持尾から忍海へ (Nov.27, 2004)

 先日は平石から名石コースを岩橋山へ登り、新庄へ下ったが、今回は持尾から持尾辻、ダイトレを葛城山よりに少し歩き、中ノ道を笛吹、忍海へ下りようと思う。
 金剛山も然りだが、この葛城山も近くにありながらまだまだ歩いたことのない道がいくらでもある。

 近鉄富田林を09:05発の河内(弘川寺)行に乗り、滝谷口で降りる。広域農道を道標に従いながら持尾へ。
09:50 地蔵辻。
 すぐ山道があり、持尾城址へは、あとで考えればそれを登った方が早かったが、その山を右に巻く農道に従い、結局ぐるっと半周以上巻いたのではないかと思う。
 分岐を城址側へ取り登っていくとまず神社があった。磐船神社分社である。本社は平石にある。磐船神社と言えば交野の河内磐船神社を思い出すが、先日の名石コースで見たようにいくつかの巨岩があるからそれがご神体になったものかとも思う。本殿を覆う建屋の四隅にはひょっとすると元の形があったのかもしれないが今ではその残骸と思われる石の塊が数個ずつ安置されていた。
 道路を挟んで向かいの山頂が持尾城址。亭があり、大阪平野が一望された。

持尾城址 持尾城址からの展望

 さて、持尾辻へ登ろう。
 アスファルトの道がずっと続き、山が近づくと分岐があるにはあったが、「ん?」と思った程度でアスファルトの道に従う。それが切れると山道だが、とくに気にすることもなくその道をずんずんと歩く。どうやら谷の上を巻いているようだ。地図を見ると、持尾辻へはこんな道でもなさそう。「ん?」とかすかに思いはしたが、それでもまだ間違っているという認識はなかった。谷の源頭を過ぎたところで道は消えた。このあたりはまだ植林帯である。「またもや間違ってしまった。やれやれ」。杣道だったのだ。
 仕方がないから例によってガリガリと急斜面を登り尾根に取り付く。おそらくこの尾根を伝えばダイトレと合流するものと思ったが、尾根に取り付くと谷を挟んで向かいに稜線が見えた。
 「あれっ? あれが葛城山への稜線か? あらあら。自分はいまどこにいるんだろう?」
 尾根にはかすかに踏跡がありそれに従うと鉄塔に出た。地図にある鉄塔215である。
 実線ルートからだいぶ右にそれて歩いていたようだ。ほどなく実線ルートに合流。

鉄塔215 持尾辻

11:25 持尾辻。
 ベンチに腰掛けて一本。テルモスのお茶を飲む。単独の青年が通り過ぎて行った。

11:55 忍海へ下る道は2本あるがひとつめをやり過ごしてふたつめの中ノ道を下る。
 道も広く歩きやすかった。

末高大明神のそばにて 笛吹神社途上にて

 民家近くまで下りきって昼ごはんにする。ザックの中を探すけれど、テルモスが見当たらない。あらあら、持尾辻に忘れてきたのだ。

桜が咲いていた 角刺宮

 途中で、笛吹神社(葛木坐火雷神社)、忍海駅そばの角刺宮に立ち寄った。
 角刺宮と言えば、先日陵墓を見た飯豊天皇の宮跡である。神宮寺であろうか、忍海寺が境内にあった。実際に即位したのか否か、このあたりが記紀ともに微妙な書き方であるが。

 忍海で2時前の電車に乗った。