再び、母を見舞う (May 7/10, 2003)
母は、熊本中央病院心臓血管外科に転院し、5月8日、手術を受けることになった。
二月にいったん退院したもののまたもや発作があったらしく、玉名中央病院が紹介状を書いたのだという。
今年の田植え、稲刈りを念頭に置いたものと思うが、母は、手術を11月まで待てないかと聞いたそうである。医者は、今度倒れたらアウトですと言ったとのこと。
じっさい、周りに誰もいない田んぼで倒れたらまさしくアウトだ。
5月7日(水)
朝、実家へ帰り、午後兄と一緒に母を見舞う。
翌日が手術のせいか、早々に入浴、僕には意外と元気に見えた。
リンゴをむいてくれた。
看護婦さんがこれから手術までの予定について説明にくる。
「明朝8時半には手術室へ入ります」
手術室の場所、術後に入るICUへ案内。見舞いで入室する際の手順についても説明あり。
「全身麻酔ですので手術中のことは何にもわかりませんが、手術が終わって麻酔が取れて目が覚めるとここにいます」
担当医が来て、検査の値から、なんとか手術は持ちこたえられるでしょう、と。
4時に医者から手術の説明がある予定なのだが、きょうの手術が長引いているのか、結局5時半になった。
執刀医と担当医、看護婦が二人。母、兄、僕の三人で話をお聞きする。
手術は二つある。
(一)
心臓の弁がひとつ硬くなって機能を果たしていないから、これを人工弁に取り替える。 人工弁は2種類ある。ひとつはプラスチック製。長持ちするが血栓ができやすいらしく、血液をさらさらにする薬を飲み続けなければならない。若い人であればともかく、高齢だから今後ほかの病気を引き起こすケースも考えなければならず、そのときこの薬が悪い作用を及ぼさないとも限らない。
もうひとつは、動物の弁を加工したもの。これだと余計な薬は飲まなくてもよいが、15年ほどで不具合が出る場合がある。
母の年齢(73歳)から考えて後者を使用するつもりだがよいか?
「よろしくお願いします」
とは言ったものの、15年経てば88歳、平均寿命を越えてはいるだろうが、まだまだ生きて元気でいて欲しい。言外に、「寿命はあと15年以内」と言われているようでちょっと釈然としなかった。
手術としては、心臓から出る大動脈を切り、そこから内視鏡を使って悪い弁を切り取り新しいのと付け替える。直径は2mm単位で、23mm、21mm、19mmとあり、母の弁の大きさにより近いものを使う。18mmのも用意している。
(二)
心臓へ行く3本の大きな血管のうち2本が動脈硬化を起こしているので、別に2本バイパスをつけてやる。
一本は体内の血管を、もう一本は腿から取る。
その主要な手術時間は約2時間から3時間。その間、心臓を停める。人工心臓によって体内に血液を送る。
長く停めておくのは良くないそうだ。
大量の出血のケースもあり得るので輸血する場合もある。同意書が必要だがよいか?
黄疸、肝炎などの心配もあるが、これとてお願いするしかない。
手術は約5時間から6時間。3時ごろには終わるでしょう。
生命リスクは2%から3%。
何か質問は?
「このパーセンテージはちょっと高いのではないでしょうか?」
高いと思いますか?
「はい。高いと思います」
個体差があるので難しいところだが、過去3年間で500回の手術をやって、厳密に言うと1.6%くらい。
ありがたいことに母はわりと平然とむしろさばさばしながら聞いていたように思う。
「だめなときは、それまでのこと」。よろしくお願いするしかないのもまた事実だ。
病室へ戻ると晩御飯が来ていた。母は、いつもどおりの食欲だ。
母は楽天家なのだと思う。
ずいぶん前のことだ。どこの占い師から聞いて来たのかは知らないが、兄が言っていた。
「うちはおふくろでもっていると言われた」のだと。
そうかもしれない。
5月8日(木)
8時を少し回ったところで病院着。病室にはもういなかった。
処置室で体ひとつ分のストレッチャーに母はいくぶん窮屈そうに横たわっていて、昨晩からの出来事をすっとぼけた表情でひととおり話をする。
「じゃあ、がんばって」と兄弟ともども声をかける。
8時25分に手術室へ。
兄と僕は待合で待つ。
兄は童門冬二の『新撰組』、僕は大峰の地図を広げる。
9時。麻酔が効いてそろそろメスが入った頃だろうか?
「腿から血管を取るのが先だろ?」
そうか。
時間は遅々として進まない。おかげで、大峰のまだまだ行っていないルートを整理することができた。ボールペンはあるがメモ用紙がない。定期入れの中に、Ko'zの割引券があった。裏にリストする。
昼近くになって交代で昼食。僕が先に行く。
兄が置いて行った『新撰組』をぱらぱらと捲っているうちに、結局夕方までで読んでしまった。
15時。
執刀医から説明があった。
手術はおおむね時間通りに完了。弁は19mmを使った。
取り除いた弁を見せてくれた。黄色く固まっているのはカルシュウムでしょう。
術後の出血もいまのところ多くはない。もし、大量の出血が見られるようであれば再び手術室へ行きます。
今後容態がどうなるかを見ますので、いちおう6時まで院内にいてください。
18時。担当医から話があった。
麻酔からはまだ覚めていないが、容態は安定している。この分だととくに病院で泊まっていただく必要もないでしょう。今日はこれで帰宅していただいて結構だ。
手術時、予定量以内で輸血はした。いまぶら下げているのは、ご本人の血を戻してやっているところです。
5月9日(金)
6時起床。
兄嫁によると、病院へ行くまでにいくつか用事があるようだ。
まず米を搗く。納屋の精米機に米を入れてさて何分回したものか?
母は小一時間と言っていた、と。
「て、ことは30分よねえ」
機械のそばで見ているとお米が機械の中を対流して下にある管を通るとき糠を落としているようだ。あらかたの糠が落ちてしまうと次にお米そのものを搗きにかかっているようだ。糠の色が変わってきた。米もだいぶ白くなったようである。
「これくらいでよかよ」
なあんてことで終わりにする。米がまだ熱を持っているので袋に入れてしばらく口を開けておく。
次に裏の畑のグリンピースを摘む。ハサミで切るのではなく、手で千切る。
「どのくらいのを?」
「大きいのを適当でよかよ」
兄嫁と二人でスーパーの買い物袋にふた袋にはなった。
ついでに隣の畝のジャガイモを掘る。新じゃがである。
次に、田んぼの端にあるソラマメを摘む。これまた適当に大きくなったのを。
都会のスーパーで買えばずいぶん高い。無造作と言ってもよいほどただ一列に植えてあるだけ。
これも本来母の仕事であったようだ。
歸園田居 其三 陶淵明
種豆南山下 豆を種う 南山の下
草盛豆苗稀 草盛んにして豆苗稀なり
晨興理荒穢 晨(あした)に興きて荒穢を理(おさ)め
帶月荷鋤歸 月を帯びて鋤を荷って帰る
道狹草木長 道狭くして草木長び
夕露沾我衣 夕露我が衣を沾(ぬ)らす
衣沾不足惜 衣の沾(ぬ)るるは惜しむに足らず
但使願無違 但だ願いをして違うこと無からしめよ
五月晴れの朝のことだ。
僕にはいろんな思いがよぎった。
ソラマメを摘み終えるとさっきのお米とダンボールに入れ、ひと箱でいけるか2個口にしようかと兄嫁が思案している。
そうだったのか。大阪へ送るのだったか。
こうゆうふうにして送っているのだったか。
さて、そろそろ病院へ。
母はもう麻酔からは覚めていた。術後もおおむね順調のようであるが言葉はまだ聞き取りにくい。喉が渇くという。指先も白く見えた。
看護婦さんはいま飲ませると吐く危険もあるからと氷をひとかけら口に含ませた。
長居をすると疲れるようだ。
5月10日(土)
きょう、夜行バスで大阪に帰るので、また甥っ子が見舞いに帰省するから一緒に夕方の面会時間に行ってその足でバスに乗ることにする。
母は想像以上の回復を見せているようだ。
僕たちに気づくと、ベッドを起こしてもらうばかりではなく、自分自身が起き上がってベッドに座った。
きのう渇きぎみの唇も今日は普段と変わりない。指先も血が通っているように見えた。
看護婦さんが言う。
「予想より一日早かですね」
見舞いに行ったのは、僕たち兄弟と甥。
いずれ一般病棟に戻れば、むしろ兄嫁、姪の方が忙しくなるはずだ。
「男ん子、ばっかりだけんね〜」
そろそろ退出しようかというとき、母は看護婦にぼそっとそう言った。
ICUを出て、僕は外から手を振った。