比良で雪と格闘する(Feb.3/4,2001)

(一)
 「きたろう」の山口さんとは、15年の付き合いになる。酒は何度も行ったし、山も三回ほどご一緒させていただいた。伊吹に二回。比良にも一度一緒に行った。古い記録を見てみると98年2月7/8日である。その時は雪は比較的少なかったようである。八雲ヶ原に幕営し、早朝武奈へ上がったが、頂上まであとわずかの稜線に出たとき、猛吹雪に遭った。前へ歩けないどころか、右へ押されてしまう。雪の詰まった溝に足を取られる。すぐそばにいる彼の声が聞き取れない。彼は来た道を指差している。「下りよう」という合図なのだ。
 樹林帯まで戻るとさっきの吹雪きが嘘のよう。
 「まあ、あそこまで行ったら、登ったも一緒やで」
 「そう、そうやね。ほんまやね」
 僕たちは、そう言い聞かせて再び八雲ヶ原まで戻り、帰りは堂満を経由した。
 でも、ほんまにほんまやったのか?
 気持ちのどこかで、いつかもう一度と思っていたし、比良の大雪を経験しておきたかった。

 1月26日金曜日のお昼のことだ。その山口さんと彼の勤務先近くの路上でバッタリと出くわした。
 「よお、久しぶりい」
 立ち話だったが、近況を手短に報告した後、
 「山口さん、比良行かへん?」
 「おお、ええなあ。行こか? 泊まるやろ? オレのテントで行こや。広いし」
 「わあ、うれしい。行こ行こ。ただ、明日明後日はあきせんよ。金剛山行きますねん。来週は行ける」
 「オレも来週やったら行けるわ」
 そんなことで別れ、コース、装備の分担、集合時間などメールでやり取りした。
 コースは、イン谷から青ガレ、金糞峠、中峠、ワサビ峠、西南稜を武奈ヶ岳、八雲ヶ原に幕営。翌日は、堂満経由で下りる。
 テントは山口さん。晩御飯は僕。テントマットは、それぞれ広いシートと個人用の細長いのを持っていく。
 「そうそう、雪ハケもいるで」
 テントへ入るとき、靴やザックの雪を落としておかないとテントの中が水浸しになるのだ。毛足の堅いのが良い。

 腕時計のアラームを4時40分と5時に合わせる。女房にも、もし起きれなかったら起こしてくれと念を押し、焼酎をストレートでぐっと飲み布団に入る。
 目が醒めたのは4時半だった。大阪駅7時45分の新快速に乗るから、6時過ぎにここを出れば充分に間に合う。
 そう言えば、DOPPOさんも白髪岳へ行くとのこと。掲示板に「起きろ〜」とモーニングコールを書いておく。

 環状線の途中で、葛城山から朝日が昇った。少し早く着きすぎた。キオスクでお握りを3個。2個はすぐ食ってしまった。
 そのうち山口さんが顔を見せる。「きたろう」のほかの顔見知りの何人かにも出会う。10人ぐらいのパーティで蛇谷ヶ峰とのこと。

(二)
  9時、イン谷着。
 ボタン雪。無風。気温は高そう。道路にも雪は積もっているが凍結はしていない。すこし歩いて道を覆っている林の下でセーターを脱ぎ、防寒を兼ねた雨具、スパッツを着ける。
 「じゃ、行きましょか」
 「ゆっくりな」
 前回は堰堤の脇を上がる急登では、良く踏まれ凍結していたのでそこからアイゼンを履いたが、今回は雪は多いし、柔らかいので、踏趾にしたがって充分登れるし、歩幅が合わないところは靴を蹴り込んで足場を作る。青ガレでほんの一、二歩足の置き場に戸惑うところもあったけれど、それを過ぎて金糞峠で11時。
 「さすがに雪多いね」
 「昨日の新聞で130cmって書いてたかな」
 八雲ヶ原と中峠の分岐まで下り、そこで小休止。立ったまま、チョコやチーズやら、タバコを一本。
 「さあ、行こか」
 「はい、行きましょ」
 動作は僕がワンテンポ遅れる。

 中峠へはまず沢沿いに。僕自身は、この八雲と中峠への分岐から中峠までは初めて歩くコースである。トレースがしっかりついているから迷うことはない。がしかし、道標は分岐などのポイントごとにしかないし、テープ類もたくさんはなかったのではないか。気がつかなかった。この雪の量だと、トレースがなければ正直に言ってどっちへ行っていいかわからなかったろう。
 丸太の橋を二箇所渡る。平たく削ってあるが滑ったら沢へ落ちてしまう。沢へ下りる急傾斜では気を使う。滑って沢の中に足を突っ込みそうだ。
 木の枝の下をくぐる時、頭は通れるがザックが引っかかってしまう。ちょっと戻って再びぐっと腰を下ろす。這いつくばる、などなど雪まみれになる。手袋もすぐ濡れてしまう。
 木の枝を巻こうとしても沢側へ巻くから下手をすれば沢へ落ちてしまうかもしれない。
 沢沿いの道の両側はいままでに経験したことのない雪の量だ。
 沢を離れ中峠へ登るあたりで単独行のおばさんが休んでいる。
 尾根が見えて、もうすぐかと思ってからがまた長かった。
 「一本取ろか?」
 「そうしましょ」
 山側の雪にザックを置き、雪の上に座る。しっとりとした雪質だ。気温が高いのだろう。幾分水分を含んだ感じ。
 12時25分、やっと中峠。
 「昼にしようや」
 立ったまま、お握り、パン。テルモスにはお茶ではなくお湯。これには理由がある。
 「テントでお湯を沸かすやろ。それまでにお湯割りを飲むやろ。テルモスにはお茶よりお湯の方がええでぇ」
 中峠からワサビ峠へはしっかりとトレースがついていたが、コヤマノ岳への尾根筋のほうが人は少なかったのではないだろうか。細く不明瞭な感じがした。
 さっきのおばさんが上がって来て休まず谷へ下りていく。
 「お先に〜」

 「さあ、行くで」
 僕はタバコを吸うせいかどうしてもワンテンポ遅れてしまう。彼の場合、休憩の取り方、時間が長年の会の山行で身についているのだろう。ぐずぐずしない。
 「OK、行きましょう」
 谷への下りはなんなくトレースに従うが、ここもまたテープが少ない。ひとつ目に付いただけだった。それも雪道からずいぶん離れていたような気がする。
 「これ、ほんまにトレースなかったら行けませんで」
 先に下りたおばさん、途中から滑って下りたようである。
 谷では僕たちを抜いていったパーティが昼御飯である。

 さて、この谷からワサビ峠までがクライマックスだった。この取りつきでさっきのおばさんに追いつく。小さな谷をつめて行くのだが、トレースはあるものの足が潜る。潜れば股下まで沈んでしまう。抜くのにひと苦労する。片一方に力を入れるから今度はそっちもドボッとはまってしまう。
 「おいおいおい、何でやねん」
 結局今度は雪の上に両手を置き体を引き起こす。それが稜線に出るころまで何度も続くのだ。時間がかかって仕方がない。何もかもが雪まみれである。最初の頃は「あはは」なんて笑っていたけれどしまいには「何でこんなことしてんのやろ」と、この雪の多さには閉口してしまう。
 やっと尾根に出る。ワサビ峠の標識は、HAMAさんの写真と同様、文字のところが見えていただけだった。13時20分だった。おばさんが上がってきて、今日じゅうにロープウェイで下りるのだとか、
 「間に合わへんかったら歩いて下りますわぁ」
 元気なものである。僕たちが写真を撮ったりして休憩していると、
 「じゃ、お先に」とまた先を行く。

 尾根の上も、潅木の上を歩いていることになり、ところどころで又もやズボッと足を取られてしまう。
 小さなピークを過ぎたあたりから比較的歩きやすくなった。草付きの尾根、いわゆる西南稜に出たのだろうか。残念なことに曇り空、一瞬ほの白い太陽が見えただけだった。
 かつて武奈から西南稜を通ってワサビ峠、中峠と歩いたことがあるが、その時はあっという間にこの稜線を歩いてしまった記憶があるが、今回はけっこう長く感じられた。もう少し気温が低ければ雪面がクラストしてもっと歩きやすかったことだろう。
 やっと、八雲からの合流点に来る。
 「山口さん、やっと着きましたで」
 頂上の標識がガスの中で薄っすらと見える。
 ザックを置いてぶらぶらと頂上まで。14時25分であった。

 頂上直下でまたあのおばさんの後ろになった。「滑ったほうが早いわあ」
 僕たちもそれに倣う。ほんとに早い。わあわあ言いながら滑り下りる。
 八雲までは良く踏まれていて快適だった。
 15時40分、八雲ヶ原着。

(三)
 テントの設営は雪踏みから。何度踏んでもずんずん雪面は下がっていく。山口さんがピッケルで整地する。その上を踏むとまたぼこぼこと沈む。
 「こらこら、なにしてんねん」
 「踏んでますねん、なんぼでも沈みまっせ〜」
 結局50cmは踏んだことになろうか。ひととおり整地したあとテントを張る。
 マットはそれぞれテント用の広いのを1枚ずつ。さらにその上から個人用の細長いのを敷く。3枚敷けば充分断熱する。娘から借りてきた百円均一の卓上用のホウキでザックの雪を落とし中に入れる。
 「靴履いたままで入るからな。雪の上を歩いてるから、靴きれいやし。寝る前に脱いだらええから。ちゃんと雪落としときや」
 なるほど、これだと外へ出るのも億劫にならなくてよいし、足も冷たくならないだろう。

 さっそくテルモスのお湯でお湯割り。さきいかを肴に。お湯を沸かすうちにテントの中も暖かくなってくる。
 山口さんが紐をテント内に通す。
 「濡れてるものはこれに掛けといたらええわ」
 なるほど。
 「このテントは彼女と行くために買ったんや。男を泊めるとはなあ」
 「なにゆうてますねん。前だってこのテントでしたやん」
 「そやったか? お湯こぼしたらあかんで。こぼしたら外に寝てもらうで」

 「御飯にしましょか?」
 「そやね」
 晩御飯はうどんとレトルトの御飯。お湯を沸かしうどん、豚肉、白菜、生しいたけ、白葱、うすあげを入れる。もう一つのコンロで御飯を温める。うどんのほうが先にできてしまう。食べ終わった頃、御飯は雑炊に。

 「GW、奥穂行きたいんやけど」
 「おお、ええなあ」
 「行けるやろか。涸沢に泊まるでしょ。前穂へ行かずに、涸沢へ下りてもいいし。以前、蝶−常念へ行ったでしょ。その時、上高地で登山届出しますやん。奥穂って書いてる人けっこういましたよ。槍だと、殺生まででも雪の中だとけっこうきついやろし」
 「行くんやったら、GWでもあとの方がええで」
 理由は聞きそこなったが、より踏まれてトレースがしっかりしていると言う意味だろうか。

  (四)
 7時15分起床。9時ごろ寝たから、今回は10時間の睡眠である。羽毛のシュラフにカバーをかけ暖かくぐっすりと眠れた。
 ぜんざいを温める。パンを食べる。紅茶を飲む。
 撤収し、9時25分。金糞峠へ向かう。
 金糞峠から堂満へ。
 10時15分。堂満手前の小ピークで小休止。地図には特に名前はついていない。
 「小堂満なんてどうです?」
 「北堂満、奥堂満もええで」
 10時55分。堂満を通過。大パーティがいたので下へ下りて休むことにする。
 「ここからの急坂、アイゼン履かんでもええかな?」
 「雪多いしいらんやろ」
 はじめのうちはおそるおそる下りていたが、「ええい、もう滑ろう」とお尻をつけてボブスレー状態で一気に下りてしまった。急なことと、カーブがあるために内心こわごわだったけれど、さいわいコースから飛び出ることもなく、木の枝に引っかかることもなく下り切った。平坦地で、
 「あっはっは。あっと言う間でしたね」
 それから快調にぐんぐんと下る。地面の茶色と草の緑が見え始める。白いものばっかり見てきた目には新鮮な色合いだ。
 ノタノホリを過ぎ、12時40分。イン谷。
 山口さんは、会のファミリー山行、雪遊びをこの上でやっているから顔を出しておくと言う。僕は夕方から、古代史の論敵公正さんが柏原の玉手山古墳などの初期古墳群の研究会のために来阪しているので、久しぶりに飲む約束をしている。
 バスは13時05分。
 僕たちは、固い握手をして別れた。