天狗倉山から扇形山 (Sept.26, 2004)

 (一)
 まず迷った話から書く。
 朝、九尾林道から稜線に登るとき谷筋に道が付いていてそれから急斜面をガリガリと道らしく見えるところを登ると巻道に出た。左が登り、右が下りである。
 帰りはここを見落とさないように、そう思ったから、扇形山までピストンして下る際にもここは覚えていた。ここから林道までせいぜい30分くらいのはずである。時刻は18時になるかならないくらいではなかったか。いったん下りかけたが谷の中に入るからけっこう暗かった。道と言っても明瞭ではなく、山林主のショートカットだったかもしれない。暗く感じられる谷への下り、はたしてどっちへ行ったものか自信はなかった。雨に濡れた木の根に足を乗せて滑り、谷へ落ちようものなら一大事になりかねない。これはやばい。
 どこへ下りるのかは定かではなかったが、たとえどこへ下りようが、巻道を下った方が安全ではないか。
 そう思って再び巻道へ戻り、右へ歩く。ほどなく尾根に乗る。薄暗い中をぐんぐん歩く。どうやら九尾林道からはずんずん離れているような気がする。だいたい登ったとき右へまともな道があった記憶もない。すると正面にピークが見えた。
 「ん? まさか天狗倉山ではないよな? もしそうだとしたらまた引き返さなければならない」
 下っているつもりでどこをどう間違えたか再び元の道を引き返していたってこともかつてあった。頂上で目を凝らすと山名板は見当たらない。天狗倉山ではない。ほっとひと安心。さらに尾根伝いに歩く。左は広い谷になっていて白い雲のせいか道は薄明るくさえあった。するとまた正面にピークが見えた。
 「なに?」
 この頃やっと頭の中で地図を広げ、どうやらタカノス山を経由しているらしいことに気づく。
 「と言うことは五色谷林道へ下ることになる」
 ずいぶん遠回りにはなるけれど、林道へ下りてしまえば安心だ。薄暗い中で腰を下ろし一本。
 ピークを通過したのが何時ごろだったか時計を見る余裕さえなかった。
 さて、どっちへ道が付いているのか? 右は真っ暗な樹林帯である。左は広い谷でやや明るい。その谷の上に沿うと足元の感触ではどうやら道になっている。歩きやすいのだ。外れると草や木の枝が足元でごそごそ音を立てる。目を凝らして足元の感触で道に戻る。
 するとどうやら広い道になった。林道へ出たのだ。
 「ふう、これでひと安心」
 林道と言っても五色谷林道ではなく、タカノス山の方へ分岐した林道である。これに沿えば五色谷林道に出られるはずだ。
 下る途中、右に駐車スペースかと思われた奥行きがあった。さらに下ると林道が分岐していた。
 「どっちやろ? しっかりと踏まれた方にちがいない」
 車の轍がはっきりしていて歩いてもわりと硬い左の林道へ入る。左右の木々で道は暗い。水溜りの白さがありがたくもあった。ずんずん進むと、
 「あれ? なんや行き止まりやんか。あらー。と言うことはもうひとつの道だったんか」
 引き返して、別の林道を下ると、
 「あれぇ? ここも行き止まりやんか。おかしいなあ? 車はいったいどこから入ってるんや?」
 
 この頃になって、「ビバークしないといかんかも」と思い始める。
 でも、林道であり、車も入ってるのだからどっかにその道があるはずなのだ。この分岐のもっと上にあったのかもしれない。さらに引き返す。下るとき駐車スペースに見えたところへ入るとその奥にも道が付いていた。
 「なんだ、これやったんか」
 ぐんぐん下って19時50分。ひょいっと大きな林道と出会った。五色谷林道である。
 「ふう」
 ここから沢原まで出て、九尾、九尾林道に入って車のところまでどのくらいかかるだろう? 1時間半か2時間くらいか。でも仕方がない。
 巻道からあの谷筋を慎重に下れば下りれないこともなかったかもしれない。が、いささか危険をともなうから避けたほうが無難である。直感的な判断だった。
 間違ってはいなかったとは思うが、はたしてどうだったか。

 雲の切れ間から満月が覗く。20分ほどで沢原まで出た。民家の明かりがうれしい。
 自販機はあったが公衆電話がない。携帯は車の中。手許にあっても圏外かもしれない。
 民家に声をかけ、電話を借りた。いかに険悪な関係とは言え、山へ行ってなかなか帰ってこなければ少しくらいは心配しているだろう。
 九尾林道の車のところまでかなり遠くはあるが歩けばいずれ着く。
 そう思っていると、おうちの方が、車で送りましょうと。
 「いやいや、大丈夫歩けますから」
 ひとつには自分への罰の意識もあった。シャツもズボンも濡れ、靴の中にも水が溜まっている。
 けれど、そこの奥さん、そう言うや否や二階の息子さんに声をかけると、息子さんもすぐに出てきてくれて、
 「いいですよ、どうぞ」
 「そうですか、すみませんね」
 なあんて、お言葉に甘えてしまった。
20:30 九尾林道駐車位置に着いた。
 沢原の森田さん、ありがとうございました。

 (二)
 山行記録。

稜線に出たところ。狼越あたりか。 天狗倉山

08:15 九尾林道の橋の手前のやや膨らんだ駐車スペースに車を停め、さらに林道を詰める。10分ほどで山道。道は谷沿いに付いていて巻道が沢を渡って左に通っていたがどこへ行くのか定かではないから、そっちへは行かずにさらに登り途中からがりがりと斜面を登る。明瞭ではないにせよそのように道は付いていた。
 巻道と出合い、左へ。
08:55 稜線に出る。
 まず左の高城山へ向かうが、かなり遠く感じられたので、ここで時間を使ってはまずいと思い引き返し、天狗倉山へ向かう。きょうは、この稜線に沿って扇形山まで行くつもりなのである。
 昭文社の地図には破線さえも記されてはいないけれど、稜線伝いに道はあるはずだ。
 このルートを行けば、大峰の主稜線上の大天井から西吉野へ派生する山域とが繋がるし、細かく言えばきりがないけれど、大峰の山域をほぼ歩いたことになる。
 まあ、だからと言ってどうってことでもないけれど、私的にはぜひとも歩いておきたいルートだった。
 とは言え、かなり長いこと、ピストンするしかないこと、などなどによりぐずぐずするうちに日も短くなってきた。このままだと来年に持ち越すことになりそうだったので、ようやっときょう行く気になったのだった。

09:30 天狗倉山
 倉とは「クラ(岩場)」のことではないか。山頂の下にそれらしきものがあった。
 ネジモチ峠は見覚えがあった。五色谷林道終点から見えていた光景である。
 伐採作業の最中であった。トランシーバーの声が聞こえる。
 二重山稜になっているのか手前の稜線は向こうで切れているのかよくわからなかったので目を凝らして左(北側)の稜線を取る。数人の方が作業中である。伐採と搬送をやっているのだと。

ネジモチ峠 いったいどこを通れと?

 植林帯は人が入るせいか稜線上も良く踏まれた道だが、人の入らない自然林になるともう大変。倒木あり、ブッシュあり。
 また地図で稜線をたどることはできても実際に歩いてみると尾根の分岐がいくつかあり、むしろそっちに踏跡が付いていたりするから、行きも帰りも何度か迷った。
 たぶんネジモチ尾あたりの分岐ではなかったかと思うが、踏跡にしたがって行きかけた。地図を見、向こうに見える山の感じと照らし合わせるとどうも違う。と言って扇形山への分岐ははっきりしない。踏跡がないのだ。
 どうやらここだと思えるところはいきなりの倒木でふさがっている。人が頻繁に入った気配もない。けれども、ここのはずだ。倒木を避けブッシュを払いやっと抜けた。

黒尾山 キレット。霊がいる。鹿の骨があった。

10:55 黒尾山。山名板はなかったが、三角点があった。
11:40 浅いキレット。この下あたりを天川川合へのトンネルが通っているのかもしれない。このキレットには霊がいそうな雰囲気だった。鹿の骨があった。
 対面の山へ、すぐ木の階段がついていたから、麓からここへ登る道もあるのだろう。道もよくなり、ぐんぐんと進むけれど、扇形山はなかなか近づかない。思った以上に時間がかかっている。

ずっと扇形山だと勘違い。小天井か? 結局、扇形山はここから下って登ったところ

12:50 見晴らしのいいところで昼食。向かいの鉄塔の見える山頂が扇形山だと思っていて、
 「こりゃあ、無理だな。帰りの所要時間を考えると深追いできない。もう少し歩いてみて適当なところで引き返そう」
 そう思いつつ目前のピークを下るとなにやら見覚えのあるところへ出た。
 そう、今年の5月、扇形山に登ったとき、偵察をかねて少しこちら側へ下ったのだが、その場所に着いたのだった。
 「なんやあ、それやったら扇形山はすぐそこやんか。だったら山頂まで行ってしまおう」
13:25 扇形山。
 西吉野の大日山と、きょうのたぶん狼越から高城山までが抜けてしまったけれど、大筋としては、大天井から西吉野へもこれで繋いだことになる。
 抜けたところはまたいずれ行くことにしよう。

ついに、繋がった。扇形山山頂 復路は雨になった。

 復路は雨になった。樹林帯の中はさほど濡れなくてすむ。だいいち、汗や霧の水滴ですでにシャツもズボンも濡れている。雨具を着ければ蒸すだけで体の切れが鈍くなる。

15:45 黒尾山

 鉄壁の防水を誇るゴアの靴もズボンから滴る水が入り込んでしまい靴の中に水溜りができている。

17:00 ネジモチ峠を過ぎたあたりで、シートを敷き、靴を脱ぎ靴下を絞る。枝を地面に刺し靴をさかさまにして水を出す。
17:30 天狗倉山

 秋の日はつるべ落とし。とくに山中においてをや。
 以下は(一)のとおりである。

 1995年版の大峰の地図もこの山行を終えたら新しいのに買い換えるつもりだった。掉尾を飾る記念すべき山行になってしまった。