薬師岳縦走記(Aug.11-14,2000)

前日(8月10日)
 天気図、ひまわり、週間予報等々を眺めながら、やはり行く事にする。
 朝、駅前の旅行社で夜行の切符を、スーパーで食料を。富山から折立までのバスを予約。補助席がひとつ空いているのみ、とのこと。
 昼間は寝ておいて、パッキングは夕方からでよい。
 ところが、昼食後、ほんの10分か20分は眠ったろうか。ぐっすりとは眠れないのだ。夜更かししたにもかかわらずだ。体はだるいし、脳みそだってぼおっとしてるのに、神経のどこかが昂ぶっている。薬師は初めてだし、遠出では久しぶりの単独行だから、緊張しているのにちがいない。仕方なく、テレビを見たりしながら夕方を待ち、パッキング。今回は水は2リットル。前回のように6リットルなんて馬鹿な真似はしない。水は向こうで補給するとして、総重量19キロ。まあ、三泊だしこんなものだろう。風呂、夕食。
 9時ごろ出発。まず、駅までの2キロを歩く。やっと、自分は山へ行くんだって気になってくる。

 夜行「きたぐに」は、寝台と自由席しかない。一時間前に大阪駅。楽勝で座れた。向かい合わせの四人がけの座席にもう一人山行きのお兄さんが座る。学生時代からの経験者のようでいろいろと話を聞く。太郎から雲の平、高天原の湯、槍の予定だと言う。富山発のバスはすでに満席だったから、有峰口発のバスに乗ると言う。
 「あはは、私の予約で満席になりました」
 今回の私のコースも逆(つまり室堂から太郎平)からすでに経験済みだとか。
 「室堂のほうが太郎平より標高が高いわけだから、室堂からのほうが楽だと思いますよ」
 「えっ? 薬師は太郎側にありますよね。ここがもっとも高いわけだから、それを済ませば、あとは基本的には下ることになるのかと思うんだけど」と、私。
 そんなやり取りをする。私が北向を選んだのは、山を下りたら室堂には風呂がある。室堂へ下りたら、帰りの交通機関が整備されているなどの理由にもよる。逆に太郎側に下りたら、風呂がない。帰りの折立から富山行きのバスが数本しかなく、時間をロスしそう。これらを勘案すれば、私の選択のほうが正しいと思う。しかし、いざ山行そのものについて考えてみた場合、どちらの認識が正しいかは、いづれ自分自身が身を以て証明することになる。ちなみに、私の周りに経験者が二人いて、二人とも室堂から入ったことを付記しておく。

初日(8月11日)
 富山から折立までバス。缶コーヒーを飲みながらパンをかじる。朝はあんまり食えない。水を補給し、そろそろ取り付こうとすると、夜行で一緒になった彼が到着。
 「やあ」
 「いつ頃着きました?」
 「20分ほど前かな。じゃ、お先に」
 「行ってらっしゃい」

7時50分、折立を出発。
  道は比較的しっかりしているが、けっこう急登もあり、車内では眠れたほうだと思うが体がしゃきっとせず、樹林帯の中で汗ばかりが遠慮なく噴き出してくる。40分後に最初の休憩。結局、この登りはこの間隔で休憩をとることになる。このとき初めて折立で汲んだ水を飲む。
 軽い、じつに軽やかな味だ。
 これは有り難かった。水が美味いのは何より有り難い。今回の山行、小屋、テン場で補給した水はすべて美味しかった。森林限界を超えると水には苦労する。天水に消毒液を混ぜたのも飲んだことがあるが、これはまずい。
 背中でブチッブチッと音がする。何の音かわからない。ザックの中のテントシートが何かと擦れているのだと思った。
 2回目の休憩のとき、トマトを食べる。3個持ってきた。一日一個。山では生鮮食料に不足するからとても貴重だ。それとレモン一個。今回の生鮮食料はこれだけ。体を動かしているとき食べる。

9時50分。1870メートルの三角点を通過。
  ここを過ぎると森林限界を越える。その後は高原状で見晴らしも良く、道もゆったりと作ってある。いくぶん登りはするけれどさすがに気分がよい。
 11時25分、4回目の休憩。太郎小屋も見えるし、ガスの切れ間から薬師山頂も見える。空は高いし青い。ここまで来れば一安心。さっきのブチッという音は何だったのかとザックをみると、天袋と肩とをつないでいるストラップの天袋側が左右ともに約半分取れかかっていた。その糸が切れる音だったのだ。ほうっておけば左右ともに切れてしまう。そうなると背負ったときのザックの高さがずいぶんずれ落ちてきっと山歩きどころではなくなるだろう。考えた挙句、補助用に持ってきた二本のストラップを天袋と肩の間に通して、天袋にかかる負荷を軽減してやることにする。これなら、もともとのストラップが万一切れても大丈夫だ。
 この補助用のストラップはテントを撤収する際、テントシートをザックの外に縛り着けるために持って来たものだ。テントシートをザックの外に縛るようにすると、撤収のときの段取りがじつに効率的なのだ。テントの中で、まず寝袋そのほかをザックにつめ外へ出る。テントシートが残っている。それをザックの外に縛り、テントそのものを最後にザックに詰める。テントシートをザックに入れるとなると、まず、すべての道具をいったんテントの外へ出し、寝袋の次にテントシートをザックに入れてやらないとうまく入らないのだ。好天ならまだしも、雨だとすこし厄介なことになる。
 でも、この補助用のストラップを持って来ておいてよかった。

12時半、太郎小屋着。
 昼食はうどん。思ったより早く着いた。テン場まではここから15分。今日の予定はここまで。
 今回のルートで山中三泊の予定は、私たち一般の登山者としては常識的なところ。これだと一日の行動はせいぜい6時間ほどだ。早朝から動けばお昼には次のテン場に着いてしまう。これを二泊でやろうとすると、一日10時間、あるいはもっと動かなければならなくなる。無理をする必要はない。
 太郎平からの眺めを堪能する。
 ほどなく、車内で一緒になった彼が到着。「やあやあ」

13時40分。薬師峠のテン場着。
  早々と設営。夕方まで50張り以上になったと思う。
 酒を飲んでうとうとしかけるとぼとぼととテントを叩く雨の音。
「あらま。ええいどうとでもなれ」
 半ば酔っているし、眠いし、テントの中だし投げやりな気分である。一時間、あるいはもっと寝ていただろうか、5時過ぎに目がさめると、もはや雨もやんでいる。夕食を作る。今日はカレー。レトルトのご飯とカレーを暖めるだけ。
 水場は少し下りた沢沿いにある。冷たくて美味しかった。食器を洗うときなど手が切れそう。
 食後、雨に濡れたチングルマや、ニッコウキスゲなどの花を撮る。夕日があたって逆光でとても瑞々しい。
 月夜だったけれど、星がとてもきれいだった。

二日目(8月12日)
 いよいよ薬師へ。6時20分出発。樹林帯の急登を一時間ほどでやっとこさ抜けると眺望抜群、槍が見える。太郎から黒部五郎への穏やかな稜線、その縦走路が見える。谷を挟んで平らに見えるところは雲の平だろうか。
 小屋あるいは、テン場から空身で薬師を往復する連中がそろそろ下りて来る。大半がこのように空身で薬師を往復する。
 「もう、抜群によかった。立山、剱も見えたよ」

9時15分。薬師岳山頂。
  4人組のおばさん。夫婦連れ。学生らしき3人組。単独者。それに私。
 さて、北へ向かうのはいるのだろうか? いささか不安でもある。私だけだったらどうしよう? 夫婦連れの前を通りぬけるとき話をする。彼らも北へ向かうという。四人組のおばさんたちもそうらしい。
 「なんだぁ、そうかぁ。じゃ、お先に」
 と一安心。この後、この夫婦連れ、四人組のおばさん連中とは抜いたり抜かれたり、追いついたり追いつかれたりしながらつかず離れずの山行となる。  薬師をほんの少し下りたところで休憩。フルーツポンチ。ここで四人組が追い越して行く。埼玉かららしい。もうにぎやかなパーティである。

10時半。北薬師。
  そろそろガスが出てくる。また、逆コースからのパーティにも出会う。おそらく70ちかいおばあさんに見えたが、彼女がリーダーらしい四人組のパーティにも出会う。ずいぶん達者である。むこうの様子を聞いたりする。

11時45分。間山。
  ここまで比較的楽な道で、先を行く埼玉四人組を追い抜く。彼女達も決して遅いわけではない。休憩をちょくちょくとるので追い越してしまうのだ。間山で、夫婦連れが休憩していた。
 ここから、次の宿泊地、スゴ乗越まで一時間ほど。下るだけだし、もう楽勝気分である。
 「明日のスゴの頭への登りがきつそうですね」
 「そうらしい。さっきすれ違った人は、あの下りはきついって言ってた」
 じっさい、目の前に見える。私達はあれを登り返さなければならない。
 再び樹林帯に入る。そろそろ一時間になるが、小屋がまだ見えないし、乗越と言うくらいだからもっと下りないといけないと思っていると、巻道が左へ曲がると、建物が見えた。
  「あれっ。何だ。ここかぁ」
 すぐ、小屋の前のベンチに到着。12時55分。逆コースからの到着組。先の夫婦連れなどなどで賑わっている。
 「もっと下ると思っていたのにねえ」
 「明日は大変よ。あれを登るんだから」
 「あれはきついと思う」
 などなど、目の前のスゴの頭までの急登で話題は尽きない。それを下ってきた連中が脅かすのだ。
 「やれやれ。ホント大変そう」
 食事を済ませ一服すると、
 「なあに、いざ取り付いたらどうってことないですよ」
 「そうそう、そう思わないとダメよ」

 テン場にはすでに学生の大テントを含めて7張りほど。ここのテント場は小さい。考えてみればここまで来ればもう逃げられない。行くにも引き返すにも遠い。時間に余裕があるのが唯一ありがたい。
 私の隣は単独行のおじさん。人見知りするタイプなのかおとなしい。こちらから話しかければ会話になる。と言って、あれこれ話しかけるほどの親しみも感じない。設営後、サンダルを履いて寝袋やテントシートや靴下などなどを干す。好天である。なにやら小便臭い。小屋のトイレまで行くのが面倒なのか、みんなこの近くでしてしまうのだろう。まあ、無理もない。考えてみれば男はそれでよいが女性の場合大変だ。行動中にしてもそうだ。汗をかくから回数は少ないけれど、私達は平気でやるけれど、女性の場合そうもいかないだろうし。

 ふたたび小屋前のベンチへ。福岡からの夫婦連れにも遭った。なんと昨年オヤジッチさんに案内してもらった月隈遺跡、板付遺跡の近くだと言う。関西弁もいた。もちろん関東からのも。単独行の良さは会話する相手がすべて他者であるということだ。誰とも気がねなく話ができる。パーティを組むとどうしても内側だけの会話になってしまう。
 そろそろ寒くなりかける頃までひとしきり山談義、気象談義である。いろんな人がいる。聞いていてなるほどもっともだと思える話もあれば、自分の山行を自慢しがちな人もいる。
 夕食はマーボー豆腐。ここの水も湧き水らしく美味しかった。

三日目(8月13日)
 5時ごろ小屋のトイレに向かうと、埼玉四人組はすでに出発。テントをたたんでいると、夫婦連れ。
 「おはようございます。どうです天気は?」
 「うん、大丈夫みたいよ」
 私はすでに雨具を着けている。ガスに包まれているし、台風の影響で雨の心配はあった。
5時35分。スゴ乗越発。
  
きょうは五色ヶ原まで。ここまで行って泊まれば、明日は帰れる。
 いったんさらにぐっと下り、下りきってスゴの頭への登りに取りつく。いざ取りついてしまえばどうってことはない。ただ、段差にきついところでどこに手をかけ、足をかけるかに気を使う。登りだからまだよい。下りだとさぞ大変だったことだろう。谷を挟んで、スゴの小屋が見える。上に見えていたのが、目と同じ位の高さになり、ついには下に見える。急登だからその変化も急である。
 樹林帯が切れるとそろそろ頂上が見える。みんなが手を振っている。
 「えっ? オレに? 誰が?」
 私も手を振ろうかどうしようか迷ってしまう。手を振ってくれるほど親しくなった人もいないのに。もうそろそろ頂上かと言うときに、
 「おおい、早くこいよ〜。ブロッケンが見えるぞ〜」
 「ええっ!」
 気分は心持ち急ぐけれど体は急には反応しない。

7時05分。
 それでも、やっとこさピークに到着。問題のひとつをこなしたことになる。
 谷はガスで埋まっている。背後から当たる朝の光で自分の影がそのガスに映る。それを丸く取り巻く仏様の光背のような輪。それが二重に見えるときもある。自分の影かどうか、誰もが手を上げたり振ったりしている。初めての経験だ。正直言って感動した。写真に撮れるだろうか?
 「う〜ん、どうだろうねぇ」
 露出を3段ほど変えて撮ってみる。どれかひとつでも写ってくれてたらいいのだけれど。
 「そうよなあ、私に手を振ってたわけじゃないよねえ」
 もう爆笑である。若いカップルが先に越中沢岳へ、夫婦連れが次に、私と四人組が残る。
 「お兄さん、写真撮ってぇ」
 「三百円だけど」
 「うん、後で小切手で払うから」
 相手も負けていない。埼玉から来たという。
 逆コースから来た男組も、「写真を」と頼むので、「五百円ですけど」。
 彼らは、越中沢岳を向こうに下りたところの平坦地で幕営したと言う。つまり、五色が原に泊まらずに来たということだ。三泊ではなく二泊でやろうと言うことになる。
 昨日、間山付近で若い女性の単独行にあった。夫婦連れの話では彼女もそこで幕営したらしい。上には上がいるものだ。

 埼玉四人組が先に行き、私はここでトマト。きょうはけっこうきついらしい。栄養を取っておかなければ。
 ここからさらに下り、越中沢岳へ再び登り返す。ここも急登。かつ、岩場である。スゴの頭へは樹林帯の中の急登。ピーク近くで岩場だったが、ここはずっと岩場。稜線上だけではなく、巻いているところもあり、右側が切れているし、歩きにくいし、すこし緊張する個所もあったが、これも慎重に進めばどうってことない。これも登りだからまだましだったのかもしれない。下りのほうがより神経を使う。
 薬師、北薬師がきれいに見えるところがあった。休憩を兼ねて写真を撮る。ここからの眺めはすばらしい。見とれてしまう。

8時55分。越中沢岳。
  夫婦連れが待っていてくれた。40分遅れだと言う。まあ、そんなものだ。五色ヶ原へは、鳶山へのもうひと登りがある。きょうはみっつもしっかりした登りがあるのだ。いまになって、今日が最大のクライマックスであることに気がつく。
 「じゃ、お先に。五色で」と夫婦連れが先に立つ。私はゆっくりと休憩する。時間の余裕はあるのだ。フルーツポンチを食う。
 埼玉四人組が到着。この頃、私はひそかに彼女達のことを「埼玉フォーリーブズ」と名づけていた。
 「大阪の兄ちゃん、写真撮って〜」
 「はいはい」
 「五色でビールご馳走するからね」
 薬師、北薬師の頂上付近にガスがついている。さっき撮っておいてよかった。彼女達は、「ガス待ちネ」なあんて軽口を叩いている。これも、時間の余裕があるからだし、これで二つの急登をこなした安心感もあるからだと思う。
 記念写真を撮ってやった後、先に下りる。ぐっと下ると広い稜線に出る。ここで幕営したんだろう。広々として気持ちがいい。鳶山の登りにかかる前に、樹林帯がある。前も後ろもだれもいない。
 ザックをおろし、ルートを離れ、野糞をする。私は小屋のトイレはきらいだ。
 鳶山の鞍部で休んでいると、埼玉フォーリーブズが追いつき追い越す。登りの途中でまた追い越す。ここはピークを踏まずに巻いて尾根に出る。一面のお花畑。圧巻である。すばらしい。尾根に出ると後は下る。五色ヶ原に下る。きょうのアルバイトは終わった。木道に出るともう小屋が見える。あたりは雪渓が残っている。今年はとくに雪が多かったらしい。

12時05分。五色ヶ原山荘。
  夫婦連れが「やあやあ」と迎えてくれる。
 「一時間遅れ?」
 「30分くらいだな」
 小屋で手続きを済ませて、テン場まで。これがまた遠い遠い。地面が石などで固くペグが刺さらない。無風なのが有り難い。石で固定する。設営が終わる頃、隣のテントの若いカップルが出てきた。見覚えのある顔だ。
 「ひょっとしてスゴから?」
 「はい、そうです」
 と言うことは、前日は薬師峠に泊まっている。たぶん同じコースを同じ日程でこなして来ていることになる。
 昼食はまたもやラーメン。しばらくうとうとした後、木道を散歩。先にいたおばさんに花の名前をいくつか教えてもらったけれど忘れてしまった。ひとつ憶えているのは、チングルマの花だ。いままでずっとチングルマは毛状のものがふさふさしているのだと思っていたのだが、それはチングルマの実だと言う。その前に花が咲く。その花を教えてもらった。雪解けの場所によって、まだ花のものと、もう実になっているのとが同時に見られる。木道を一周して小屋へ。ビールを買いに行くと、夫婦連れの旦那が所在なさげに外でタバコを吸っている。小屋内は禁煙なんだそうだ。
 木道に腰掛け話しこむ。
 「明日はあれを登るんだってよ」
 「えっ?」
 これまた急登である。獅子岳である。たしかに道が見える。彼らは栃木から来ていると言う。どのルートで帰るか悩んでいる。私は私で、明日は早立ちをしようと思っている。室堂まで早めに下りて、みくりが池温泉で風呂に入って、とりあえず立山か富山まで早めに出ておかないと席が取れないかも知れないからだ。
 ビールをもうひとつ買って、「じゃまた明日」と別れる。
 晩御飯は鮭のおかゆ。満腹とまではいかないけれど、おなかにもたれないのがいい。

四日目(8月14日)
 撤収はヘッドランプをつけて。
4時50分。五色ヶ原発。
 隣の若いカップルがすぐ追い越していく。獅子岳への鞍部で休んでいる彼らを追い抜くのはいいのだけれど、登りの途中ですぐ追い抜かれる。
 獅子岳への登りも急である。途中までは調子がいいけれど、徐々にペースダウンしてしまう。それでもきょうだけは、先を急ぎたい気持ちもある。獅子のピークはいくつかのにせピークを越えたところにある。「まだかよ」って、気分が滅入りそうだ。やっと本当のピークらしきものが見えたところの広場でカップルが休憩している。もうひとつ腰掛けるのにちょうどよい岩があったので、「じゃオレも」と休む。雷鳥がいる。

6時50分。獅子岳山頂。
  
カップルが休憩。逆コースからの10人ほどのパーティ。ガスの中で展望が利かないので、ピークを示す標識をとんとんと叩いて挨拶だけして休まずに先へ行く。どうせカップルにはいづれ追い越されるのだ。彼らは本当に足がしっかりしている。彼だけではなく、彼女もまた。雪渓を3本渡る。久しぶりの雪渓ですこし緊張する。渡ったところで、ぽつぽつと雨。厳密に言うと雨というより、ガスが飽和点に達して水滴を作っているといった感じだったろうか。でも、私には「雨になる」と思われ、さっそく雨具をつける。雪渓を渡って来たカップルはアイゼンを履いている。用意周到である。
 さて、と再び動き始めると晴れてきた。「ありゃ?」アイゼンを脱いでいる二人と顔を見合わせる。
 「ほんと雨具の着け時って難しいですよね」
 「まあいいか、ダイエットだと思って」
 体の切れが極端に悪くなる。早朝、紅茶とどら焼き一個だから、そろそろおなかがすいてきたせいもあるかもしれない。飴玉はちょくちょく口に入れてるけれど。
 いよいよ最後の龍王岳にさしかかる。これが最後の登りである。地図上ではたいした登りにも見えなかったが実際はやっぱりきつい。岩の上をとんとんと登りいったん鞍部に下りてほんの少し登ると小屋が見えた。人も多い。

8時45分。地図で確認する。龍王岳頂上である。
 「なんだ、ここかぁ」  ガスに包まれているから、良くわからないのである。雨具を脱ぐと汗をかいた体に冷気が快い。どら焼きを食う。水を飲む。タバコを吸う。もはやここは下界のすぐ隣りである。人が多かったのは、すぐ下の一の越から上がってきたツアーの人たちだ。
 ガスが切れると、正面に立山がどんと見える。左には剱の頂上部分だけが雲が切れて見えている。下を見ると、室堂からの観光客を含めてもう人だらけ。
 気持ちのどこかではホッとしている。里が恋しいのだろう。天気も晴れてきた。
 着替えをザックの上に、濡れているけどテントを下に。もはや風呂行きの用意である。一の越へ向けて一気に下り、室堂への観光用の広い道を、ちょうどこちらへ上がってくる観光客を掻き分け掻き分けながら大股で急ぐ。観光客は雄山までは普段着のままでも上がれる。それでもかまわないが、下りのために道のはしっこくらい空けてくれてもいいのに、横一杯に広がって歩く。恋しかった人ごみにも徐々にむかついてくる。
 それでも急ぎ足で室堂に向かう。雪渓を4本は渡ったろうか。やはり今年は雪が多いのだ。時計を見ると、9時45分過ぎ、どうでもいいことだが、9時50分前に室堂につけば、五色ヶ原から5時間を切ることになる。ちょうど後ろに、剱のほうから立山を通って下りてきた二人組がいて、「なあに、走ったらいけますよ」と言うので、最後の雪渓の切れかかったところから本当に走ってしまった。

9時49分。到着。
  
5時間を切った。万歳。すべて終了。
 と思いきや、この広場は室堂のターミナルではなく、小屋、室堂山荘前の広場だった。
 3人で大笑い。でも、よしとしよう。ここまで来ればもはや終わったも同然だから。

 みくりが池温泉で風呂に入る。久しぶりにゆっくりと浸かる。体をこしごし、頭も洗う。体重計に乗ると、70キロを切っている。3キロから4キロ近く体重が落ちている。もっともこんなのはすぐに戻るけれど。
 風呂から上がってビール。のどの奥がひりひりする。
 山靴をザックにしまい、サンダルに履きかえる。
 室堂のターミナルから、時間のロスもなく、11時20分の美女平までのバスに乗る。美女平でそばを食う。ケーブルはひとつ待っただけ。立山ではすぐ電鉄に乗り富山まで。
 ところが、富山から大阪行きは指定は当日すべて満席。困ってしまった。仕方がないから名古屋行きの指定をとる。そこから近鉄でもいいし、時間次第では八百秀さんちで晩飯を食ってもいいかと思ったが、それだとますます遅れるばかりである。仕方がない、自由席で自分のザックにでも腰掛ければ、早く帰れる。いままでもその経験はある。そうするか。窓口に引き返し、大阪行きに変更してもらう。直近の特急は数分後である。昼飯を食っていない。売店で買う時間もなさそう。ホームに行くともはや電車は入っている。自由席の車両へ乗り込むとなんとがらすきである。富山発だったのかもしれない。
 車内販売でます寿しの駅弁、ビール。本当はもうひとつ弁当を食いたかったけれど、それはがまんした。
 本も一冊読めた。

5時35分。大阪着。

 振りかえってみると、室堂から薬師へだと少し登ってぐっと下る、少し登ってぐっと下るをスゴ乗越まで繰り返し、そこから薬師へ緩やかに登り、薬師から太郎平へぐっと下る、と言う行程であったろう。
 私達、埼玉フォーリーブズ、栃木の夫婦、若いカップルは薬師までぐっと上り、スゴ乗越まで緩やかに下り、そこからぐっと登り少し下り、ぐっと登って少し下りを繰り返したことになる。
 どちらが正解であったろうか。しかし、済んでしまったことだ。もはやたいした問題でもなかろう。なんとか行けたのだから。


(追記:本文の変更はないが、いささか読みづらかったのでページの幅を変更した。Aug.16, 2004)