登り北山道、下りクラハラ道―葛城山新年会 (Jan.13/14, 2008)

駒形大重神社


1月13日(日)
 思案の末、駒形大重神社から北山道を登ることにした。2004年の暮れ、安芸さん雪ちゃんと登ったルートである。
 登りだしでまずつまづいた。記憶どおりに歩いたつもりなのだがついにヤブに入り込んでしまった。人もあんまり入らない道だろうからヤブに戻ってしまっていると思い込んでいるのである。ヤブの中の道に見えたのはおそらくイノシシの道だったに違いない。足元は通れるがヤブの上部はとてもじゃないが延々と漕がないと通れそうにもない。
 ここで時間を使ってもいかんと尾根に上がることにした。尾根を上へ伝えば何とかなるだろう。この尾根には記憶はなかったがまだ歩ける。植林帯の中であるし、かろうじて踏跡らしき道もないわけではなかったが、とうとうそれも途切れ左下へゆるく下るような跡があった。それに従いさらに登ると、「あらら」。
 まっとうな道に出た。ほどなく「北山道」の道標。ひと安心である。と言うことは、登りはじめてどこかに分岐があったはずで、それを見落としていたことになる。「やれやれ」。

 北山道は溝の中を歩く。これを伝うといずれ尾根に出る。それにしてもかなり深い。
 人が歩く。窪みができる。雨がその窪みを伝いさらに溝を作る。この繰り返しが続いてかなり深くなってしまったのではないか。と言うことは、かつてはこの道が葛城山への主道のひとつだったに違いない。
 
 昼ごはんは食べてきたし、今夜と明朝はロッジ。昼までには下山予定だから、ザックの中の食糧と言えばチョコ一枚に、熱いお茶だけである。甑島の芋「六代目百合」が一本。店主はストレートがいいと言っていた。あとは着替えと雨具、ヘッデン。だから、重くはない。けれども、哀しいかな最近歩かなくなったせいか、脚が上がらない。攣りそうになる。
 時間は充分にあるから急ぐ必要もない。トボトボと歩くうちに何やら足元に金色に光るものがある。「砂金か?」
 ひとつ拾い、ふたつ拾う。薄い膜状になっているようだ。指先で押しつぶすと間違いなく金色。まさに金箔を思わせる。だけど砂金だったら粒のはずだが。でもこのような形状もあるのかも知れない。意識的に拾ううちに20片くらいになった。金剛山でもちょくちょく見かける。ひょっとすると、この山系には金鉱脈があるのかも知れんぞ。金剛山の名前の由来はこれか? などと、思いつつ、ついに尾根に出た。

 ここまで来れば空も広くなり山頂も近い。
 笹を漕ぎながらリョウブの林立の中を歩く。葛城山にもこんないいところがあるのだ。

 三時前には山頂。曇りがちだった空も青空になっている。
 
 まだ誰も着いていないのかな?
 二上山から来るメンバーを迎えがてらダイトレを北へ。
 20分ほどするとがやがやと、隠れる間もなく、のんぶーに見つかってしまった。
 ちょっとだけ久しぶりな感じだ。
 採取した金の話をすると、いやそれは黄鉄鉱だ、黄銅鉱だ、バーミキュライトだと、てんで相手にしてくれないのだ。
 をひ、おれは山師か? (^o^)

1月14日(月)

金剛山―低山ながら優美な山だと思う ダイトレからクラハラ道への入口


 さて、どの道を下りよう。
 水越峠の手前から吐田平を通り九品寺へ下るルートが地図には黒の破線で示されている。
 何と言う道かは書かれていない。前半は巻き、後半は尾根を下るようだ。昭文社の'94年版の地図には尾根に道不明瞭とあったが、尾根ならば外さなければなんとかなるだろう。(この安易さは決して良くないのだが)。
 ロッジ前で集合写真を撮り、なんとはなしに山頂へ。
 きのう槙尾山からダイトレを縦走した貴公子タンタンはきょうは二上山、屯鶴峰を経て関屋まで行くと言う。
 安芸さん、雪ちゃん、ハジメさんとほなね〜と別れて僕は水越峠側へ。

 難儀な木の階段を下り、「そうそうここ」と思った分岐には、最近付けられたらしい道標があった。クラハラ道と言うらしい。
 藪が刈られていて歩きやすくなっていたが倒木、ヤブのために旧道のやや下に、あるいはやや上に付け替えられていたところもあったように思われた。だが、適切な道標のおかげで迷うこともなかった。
 おそらくだが、昔は大阪側から御所への近道だったのだろう。水越峠を下って名柄から北へ歩くよりこの道の方が近道だったのではないか。
 昨日の北山道もそうだったが、この道も登山者そのものは年間を通じて多いとは思われず、山仕事で入るくらいだろう。むしろ通行者はイノシシがメインかと思われる。爪あとを見ると鹿のようにも思われたが鹿の糞が見当たらないし、葛城山域で鹿を見た記憶もない。時々がさごそと聞こえたのはイノシシではなかったか。

吐田平


 尾根を下って車も通れる一般道に出た。そこが吐田平。前々からここを一度見ておきたかったのである。なんであそこは切り開かれているのか。遺跡があるのかと思ってみたり。
 奈良盆地南部が眼前に見える。
 少し下ると乳牛を飼う小屋があった。でっかい乳牛だった。ひょっとすると放牧場だったか?

 ほどなく九品寺。その隣が駒形大重神社への参道。無事帰れたぞ。