漢詩に興味を持ったのはせいぜい六、七年前のことである。ひょんなきっかけで『漢詩紀行』を見始めた。朗読は江守徹と中村吉右衛門。漫然と見ていたのだが、たまにはこれはいいと思う詩にも出会う。
その後録画したり、漢詩集を買ったりして少しずつ覚えていった。
この「清明」もそのうちのひとつ。
僕はいまでも時々、「牧童 遥かに指差す杏花の村」と反芻する。
雨に煙る中、牧童が指差した遥か彼方に、淡い杏の花の咲く村が見えるようである。
専門家の研究では、この詩は杜牧ではなさそうである。誰であってもいい。無名氏であってもいい。名詩だと思う。