蝶−燕縦走記(Jul.29-31,2000)

 この夏、湯浅と北アルプスの約束がなければ、きっとどこへも行かずじまいだったかもしれない。約束があったからこそ、言わば重い腰を上げて、近場の金剛山へも行ったし、伊吹、それから弥山・八剣。これらは梅雨に入って体作りのために、しぶしぶ、行かざるを得なかった。
 それほど山から遠ざかっていた。昨年の夏、彼と尾瀬へ行った。それ以来どこへも行っていなかった。この間何をしていたか? 何もしていなかったわけではない。しかし、…、まあよい。とにかく、この夏、湯浅と約束どおり北アルプスへ行った。やはり行って良かったし、その余勢を駆って、先日薬師を縦走した。それはまた別の山行記録、ここでは表題について、振りかえりながら書き留めておきたいと思う。

7月28日(金)
 朝、会社のそばの旅行社で夜行「ちくま」の指定を取る。当日でも指定が取れた。
 車内でもよく眠れたほうだと思う。明け方、塩尻で、松本まであと10分のところで待たされる。踏み切りで車の脱輪事故があったらしく、先へ進めない。こんなことは初めてだ。湯浅は当日の指定が取れなかったらしく前日から松本入り。松本電鉄のホームで待っている。仕方がない。連絡を取り待ってもらうことにする。結局1時間遅れで松本着。松電との連絡がわるく、上高地へは結局2時間遅れで着く。きょうは蝶までの予定だから、取りたてて影響はないけれど。

 徳沢への途中、明神で、梓川を渡り穂高神社奥宮へお参り。徳沢で、6リットルの水を汲む。ザックの重さは22キロを少し越えていたと思う。水にこだわる湯浅のために、美味しい水を汲んで上がる。二人の水を合計すれば、大天井あたりまで持つだろう。
 それにしてもヨイショと担ぎ上げるとふらついてしまった。「これはきつそう」
 11時15分。徳沢を出て長塀尾根に取りつく。GWに一度経験があるが、今回もさすがにきつかった。昼食、休憩で少しずつ軽くはなるけれど、それにしても長い尾根だった。雪の時期よりは多少早いかと思っていたが結果的にはほぼ同じ時間がかかった。急登らしいけれど横尾から登ったほうがよかったかもしれない。とにかく、この長塀尾根はもうごめん蒙りたい。いくつものニセピークに気分が滅入る。
 6時蝶ヶ岳着。森林限界を超えると風がきつい。一人だったらまたもやテントを張れないところだった。ビールで乾杯。疲労困憊。どちらが先とも言えずこんこんと眠ってしまう。

7月29日(土)
 朝、相変わらず風はきつい。撤収するにもうまく石などで押さえてないと吹き飛ばされてしまう。ガスの切れ間に槍・穂が見えた。やっと北アルプスへ来た、そんな感慨を持つ。湯浅にしてみればなおさらかも知れぬ。
 小屋の中を抜けて、蝶槍。それからぐっと下る。再び樹林帯へ。人の往来のないところを見極めて、すこし外れて野糞。
 常念への取りつきまでに小さなピークを二つ三つ越える。写真家に出会う。彼とは、翌日の大天井まで何度か抜きつ抜かれつ、自然と挨拶をかわす。
 湯浅はしっかりした足取りだ。ふだん丹沢とかで訓練しているらしい。山向きだと思う。山でも大成しそうである。
 前回の雪のときと違って、道が少し違うような気がする。記憶にもよるけれど、憶えているところと、そうでないところがあり、そこは、もっと違う道を歩いた気がする。
 常念への登りはもっと面白かったはずだけれど、今回はただただしんどかった。頂上直下も前回はもっと違う道を通ったはずだけど、まあそれはともかくとして、お昼過ぎに常念山頂。結局ここも前回と変わらぬ所要時間だった。
 風は相変わらずだ。常念乗越、小屋までやっとこさ下りて昼食。予定は大天井までだったが、さすがに横通への急登を見上げるとうんざりしてしまう。僕は一瞬、明日は一の沢を下りようか、と思ったほどである。
 「今日はここまでにしよう」二人の意見が一致する。小屋前のテン場はすでに満杯。ちょうどその裏側にもうひとつ広いテン場がある。強風の中、やっと設営。ちょうど風の向きに垂直に近く設営したため、横風がきつい。
 「おい、風がきつくて眠れなかったんだぞぉ。風に押されちゃうんだよなぁ」
 「そうか、オレはゆっくり寝れたけどな」
 「そりゃ、お前のほうが風下じゃんかよぉ」

7月30日(日)
 朝は相変わらず風が強い。でも、天気は悪くなさそう。「よし、予定通り、大天井へ」。横通への急登もいざ取りついてみればたいしたこともない。風が余分な消耗を防いでくれたのかも知れぬ。樹林帯を抜けると、急登だけれど、風もあり、見とおしも良く、登りきると平坦でもあり、すごく気持ちのよい稜線であった。すれ違う女の子が「かもしかがいますよ」と教えてくれる。白いのが一頭。槍も綺麗に見える。
 大天井に9時半着。写真のおじさんは今日はここまでだと言う。きっと、狙っている構図があるのだ。それを、一日かけて待つのにちがいない。明日は槍へという。それもひとつのルートである。数年前、僕と息子は、燕から大天井、そして槍へ向かった。
 常念乗越から大天井までは今回初めて歩いたことになる。とてもいいコースだ。

 10時、大天井から燕へ。いったんぐっと下ったところに小林喜作のレリーフ。鎖場を上がるとあとは平坦な散歩道。かつての燕からの印象だと楽ちんなのだが、今回の逆コースではいささか登る。きついところもあった。
 でも昼過ぎには、いや一時を回っていたか、燕着。小屋の前でビールで乾杯。登りはこれで終わりだ。昼食。燕を往復し、この日泊まらずにおりることにする。合戦尾根で西瓜を半分ずつ。いつもの西瓜が入荷しなかったとかで、8分の1切れが700円だった。そう言えば息子と行った時は800円だったかもしれない。それから、あっという間に下りてしまった。途中、捻挫したおじさんがいた。パーティのひとりが救援を頼みに下りているとのこと。
 中房温泉で風呂。タクシーの運転手にこの付近の歴史的なことなどをお聞きする。穂高駅前でビールを飲み、晩飯。この近くに穂高神社があるはずだが、もう真っ暗。松本まで帰れば時間的に、開いている店が少ないかもしれない。松本へ引き返し駅前の公園に腰掛けてあれやこれやと四方山話。湯浅は仕事の関係で海外生活が長いのだ。ロンドンのオペラハウスの話などを聞く。

 「来年また行こうぜ」、そう約束して、それぞれ松本から逆方向の夜行に乗った。