鍋谷峠から和泉葛城山、経塚山、三国山、宿山
(Nov.26, 2005)
詳しい地図を持って和泉葛城山へ。前回のリベンジである。
昨年インターネットで知り合ったPさん、偶然にも前回の河内長野から滝畑のバスに乗っておられたようで、いずれご一緒しましょうと連絡をいただいた。山といい、神社めぐりといい、行動パターンがまじでよく似ているのだ。車中では古代史談義。
安芸さん、「うちも行く〜」
と言うわけで鍋谷峠に外環状側から登りつくと、ピッタリのタイミングで安芸さん、おわりさん到着。
鍋谷峠登山口 | ムラサキシキブ |
09:40 山道に取り付く。道標もあり、稜線伝いに行けそうだ。
10:00 小堂峰
好天だったが穏やかな山道であまり汗もかかない。
10:20 大石ヶ峰
案外早かった。
道は不自然な溝ができていて、よく見るとタイヤ痕がある。どうやらモトクロスのメッカのようである。
大石ヶ峰 | 和泉葛城山最高点 |
10:45 鉄塔があった。そこに和泉葛城山の山名板。
Pさん、安芸さん、おわりさんは和泉葛城山はかつて登ったことがあり、一様に「あれ? ここなん?」と言う。「三角点もあるね〜」。どうやらここが最高点のようである。
ほどなくアスファルトの道になり三人には見慣れた光景になったようである。
またもや鉄塔があり、売店があり、展望台があり、人も多かった。ここまで車で来れるのだ。思ったより早く着いた。
11:10 八大龍王神社。
展望台に上がり周囲を眺めると、海の中の関空が見え、紀ノ川側には飯盛山、龍門山。
「あのとんがりが楊柳山とちゃう?」
「わからんで〜。とんがってんのいくつもあるから」
東に転じると大峰山系である。大日のとんがりで稲村はすぐそれとわかる。それから伝って、
「ちょうど鉄塔の向こうが弥山・八剣や。右に行っていちばん端っこの三角が釈迦ちゃう?」
自信はなかったが、稲村の右、弥山・八剣の間に、大普賢、その右に少し首をかしげた行者還が見えていたように思う。
展望台のすぐ前は紅葉である。
少し早かったが昼食。
いつものコンビニ弁当。テルモスに熱いお茶。
安芸さん「コーヒー飲む?」「飲む飲む」。こうゆうこともあろうかと持って来たコップを差し出す。
おわりさん「カニ饅頭食べる?」「食べる食べる」
Pさん「柏餅どうぞ」「食う食う」
椈 | 紅葉 |
食後ブナ林を散策。
13:45 ピストンで引き返し、鍋谷峠。
「他の山も行こうな〜」と言うわけで、まず経塚山へ。
鍋谷峠から三国山方面へ走り、林道のふくらみに駐車。
「8分って書いてるで」
14:00 登りはじめてたしかにそのくらいで着いた。
展望はないが平坦な山頂部である。奥まで歩いてみる。
「三国山へも行ってみます?」
「行く行く」
前回、鍋谷峠と勘違いしてしまった三差路を通る。
「ここここ、ここから山道に入ったんよ」
七越峠を過ぎて鉄塔そばに駐車。
「3分で行けるから」
14:40 じじつ、そのくらいで三国山山頂である。
経塚山 | 本日の六座目、宿山から下山 |
「こうなったら、宿山も行こうや」
七越峠に車を停め、少し引き返してこれまた鉄塔そばから取り付くと2分だった。
「いくつ登ったんや?」
「小堂峰、大石ヶ峰、和泉葛城山、経塚山、三国山、宿山、すごい六座制覇や」(^O^)
干し柿の里 | 相賀八幡神社 |
帰りは七越峠から四郷の干し柿の里を通った。
農免道路で安芸さんたちと別れ、僕たちは御幸辻の相賀八幡神社を見て帰った。
『住吉大社神代記』に記述のある九つの大神のひとつ、
・紀伊国伊都郡 丹生川上天手力男意気続々流住吉大神
が祀られているのがこの神社ではないかと教えてもらったことがある。
南向きに建てられ当時は紀ノ川が一望できたのではないだろうか。