新雪を踏んで。2001弥山。

1月13日(土)
06:15
 エコール・ロゼ前で待ち合わせた僕たちは、DOPPOさんの車で夜明け前の309号線を天川へ目指しました。途中、御所のバイパスの手前のコンビニで、昼食および、パン、ぜんざいなどを仕入れました。
 天川村役場へ着くと、意外にも風はなくむしろ暖かく感じました。役場の前の前栽の水は半分ほど凍っていました。

08:10
 隣の運動場を横切り、登山口へ。曇ってはいましたが、本当に無風と言っていいくらい。雪もまだありません。出掛けの天気図では、寒波の中心になる低気圧が北へ移っていて、近畿圏の等圧線はずいぶん間延びしていました。取りつきの樹林帯を抜け、見晴らしのきく鉄塔で小休止。
 ここでDOPPOさん、HAMAさんにメールを書いたのかしら。
 「虎さんに電話したらつうじへんかったから、あとでなんやろうと心配しはるかもしれへんから、心配せんようにゆうとかな」

10:10
 山道が一旦林道と出合う。この辺りまでくるとさすがに雪がある。
 ここから左の山道へ入るが、このまま山道沿いの林道を歩く。途中に木の階段があるはずでその階段を上り再び山道に戻る。その林道に犬と思われる足跡がずっと続いていた。

10:55
 栃尾辻。さすがにあたりは雪に覆われている。昼御飯にする。
 「弥山まで行けるかもわからんな」

11:10
 「さあ行こか」と、栃尾辻からの急登を上がる。雪の下が凍っている。雪が溶け再び冷やされて凍り、その上にまた雪が積もっている状態である。急登だけに滑りやすい。尾根の左を巻く二本目の急登で、
 「アイゼン履こか?」とDOPPOさん。
 雪はさらに深くなる。踏み跡はない。新雪のさらさらした雪が心地よい。風はない。
 平坦な散策道も一面の雪景色の中では初めてみる光景に等しかった。一面樹氷の世界である。もはや夏道の記憶を頼るしかないのだが、この雪の中ではそれさえも定かではない。テープとかすかな記憶を頼りに「右ですね」「左ですね」などと言いながら狼平直前のピークへ。
 さて、ここから狼平までの巻き道で僕がもっとも不安だった箇所がある。細くかつ左は谷である。そこを上手く通れるかどうか? その心配も杞憂であった。さらさらの新雪をさくさく踏んで何と言うこともなく通ってしまう。

13:40
 狼平。大休止。
 巻き道から狼平への下り。橋が見えた。橋を渡る時、左側には渓流のそばにつららが何本も下がっていた。
 DOPPOさん、沢の水を2.5リットルのポリタンクに。
 「DOPPOさん、それほんまに2.5リットルでっか?」
 「ほんまやで〜」
 沢へ下りる道の雪は深いし、沢の岩にもうずたかく雪が付いている。水も岸辺近くで凍っているところもあった。
 その中を流れる水がなんと澄みきって清らかだったことだろう。

14:10
 狼平から上へは木の階段が新しく付け替えられている。歩幅も高さも実に歩きやすい。
 その階段の三分の二は雪が積もっていて端っこを小気味良く歩く。階段が終わると雪は一気に深くなる。ずっと先を行ってもらったDOPPOさんの跡を付いて行くのだが、足の置き場次第では、ずぼっとはまってしまう。でも、樹氷のきれいさに見とれてしまう。
 弥山まであとひと登りの平坦なところで小休止。
 雪はさらに深くなる。

15:40
 新雪のさらさらした雪をさくさく踏みながら、時には足を取られながら慎重に登っていくと天川奥宮の鳥居が見えた。
 「やっと着いたで。鳥居の高さがこんなやで」とDOPPOさん。
 雪が積もっていて鳥居が頭につかえそうである。
 「避難小屋開いてるかなぁ」
 DOPPOさんがドアをヨイショと引っ張ると、すっと開いた。
 「開いてるわぁ」
 15:40であった。弥山にはこの日、DOPPOさんと僕の二人。
 アイゼン、靴を脱ぎ小屋に上がる。被っていた帽子も凍っていた。
 歩くのをやめると、小屋の中とは言えしんしんと冷える。足の先、指先が冷たくなってくる。備え付けの毛布を敷き、さらにひざの上からもう一枚かける。

 ザックの中のものを出し、そろそろ夕食にする。酒を燗しようか、お湯割りをしようかと、ポリタンクの水を鍋に移そうとさかさまにするけれど出ないのだ。
 「DOPPOさん、水出まへんで」
 「なんでやろ」
 良く見ると、水の上の辺りが凍っているのだ。
 「凍ってますやん」と真中あたりをぐっと押すと勢いが強すぎたのかドバッと鍋ごとひっくり返してしまった。
 「あちゃちゃ〜」とタオルで周りを拭う。そろそろ沸きかけた頃、今度はふとしたはずみで焼酎を入れていたボトルをひっくり返してしまった。またもや辺りをタオルで拭くことである。
 酒を飲みながらひとしきり歓談。お湯が沸いて、牛丼のレトルト、御飯を温める。スープを飲み。紅茶。
 「砂糖あるで」
 なんだかDOPPOさんは魔法の箱みたいなのを持っているのだ。何でも入っている。よくあんな箱がザックに入るものだとひそかに感心してしまう。なんせザックは65リットルらしい。
 「足に貼るカイロもあるで」と、二つもらって中の靴下の上から貼る。
 毛布を敷いて、シュラフ、その上からさらに毛布をかぶせる。
 6時過ぎだったろうか、うとうとしながらとうとうぐっすり眠ってしまった。
 その間、小屋のドアをどんどんと叩く音がする。「おや、誰か来たかな?」「開けて入ればいいのに」「はーい、って開けに行かないといけないんだろうか?」
 そんなことを考えながらついに眠ってしまった。

1月14日(日)
06:15
 起床。12時間近く熟睡していたことになる。山では良く寝れる。普段の睡眠不足をこんなところで解消しているのだ。
 「雪がようけ積もっとるで。ひと晩じゅう降ってたみたいやな」
 外へ出ると、昨日にもまして真っ白。踏み跡も消えている。

 お湯を沸かそうとポリタンクを見ると、カッチンチンに凍っている。水やお湯を拭ったタオルも変な形のままカッチンチン。
 「雪を取って来ますわ」
 雪は溶けるとその量は格段に減る。何度か外へ掬いに出る。ようやっとお湯ができ、栗ぜんざい。パン。ほうじ茶。そして、紅茶をテルモスに。
 昨日のドアを叩く音は、どうやら風の仕業だったようである。
 冷え込む朝のこと、シュラフから出ると、指先が冷たい。能率よく動いているつもりでもやはり鈍いのだろう。ザックに荷物を積め込み、毛布を片付け、箒でひととおり掃除を済ませ、再び靴、アイゼンを履き外へ出たのは8時40分くらいだったか。
 なお、朝の小屋の中はザックにぶら下げた温度計ではマイナス10度だった。

 小屋の前も雪は深い。国見覗へ出てみるが、曇り空で周りは何にも見えなかった。雪もちらついている。「八剣へはこっちやね」と標識の前を通るけれど、道が定かではない。とにかく雪が深いのだ。地面に足が着いている感触がない。テープが見えているところがあるので、たぶんこっちだろうと推測は出来るけれど、さてこれからさらに足を踏み入れても、鞍部に向かって正直どれくらいの雪が溜まっているのか見当がつかない。がんばって行っても時間がどれだけかかるかわからない。帰路についても、昨日より雪が多いのだから、それもまた心配である。などなどの理由で、八剣はやめとこうと言うことになった。  お互いに、多少はザンネンな気持ちはあったが、やはりここで無理はできない。
 これは正解だったと思う。

8:55
 さて、再び小屋に戻り、ザックをかついで下山。昨日よりさらに雪は積もっていて当然のことながら踏み跡も消えている。昨日小休止した、山頂直下の平坦地までも「あっちだったか、こっちだったか」と。
 ここでも、DOPPOさんの判断は正しかった。

10:00
 狼平。沢は昨日よりさらに雪で覆われている。どうやら、昨日僕たちの後を来た人がいるようだ。踏み跡から判断すると、ここに泊まり下りて行ったようである。

11:55
 栃尾辻。昼食。途中から昨日の林道に下りる。その道が一目瞭然に雪が増えている。

14:20
 天川村役場。いままでなら、ここでやっと終わった。風呂に入って帰るか、ってところだが、ここからまたもう一つの物語があった。
 いや、物語ではない。実話だ。
 山道を下りて、運動場を横切る。昨日はなんでもなかったのに、今日は真っ白。
 役場の駐車場も5センチほどの積雪。

 橋を渡って通りへ出ると、凍結している。
 天川川合の三叉路はこちらからだと登りになる。
 「登れるかなぁ」とDOPPOさん。チェーンを巻くことになる。DOPPOさん、念の為に前日調達したのだとか。「うーん」と唸ってしまった。本当に必要になる事態が発生しようとは。さらに、用意周到なDOPPOさんにも。
 最初はチェーンを敷いて車をバックさせるのだけれど、微妙にタイヤとチェーンがずれてしまう。ジャッキでタイヤを持ち上げ、一つずつ装着する。自動車学校でチェーンの着け方をビデオで見たことはあるけれど、実際に着けたことは今までに一度もない。
 「なるほど」と感心しながらお手伝いをする。
 トンネルを二つ、三つと過ぎ、黒滝茶屋で、
 「こんにゃくを食おうや」とDOPPOさん。
 でも、どうやら今日はやってないらしい。DOPPOさん、残念でした。

 秋津荘でチェーンを外し風呂。
 僕は乗っけてもらっただけでしたが、DOPPOさん、さぞ神経を使われたことでしょう。
 ビールをご馳走になりました。

 雪のある弥山・八剣はかねてより行ってみたかったコースのひとつ。しかしながら一人ではとうてい無理。最高のパートナーを得て、その念願を果たせた。DOPPOさんには心から感謝を申し上げます。
  虎さん、牛丼、チョコレート、チーズ、美味しかったです。