仙丈岳―仙塩尾根―北岳 (Jul.17-19, 2004)


 発案・計画はRINちゃん。僕はすぐ乗ったけれども、気心が知れて妹のような存在であるにしても二人だけとなると各方面から顰蹙を買う。そうこうするうちに洋行帰りのモーゼ森の音さんが手を上げた。
 かくして、RINちゃん、森の音さん、郭の三人で、北沢峠から仙丈岳、仙塩尾根を経て三峰岳、間ノ岳、北岳。北岳から広河原へと二泊三日で歩くことになった。

7月16日(金)
 天候が心配だったので、朝、RINちゃん、森の音さんに電話すると二人とも行く気満々である。
 森の音さん
 「なあに、大丈夫、大丈夫。晴れるって」

 20時40分すぎに自宅を出て、四日市のコンビニに22時20分。ガソリンを入れて22時40分出発。
 伊那インターを下り、RINちゃんのナビで戸台のバス停に着いたのが02時10分。上の駐車場は満杯。河川敷の駐車場に下り、車内で仮眠。

7月17日(土)
 05時過ぎに起床。雲はややあったものの鋸岳がきれいに見えるほど空は高く、まずまずの天気である。
 おにぎりを無理やりほお張り、寝不足のややだるい体でバス乗り場へ向かい長蛇の列の一員となる。
 バスは定刻の06:35に来るが、とうてい一台ではさばききれず僕たちは三台目に乗ることができた。重いザックをひざに乗せて北沢峠まで約一時間。運転手さんがガイドを兼ねていて随所随所で説明をしてくれる。
 「左に見えるのが鋸岳」
 「いまガスがかかってるところが甲斐駒。それから駒津峰、双児山」などなど。

07:20 北沢峠。
 準備を済ませて、「では、ゆっくり行こう」
 仙丈岳が3032.6mだから約900mの登りである。久しぶりに重たい装備でしかも寝不足だからなかなかピッチは上がらない。30分間隔で一本取る。
 道中、甲斐駒、鋸、富士山、それに北岳がきれいに見えた。

鋸岳 甲斐駒
富士山 北岳

 やっと尾根に乗ると正面、森林限界を超えたところにピークが見える。小仙丈である。
11:00 小仙丈岳。2855m。
12:30 仙丈小屋。
 水があるから昼食はスパゲティ。一人では食べきれないほど湯がいてしまった。森の音さん、RINちゃんに少しずつ助けてもらう。
 曇りがちの空模様である。じっと座っていると寒くなってきた。雨具の上を着込む。タバコの火がなかなか点かない。
 水を補給し、いよいよ仙丈へ向かう。

仙丈岳

13:55 仙丈岳。3032.6m。
14:50 大仙丈岳。2975m。
 さらにガスっぽくなってきた。ここまで来ればあとは下るのだし、なるべく先まで、行けるところまで行ってしまいたいところだが、あとは時間と体力との兼ね合いである。
 道中、テン泊の跡らしい平坦なスペースが散見された。
15:50
 森の音さんのGPSに打ち込まれたデータによればp2755の手前あたりである。ここでビバークすることになった。テントを設営しているとき単独の方が通られた。休みを四日ほど取っているから、北岳から農鳥までを往復の予定だとか。
 設営も済んでテントの中になだれこむ。正直言ってほっとする。
 焼酎を飲み、ピーナツや鮭缶を突付いていると、眠気に襲われる。御飯を食べる気にもなれなくて、シュラフをかぶって寝てしまった。

7月18日(日)
 テントを叩く雨の音。
 「こりゃあ、北岳までは無理やで。このままぐずぐずと寝ておきたい」気分である。
 朝食を摂りながら僕はネガティブな意見。
 森の音さんは、
 「なあに、行ける、行ける」
 RINちゃんは、
 「そうそう、行けるところまで行って、あかんかったら両俣小屋の方へ下りればいいんやし」
 と言うわけで、雨具を着け、撤収。

縦走路(樹林帯)

05:50 出発。
 早朝のしっとりと濡れた樹林帯の中を歩く。これはこれで気分がいいものだ。
06:35 苳の平
07:05 伊那荒倉岳 2517.2m。
 ここを下ると高望池。おそらく涸れた窪地のことだろう。
 独標は岩場のところではなかったか。
09:10 野呂川越 ca.2300m。
 ふう。やっとここまで来れたぞ。ここが最低鞍部。
 ここから三峰岳(2999m)、間ノ岳(3189.3m)まで約900m登ることになる。
 気が遠くなりそうな標高差だけれど、なんとか行けそうだ。
 
 はじめは緩やかに、しかし登りは間断なく続く。
11:40 p2699。
 ぐっと急登をこなすとお一人が昼食中だった。
 僕たちもここでお昼にする。どうやらここがp2699のようである。

鎖場(三峰岳の手前) 岩稜を歩く

 ハイマツ帯に出た頃は雨は上がっていて、ハイマツの匂いが漂う。
 一瞬太陽の光りが射す。正面に高まりが見え、それが三峰岳かとも思われた。
 しかしここからが長かった。目前に見えるピーク、「あれか? あれか?」と思わせながらいったいいくつのニセピークを過ぎたことだろう。登りも風もきつかった。
13:50 ようやく縦走路からわずか右に三峰岳のピークが見えた。
 p2699でお会いした方が風裏で休んでおられた。
 「ピーク行きました?」
 「この風だもの、行っても何にも見えないし」
 「それもそうですね」
 
 「いくつも小さなピークがあるから三峰岳ってゆうんや」と森の音さん。
 「なるほど」
 間ノ岳まであと200mである。風のきつい岩稜を歩く。飛ばされないように帽子は手に持ったままだ。
 ふうふう言いながら登るとかすかに間ノ岳の道標が見えた。
 「なんだぁ、もう着いたのか。ふう」
 拍子抜けするほど突然に現れた。
 そのピークの手前で僕のザックカバーが風で飛ばされた。「あらら」

間ノ岳

15:10 間ノ岳。
 この風である。追うのをあきらめてピークに着くと、先着の先ほどのおじさんが指をさしている。振り返るとどうやら風裏らしきところの岩に引っかかっていた。「ラッキー」
 2001年の夏、東京の相棒と来て以来である。あの時もここではきつい風だった。

 ここまで来れば、北岳山荘まではもう登らなくてよいから気が楽だ。
 ところがまるで台風並みの風だった。今度は森の音さんのザックカバーが飛ばされた。
 「ああっ」と言う間もなく尾根の向こう側へ飛んで行った。RINちゃんのザックに外付けされたテントマットが外れそうだ。
 割と近い記憶だったけれどかなり歩いた。一本取るにしても風裏がない。ケルンの下に隠れるようにして休む。僕は寒さで歯をガチガチ鳴らす。
 シャツも、下着もコットンである。
 RINちゃん、森の音さんが声をそろえて、
 「それがあかんねん」
 オーロンだか、ダクロンだかの化学繊維がいいのだと。
 それは僕も知らないわけじゃない。だけど・・・。

17:05 強風とガスの中を歩いてやっと北岳山荘に着いた。
 結局のところ、今回の山行では、野呂川越から北岳までがハイライト、核心部と言うことになる。
 風もあるからテントを張るのはやっかいだから小屋に素泊まりすることにしたが、蒲団は二人に一つくらいの混みようだと言う。
 「それじゃあ」とテント場を見に行くと、「うへっ」と言うほどここもまた満杯状態である。トイレそばにやっとひとつ空きがあった。ありがたいことに風はない。匂いもさほど気にならない。
 「じゃあ、ここに張りましょうよ」

 水は1L、100円。明日は八本歯のコルから雪渓を下るから、雪渓上部に水はある。晩御飯と明日の朝食、道中の飲み水はその水場までのがあればOKだから、とりあえず2L、RINちゃんが買ってきてくれた。

 森の音さんは大食漢。「えっ? まだ食うの?」ってほど食う。僕だって日頃はよく食べるほうだが、山中ではなかなか食えない。
 きょうは赤飯のアルファ米だがやっぱり食べ切れなくて残してしまった。

7月19日(月)
 RINちゃんに起こされる。北岳を経てきょうは下る。

お花畑にて 薄雪草

 広河原で12:30に間に合えばいいのだが。
 昨日の残りの赤飯と味噌汁。それでもまた残してしまう。

06:00 北岳山荘発。
 好天の願いも空しくきょうもガスの中である。好天ならば富士山が見えるのに。
 北岳へは稜線を歩かずに八本歯のコル側のトラバースを歩く。ここのお花畑が圧巻だからだ。
 ガスの中の花もしっとりと濡れてむしろ色が映える。何度も立ち止まっては写真を撮る。
 
07:05 分岐。
 ザックをデポして空身で山頂へ。
07:40 北岳山頂。おおぜいの人である。
 山頂に着く直前から空が軽くなってきた。陽射しもあった。青空も見えた。
 薄明るい太陽を背にすると瞬間、ブロッケンが見えた。

青空 北岳山頂

08:15 分岐に戻り、八本歯のコルへと下る。
 岩場の下りはかなり緊張を強いられた。
08:45 八本歯のコル
 梯子をいくつも下り、バットレスの展望地で一本。じっと見るとバットレスの壁に取り付いている人たちが見えた。

北岳バットレス 雪渓

 最後の梯子を降りると雪渓の最上部に出る。
 水は豊富。適当なところで補給。下るにつれて青空が広がり太陽がじりじりと照りつける。正面に鳳凰三山が見える。
 雪渓は下部が消失していた。今年は雪が少なかったのか、暑すぎるのか?

RINちゃん作―「銀の竜」、なかなか思いつかない表現です。

 バスの時間を気にしつつ雪渓を過ぎ樹林帯の中へ。
 30分に一本取る森の音さんの体内時計だが、あんまり時間がないことを告げると、スイッチが入れ替わったらしく、六甲全縦パワー発揮である。しまいに走り出してしまった。
 「なるほど、この手があったか」
 あっと言う間に広河原まで下りてしまった。

12:15 バス停着。
 ふう。お疲れさんでした。まあ、よく歩けたことや。

12:30 バスは二台出た。
 白鳳峠でせきやんが立っているからと言っていたが目を凝らしても見当たらなかった。
 あの悪天だったから中止したのかも知れない。

 北沢峠からのバスも何台か増発された。
 戸台に着くとDOPPOさんがいた。
 「おお」
 DOPPOさんは鋸岳をやったのだと。せきやんと一緒に来て、彼は甲斐駒から鳳凰三山を。
 「せきやん、どうしたんやろ?」
 僕たちは食堂でラーメンをすすり、それから車に戻ると、背後で短足のお兄さんが手を振っている。
 「ほんのわずか、一分、バスに遅れた、いや、ほんのわずか、バスが定刻より早く出たはずだ」
 増発便があったのでそれに乗って来たのだと言う。
 無事で何よりだった。
 戸台の仙流荘で風呂に入った。



森の音さん:仙丈ヶ岳から間ノ岳経由で北岳へ(南ア)