天竺山 (Mar.26, 2006)
■ 能書編
昭文社「大峰山脈」の表の地図の一番下にある天竺山。奥駈道で言うと、釈迦ヶ岳から南に下り、地蔵岳(子守岳)、涅槃岳の西。
稜線には旧花瀬道が走っている。縦走するには車が二台あった方が便利だ。
今回、僕たち三人(DOPPOさん、タンタンさん、郭)は、笹の滝を過ぎて、花瀬から登り手前の奥里へ下山することにした。
花瀬から橋を渡ると | 壁には階段が |
旧道跡。コの字に岩を穿っている。 |
花瀬道かと誤解してしまった。 |
■ またもや道を間違えた編
橋を渡ると屹立した岩壁。そこには鉄の階段があった。ところどころに旧道跡があった。
階段を上がると左右に幅広のしっかりした道。道標は右、釈迦ヶ岳とある。天竺山は左だから、ま、左でしょうね。ただ稜線上の道ではなく巻道なのがやや気がかりではあった。ひょっとすると右の釈迦ヶ岳側に歩いて稜線との分岐があるのかも知れなかったが、いずれ稜線に出るのかも知れないし、旧花瀬道と言うくらいだからしっかりした道なのだろうと、左へスタスタと気持ちよく歩き始めたのだった。
が、道はほぼ平行、やや下り加減のまま一向に稜線に出ないのだ。
DOPPO氏「これはちゃうで」。
気が付いたときは、そこそこ進んでいたせいもあり、引き返すより、急斜面ではあるがガリガリと稜線まで登ったほうがよかろうと言うことになった。異存はない。今までにも何度もある。気分としてはまだ余裕のよっちゃんである。
登るにつれてクラ(岩場)が前を塞ぐようになった。右へ左へと巻きながら登れるルートに取り付く。細かい襞のようにいくら登っても次々に難所に当る。滑れば谷へ落ちる。
先を行くタンタンさんに「どうや、行けそうか?」とD氏が問う。
さすがのT氏も「うーん」と返答に窮した。
稜線まであとわずかのところであるが、はたしてこれをたどって正規のルートに行けるかどうか? 行けなければ引き返すしかない。引き返すとすれば下りになるのだからさらに緊張を強いられる。
徐々にクラが前方を阻むようになった。 |
涸谷をズリズリと下った。 |
ここらで引き返した方が無難と言うことになった。
さいわい岩屑の涸れ谷が横にあり、ずりずりと落石に気をつけながらほぼ真っ直ぐ下り、適当なところで樹林帯に戻りさらに下ると朝の幅広の道に出会った。
幅広の道であるから、いずれ集落へ繋がっているのかもしれないと、これまた引き返さずに先へ進む。
滝川に出た。 |
進むと道なりに、沢に出た。巨岩の中を豊富な水量の沢が走っている。往路、車道から下に見えた滝川である。
釣り人がいた。
ミツマタ |
車道のある対岸へ渡るにはどうしたものか。どうやらこの沢を渡るしかないようだ。対岸へ跳ぶにはいささか遠い。沢に足を入れるしかなさそうだが、苔も付いていて滑りやすそうな感じである。
胸まである長靴のようなものを履いたその釣り人が見かねて沢に足をいれて僕たちをサポートしてくれた。
存外、水の中の岩はしっかりしたホールド感で、濡れるのは仕方ないがなんとか渡ることができた。片足が水に浸かってしまったけれど。対岸に渡るとミツマタが咲いていた。
■ 笹の滝編
僕は初めてだから「ぜひ」。
怒涛の水量。溢れかえりながら落ちている。
笹の滝 | 笹の滝の岩壁 |
まいどお世話になっております。(^O^) |
■ 奥里からリベンジ編
奥里まで戻ってお昼。腹が減った。
ここからでも登れる。一時間半か二時間くらいだろうか。ややテンションは落ちたものの時間はある。
食べ終えると即、DOPPOさんは車を走らせた。赤い橋を渡って集落の中を走りながら登山口を探す。
登りの尾根は道とも言い難く、いわゆる旧花瀬道とは、ひょっとして内原から登っているのかもしれない。
それでもようよう13:45、天竺山山頂にたどり着いた。
下りは、途中から巻道が付いていてどこに下りるのかよくわからなかったが、「行ってみよう。集落のどこかに着くやろう」ってことで、快適に下ると登山口のやや西側に出た。
集落では梅が満開。
タンタンさん:牛魔王の角
DOPPOさん:NO.482 天竺山(大峰南部)