ヤブコギの葛城山 (Dec.11, 2004)

 ここしばらく葛城山づいている。
 安芸さん、雪ちゃんと待ち合わせて、今回は駒形大重神社から北山道を葛城山へ、下りは自然研究路から北側の尾根を不動寺へ下山の予定である。
 1994年版の、「葛城高原二上山」の地図では、この駒形大重神社からの道は黒の破線になっている。いつだったかわれらが円さんが途中まで登られた。一方、下りは赤の実線だが、これまたわれらがS氏によれば、登山口そのものが通行止めになっていて、かなりのヤブコギを強いられたとのことである。

 こわいもの知らずの安芸、雪コンビである。僕自身もこの登り下りは初めてであったが、「ヤブコギせんとあかんみたいやけど、ええか?」と聞くと、「行く行くぅ〜」。

駒形大重神社 北山道。まずは順調。

■登り編
 道はしっかりしていて順調な歩きだしである。溝状の道を厚い落ち葉を踏みながら登っていくうちに、尾根との高度差がだんだんと開いて行ったので、やや不安になり、崖を登って左の尾根に出た。出たのはいいが、道そのものは不明瞭。とにかく尾根に沿って急登をガリガリと登る。まだ植林帯の中である。急登ではあっても障害物はない。
 自然林に突っ込むには歩きにくいからと徐々に左へトラバースぎみに歩きながら尾根を外さないように上へ向かう。
 これでよかったのかどうか、溝の中を詰めて行ってひょっとすると左ではなく、右の尾根に出るのが正解ではなかったかとふと思ってしまう。
 でも、左にトラバースぎみに歩いても九品寺からの長尾道と合流するはずであるから、あながち間違いでもないはずだ。
 そんなことを思いながら登っていると、右に溝状の道が登っていたのと合流した。
 「そうか、ずっとあれを歩いていたらここへ出たのかもしれない」

植林帯を抜けるとヒメシャラの群生。笹薮。 やっとダイトレへ。

 道は再び溝状になりテープもあった。植林帯を抜け周りは自然林である。落葉したヒメシャラの木々の中、日差しが心地よい。そのうち正面に稜線が見え、笹のヤブコギになった。僕はこの稜線がダイトレだと勘違いしていて、かつ、右に見える尾根が本来の北山道ではないかとまだ思っていて、安芸さん雪ちゃんがやや左に笹を漕いでいるのを、あえて真っ直ぐ、つまり彼女たちより右側を漕いだ。
 稜線に出ると、「あら?」、ダイトレではない。が、谷を挟んで向かいに葛城山方面が見える。雪ちゃんは、「左やね」と言う。僕は「右ちゃうか?」
 僕はやや右に見えるピークを葛城山の南のp908だと思っていたのである。
 とは言うものの、左へは踏跡があり、右は不明瞭でどうやら谷へ下りそうである。
 笹の中を左の踏跡に従うと、さきほどのピーク南面にベンチが見えた。「なんや、そしたらあれが葛城山やん」。
 そして、とうとう見覚えのあるダイトレの光景と合流である。それも当初の予定通りの地点である。ここがp908。「なんだ、これでよかったんじゃないか。あはは」
 葛城山頂まではルンルンで歩き、昼ごはん。
 安芸さんからおにぎりはいただくし、ラーメンもよばれるし、雪ちゃんはリンゴをむいてくれるし、コーヒーはいただくし、かと言って、持参したコンビニ弁当を食わないわけにもいかないし、ずいぶんお腹いっぱいになってしまった。

葛城山 山頂

■下山編
 自然研究路を下ると橋があり、そこに分岐があった。左に取り沢の右側を巻くと途中で道が消えてしまった。沢を挟んで「向かいの尾根やで」といったん引き返し、トラバースぎみに歩くが、どうやら獣道のようである。下の沢沿いに道らしいものが見えていて、電柱が立っていたから、「あの道ちゃう?」と雪ちゃんが言うけれども、とにかく尾根に出ようと、強引に藪を漕ぐ。タラのいがいが、いばらのいがいが、ツタの絡まりを強引に突っ切りようやく尾根に出た。「ふう」とここで一本。やっと道らしいところに出たのである。
 少し下ると、正面の尾根と左へ電柱沿いの道と分岐した。右を見るとさきほどの電柱沿いらしい道がここまで来ている。
 「ほらね」と雪ちゃん。
 真っ直ぐ尾根を下るか、左の電柱沿いに行くか?
 二人は「電柱沿いじゃない?」と言う。僕は、「いや、この尾根を下るんやで。北に見える尾根は忍海へ下る中ノ道じゃないかな?」
 というわけで正面の尾根を下り始める。かなり急である。
 「うん、地図には険路とあるからね」
 ぐんぐん下るうちにその先は藪に阻まれ、しかも尾根自身がずいぶん短いのである。
 「ちがうなぁ」
 右のロープウェイの尾根はずいぶん先まで下っていて、左の尾根もほぼ同じく下っていてその先でくっつくほど近づいている。きっとあれだ。

藪の中 ここへ出た。お疲れさん。

 「まちごてるわ。左のあの尾根やで。引き返そう」ってことで、またもや急斜面を登り返すことであった。登り切ったところで一本。やれやれ。
 安芸さんはわれらがD氏に遭難救助のSOSである。
 電柱沿いの道に戻り、ようやく、「やっと帰れるなぁ」って気分で、尾根道を下る。実線ルートも今では使う人もいないのか藪に覆われているところが何箇所もあった。
 お寺の墓が右に見え、藪をくぐり、やっとこさアスファルトの道に出ると、「通行止め」の看板があった。
 「ふう、お疲れさん」
  登りにも下りにもかなり往生してしまった。