稲村ヶ岳(Oct.7, 2000)

 久しぶりの土曜日の晴れ。稲村へ行く。晴れた日に出ておかなければ、もうすぐ明神平のオフ。体を作っておかないとバテそうだ。
 比較的近いし、楽な山だから日帰りで行く。ローソンでパンとおにぎりを買って洞川温泉に着いたのが9時15分ころだったか。荷物も軽い。
 9時40分。稲村登山口。緩やかな登りをひょいひょいととまではいかないけれど、ペースは快調だ。11時半稲村小屋。話には聞いていたが水洗のトイレが出来ていた。営業の小屋は健在で、少し拡張していたかもしれない。かつて幕営したことのある小屋の前の窪みはスロープが出来ていて幕営するには狭すぎる。
 無人小屋があった。登るたびに傷んで廃屋同然だったのがもはや影も形もなかった。この小屋では息子と山上ヶ岳から稲村へ向かう途中ここで昼食を取るべくお湯を沸かしたのだがなかなか沸かなくて、待つ間にずいぶん寒い思いをした。筋肉がこちこちになって結局稲村をあきらめたことがある。
 行きの車の中でおにぎりを二個食ったので、残りはあと一個とパンが二つ。おにぎりを食い、山頂を目指す。じつは大日のへつりまでは平坦な記憶だったけれど、小屋から少し登る。たぶん二年半ぶりに来たはずだ。

 大日のへつりを向こうへ渡るところは雪のない時期は今回が初めてである。なるほど、雪がなくてもほぼ平行にトラバースする感じ。じつは、これもまた一旦下るのかと思っていたのだ。
 稲村頂上へは道なり。山頂の下をいったん向こう側まで巻いて尾根に上がる。これは前回の雪の中を歩いたのと同じだ。と言うことはその前、先達の踏跡をたどったときは山頂直下から直登したが、これは雪があればこその芸当だったか。

 頂上から北側へほんのすこし行くとポッカリと見晴らしのいいところへ出る。そこからこれも記憶だけれど尾根沿いに修験道の行場になっているのかもしれない、何か剣のモニュメントのようなものがあった。そこへ行こうと思ったのだが、潅木を掻き分けながらでないと無理なようで、また尾根沿いだったか、少し下ったのだかの記憶も曖昧で、結局あきらめた。とにかくこの見晴らしのきくところから大日側へ下りる踏跡が雪の中にあった。

 大日へは前回雪の中でさすがに怖くなって途中であきらめた。今回初めてと言うことになる。とくに難しいことはない。前回の記憶では、右の潅木の根っこを掴んでよじ登るのか、左に出て尾根に上がるのかもしれないと思いつつもさすがに深い雪のこと、落ちたら斜面を果てしなく滑りそうだったのであきらめたけれど、正解は左へ上がり尾根に乗っかるのであった。

 小屋へ戻りパンをかじる。小屋も開いていた。トイレも開いていた。泊まりらしいおじさんが外でビールを美味しそうに飲んでいる。
 一休みした後、「では」と挨拶してレンゲ谷へ向かう。急な下りだし、下りきってからの林道を端から端まで歩くのは億劫だったが、同じ道を下るより変化があってよいだろう。
 ただ、これまた曖昧な記憶のせいだが思ったより遠かった。谷の下りも思ったより長かった。林道の長さは記憶どおり。結局林道だけでも1時間15分もかかってしまった。初めは元気に「六甲おろし」を歌いながらペースも速かったが、洞川温泉が近づくにつれて足の裏は痛くなるし、疲れてくるし、正直いやになった。

 やっとのこと温泉につく。車で「名水豆腐」へ引き返す。行く途中二丁予約していたのだ。さらに「ごろごろ水」を汲む。さすがにこの時期になると体が冷えてくる。温泉にはいり、体を温め汗をかいたシャツを着替える。
 なんでもない登山だったけれど、夏以来のイントロダクションとしてはやはり必要だと思っている。
 願わくば新しい山を考えるだけの勇気があればいいのだけれど。