないまま歩きとおしてしまった。

 緩やかに長く下り、下り切ったところで一本。
 のんぶーさんが、
 「風邪薬あるよ〜。生姜湯作ってあげる」
 
 すぐ右が転軸山への登山口。ほどなく山頂である。
 摩尼山1004m、楊柳山1008.5m、転軸山915m、弁天岳も984.5mだが、それぞれの登山口からの高低差はそれほどでもない。高野山と言う巨大な塊のほんの少し突き出た山頂部なのだろう。
 転軸山から奥の院の裏へ出る道もあるが、今回は地図どおりに多目的広場の方へ下り、中の橋霊園の横を過ぎ、霊園前のスキー場の賑わいを眺めながら再び奥の院への参道へ出る。
 せっかくだからと奥の院にお参り。
 呉越同舟の戦国武将のお墓、親鸞のお墓もあった。
 ここでは弘法大師を除けば、誰もがone of themなのだ。
 私自身は、日本における真の宗教家とは親鸞を措いて他にないと思っているけれど、空海にはスケールの大きさを感じる。
 

16:10 奥の院バス停。
 7時間。なんだかんだ言いながらしっかり歩いたよね。


どんかっちょさん:雪の高野山女人道ハイク

milionさん:冬の女人道、高野山