平石から岩橋山、新庄 (Nov.14, 2004)

 近鉄富田林から08:50の平石行きのバスに乗る。駅前で弁当を買うつもりだったがコンビニが見当たらない。「あれ? あったはずやけど」
 記憶の場所にはミスタードーナツ。しょうがない3個買うことにする。タバコの自販機。最近またピースを吸いはじめた。が、Peace Acousticしか見当たらない。300円だけど、しょうがない。賞味期限がH16.8、「おいおい。これは許せんぞ」

 バス乗り場にかけつける。登山姿の4人のパーティ。同じルートかな?
 15分ほどで終点の平石。以前高貴寺までは来たことがある。分岐で地図を見ると、右は平石峠である。「あらら、行き過ぎてる」。きょうは名石コースを岩橋山へ。下山は布施城跡から新庄の予定である。
 引き返すとバスの4人組とすれ違った。
 もうひとつ手前の分岐を右に入り、山に向かい、小さな橋を渡ると、また左右に分岐している。なんとなく左の山側の道を取る。
 イノシシ避けと思われるトタンの囲いの向こうにも道はあった。古い道のようである。あまり人は入っていないように思われたが、これで間違いはないだろう。
 道は沢を何度か跨ぎながら詰めるように付いていて、いずれ尾根に登る道になるものと思ってずんずん詰めて行くと、途中に杣道らしい新しく見える道が山へ登っていたからそれに従うと伐採跡があったけれど、道はそこで終わっている。あとは見上げるほどの急斜面である。
 引き返して再び沢に沿うと、とうとう倒木に塞がれた。左右を見ても道らしいものはない。ここで地図を広げると、どうやらツルベ谷を詰めていたようである。名石コースへは二つ目の堰堤を過ぎて右に入り尾根に取り付く。その分岐を見落としていたのである。
 そこまで引き返すのも難儀だったし、いずれにしてもこの右の尾根になるはずだから、先ほどの杣道からガリガリと急斜面を登ることにした。
 ところどころに異なるテープがあったところを見ると過去にも同じように登ってしまった人たちがいたのだろう。その踏跡なのか獣道なのか定かではなかったけれど、とにかく上の尾根を目指して歩いたことである。

10:15 やっとルートにたどり着いた。 10:25 鉾立岩
10:30 大阪の南部の平野部 10:40 胎内くぐり

10:15 ようよう尾根にたどり着くと登山道と合流した。
 「ふう」
 木間越しに大阪側の平野部が見えた。ここまで来ると自然林になり、木漏れ日がうれしい。
10:25 せっかくだからとルートをわずかに逸れて鉾立岩。
10:30 鉄塔

10:40 せっかくの名石コースなのだからと、胎内くぐりも見に行ったがずいぶん下ってしまう破目になってしまった。

10:55 登り返して、久米の岩橋。
11:00 岩橋山。
 バスでお会いした4人組が休んでおられた。これから名石コースへ下られると言う。

10:55 久米の岩橋 11:00 岩橋山
11:35 新庄方面への下り 12:20 民家まで下りたところ

 一本取ったあと、葛城山側へ歩き、持尾辻手前で、新庄側へ下る。
 狭い溝状の道である。雨になれば沢になりそうだ。ところどころに土嚢が積まれていた。
11:50 布施城跡
 間違えようのない一本道を下って行くと道のすぐ山側にスズメバチの群れがいた。真横で気がついた。
 「やばい」
 マジで焦った。ストックを振り回しながら走って逃げた。帽子が脱げそうになった。
 「大丈夫か? もう追って来てないか? シャツにとまってないか?」
 ずいぶん下ってから、ザックを下ろし、身の回りを点検。
12:10 やっと山道から民家の見えるところへ来た。

 大和盆地が遠望できる。
 二塚古墳、博西神社を見て、屋敷山古墳のある公園にシートを広げてドーナツを食べた。
 飯豊天皇埴口丘陵、宮内庁の管轄になっていた。
 新庄駅裏の柿本神社には柿本人麻呂の墓があった。