二上山から岩湧山 (Mar.24/25, 2001)

 ぐうたらしている間に暖かくなってきた。ここらで一発長めを歩いておこう。

 3月23日(金)
 そろそろ帰ろうかという夕方、虎さんに教えてもらったサイトから、虎さんとDOPPOさんにメールを書いた。「この土日、ダイトレを歩く。荷物は最小限にする。水も同じく、行動中の量だけ持ち、葛城、金剛山で補充する」と。酒は省けない。必需品だ。
 食料、酒肴を買って帰宅すると、DOPPOさんからメールが来ていた。「竹内峠から葛城山まで、ご一緒しましょう」と。虎さんは、週末は何やら「奇行」の予定だとか。なんなんだろう?
 寝袋をゴミ用のポリ袋にくるむ。汗で濡れることがあるからだ。シュラフカバー。テントシート、銀の薄いのがだいぶはがれてきた。買い換える時期かもしれない。酒、今回は球磨焼酎「犬童」。コンロ、コッヘル、ガス。食料は、レトルトのライス、ハッシュドビーフ、紅茶バッグ、昆布茶。スープは買い置きがあったのに娘が飲んでしまった。この娘、人のものをよくパクる。それでいてシラッとしている。猫タイプなんだろう。僕の分のアイスクリームが冷凍庫にまだ入っている。早く食べないとまたパクられそうだ。そんな娘なのに、男親はなぜか甘いのだ。ラーメン。黄色いクリームパンと、白いクリームパン。粒あんのアンパンが売り切れていた。好きなのに。それに、一袋180円のぶどうパン。さきいか。セーター。タオル2本。コップ、チタンのを持っていたのに、裏銀を歩いた時、水晶の小屋で昼飯を食い、そこで忘れてしまった。三俣蓮華で気がつき、酒を飲むのにポリのどんぶりばちで飲んだ。で、翌日、双六小屋で買ったのをずっと使っている。500ccのお茶。空のポリタン。カメラ。ヘッドランプ。テント、ポール。地図、手帳、ボールペン。軍手。
 ウエストポーチに、飴玉、チーズ、チョコレートを適当に。たばこ。
 ザックの重さを量ると13.6kg。

 3月24日(土)
 6時40分始発のバスに乗って富田林駅まで。古市で乗り換えて二上神社口に7時半。天気は上々。鳥居をくぐらずに道からお参り。
 「安全な山行でありますように」
 日の当たるところは暑いぐらいだ。風もないしもはや初夏の気配。出掛けに着ていた防風用の雨具を脱ぐ。カッターシャツとTシャツで充分だ。
 雄岳を8時25分に通過。きょうは、200円払わずに済んだ。
 「なんだよ、おつりが要らないようにと両替して来たのに」
 馬の背へ下り、雌岳へ登り返す。ジグザグの道を岩屋へ降りる。
 予定時間より少し早く着いたか。DOPPOさんとの待ち合わせ場所である。汗もだいぶかいた。ザックをおろし、岩屋を見物。大きな木が倒れていた。「こんな木、あったっけ?」なにしろ、ここを通るのはたぶん1996年以来のことになる。記憶もあいまいだ。
 パンを食う。たばこを吸う。そうこうするうちに、岩屋の下のほうから「オーイ」とDOPPOさんの元気な声が。
 「やあやあ」
 岩屋の上を竹内峠へ。街道を横切って「では、行きましょか」。ここはDOPPOさんのホームグラウンドなのである。私は5年ぶり。
 「こんな道だったかな?」
 最近整備されてるところもあるらしい。一本道の記憶だけれど、厳密に言えば幾つも枝分かれしている。
 「どっちやったっけ?」

 10時35分。見晴らしのいいところで休憩。PLの塔が見える。人の少ない落ち着いた道である。
 「僕は、いつもここで休憩しますねん」とDOPPO氏。この道を葛城山へ上りその日のうちに下りて来るのだから、相当の運動量だ。元気なはずだよ。
 平石峠では登山道の補修をやっていた。11時10分岩橋山を通過。11時50分持尾で休憩。
 13時20分、木の階段を幾つか登って葛城山山頂。ビールで乾杯。昼食。
 「クーッ…、うまいっ」
 「水はロッジで貰えるよ。コーヒー飲みに行こうや」
 DOPPOさん、何気ないようでいて気を遣ってくれているのである。
 僕は500ccのお茶の容器に水を補給する。
 「明日は雨らしいで」
 「そうみたいですね。まあ、エスケープルートはなんぼでもあるから。すぐ下りたりして。あはは」
 一応の予定は、伏見峠で幕営し、紀見峠から三合目、うまく行けば岩湧山まで。ただ滝畑へ下りてもバスの時間が心配だから、三合目までにするかもしれない。紀見峠手前の「山ノ神」から「三合目」までをまだ通ったことがないのだ。そこを埋めれば、二上山から滝畑まではダイトレを歩いたことになる。
 「早起きしたら、なんとか行けるんとちがうかな、7時出発やな」とDOPPOさん。
 「三合目で昼御飯ならいいんですけど」(この見通しの甘さ!)
 「水越峠に下りる手前にも水場はあるで」
 「伏見峠のキャンプ場は4時までに行けば、管理人の方が水道の栓を貸してくれます。でも、それまでには無理だから、先着の誰かに栓を借りるか、誰もいなかったら香楠荘まで貰いに行こうかな、と」。
 ロッジの中にはかたくりが一面に咲いた写真が飾ってあった。
 コーヒーをご馳走になって、「さあ」と外へ出る。
 「郭公さん、気をつけて」
 「DOPPOさん、どうもお世話になりました。じゃ、行ってきます」。

 14時20分。つつじ園へ下る。また一人になった。木の階段の端っこを下る。水越峠の手前の沢に水場。峠へ下りたのが15時10分。金剛山への林道へ入る。何人かの下山者と出会う。林道にも水場があった。大きな岩が転がっているところで一服。おじいさんが話しかけてくる。
 「雪のとき大峰へ行ってな、滑って突っ込んでしもて車を一台パアにしたことがあったわ」
 15時55分、林道から登山道への橋を渡る。再び山道だ。疲れてきた。平坦な道もあるけれど、16時40分、辛抱たまらず、「ふう」と階段に腰掛ける。荷物は軽くしてきたが、さすがに久々のLong Distanceはこたえる。
 「いったい何をやってんだか」
 この時間になるとさすがにひんやりする。ずっと夏みたいな暑さだったが、まだ3月の下旬なのだ。捲くっていた袖を伸ばしボタンを留める。葛木神社と伏見峠への分岐に出たのが17時20分すぎ。ここまで来るとひと安心。ザックを置き空身で神社まで。ちょうど、17時半だった。

 昼間は喧騒を極めたにちがいない金剛山もこの時間になると誰もいない。とても静かだ。鳥の鳴き声が聞こえる。うぐいすはわかったけれど、あとの幾つかはさて何だったか。夏が近づけば、ホトトギスや、カッコウの鳴き声も聞こえるはずだ。
 まだ日没ではないと思うが雲が出ているのだろう。明るい薄暮の中を伏見峠まで歩く。1月の末、明神21のメンバーと「わあわあ」言いながら雪の中を歩いた道である。もう、雪はない。人もいない。
 18時05分、伏見峠のキャンプ場に着く。
 「誰かいるかな? アレッ? 誰もいない。明日が雨だからかな? なんだよ、おい。水は?」と炊事場を見ると何か水が流れる音がする。蛇口がひとつ細く開けてある。たぶん凍結防止のためだと思う。
 「ラッキー。香楠荘まで水をもらいに行かなくてすむ」
 これも日ごろの行ないのタマモノであろう。それにしても誰もいないとは…。ここでテントを張ったことは何度かある。僕だけだったこともないわけではない。でも、だいたい誰かいた。これだけ気候がよくなったのに誰もいないとは…。そうか、やっぱり明日は雨なのか…。
 「なんだよ、山に入れば、むしろ雨の方が多いんだぜ」
 そうかどうかは知らないけれど…。とりあえず水を汲む。テントを張る。靴を脱ぐ。テントの中に入る。ほっと一息。足を伸ばす。「ああ…」
 ザックの中のものをみんな出す。一人ばっかりだから、整理整頓なんてあんまり考えたことがないのだ。セーターを着込む。
 「酒はどこやったっけ? あった、あった」
 まず、水割りで飲む。球磨焼酎「犬童」。これがうまいのだ。つい最近、近くの酒屋が仕入れた。ここの酒屋の焼酎の品揃えには信を置いている。2週間前のことだ。
 「これ幾ら?」
 「すみません、まだ請求書が来てないんですよ。そんなに高いことはないと思いますねんけど」と奥さん。仕方がないから、その時は泡盛「久米島」を買った。これもじつに美味かった。それを空けて、次に買ったのがこの「犬童」だ。焼酎というより日本酒をきつめにした、と言った方が当っているかもしれない。「鳥飼」という、やはり熊本の米焼酎がある。これもこの酒屋で買って飲んだことがあるが、これも、焼酎というよりややアルコール度数のきつい日本酒といった感じである。皇族のどなたか(敢えて名を秘す)の愛飲らしい。だから、この「鳥飼」は宮内庁御用達になっている。これと同系統の味だ。

 酒を飲む間にお湯を沸かす。このまま飲んでいたら晩御飯を食わずに寝てしまいそうだ。
 晩飯を食って、食器を拭う。寝袋にカバーをかける。もそもそと入る。シュラフの中で靴下を脱ぐ。やっと解放された足。酔いもある。適当に枕を作る。朝まで熟睡だ。

 3月25日(日)
 朝5時50分に一度目が醒める。テントをたたく雨の音。
 「雨かぁ…」と思ううちにまた寝てしまう。
 6時55分、やっと起床。もう起きなくては。雨は相変らずテントをたたいている。
 寝袋、カバーをたたむ。お湯を沸かす。タバコを吸う。パンをかじりながら紅茶を飲む。
 水はポリタンに1リットルと少し。500ccの容器に満タン。これだけあればまあOKだろう。テントの中のものをもそもそとザックの中に仕舞い込む。テントの中で雨具を着ける。靴を履く。あらかた済んだところで外へ出る。さいわい大雨ではない。テント場のテーブルにザックを置き、マットをザックに外付け、ペグを抜く。テントからポールを抜く。テントは雨滴がついている。はたいてもまだ重い。たたんでさらにスーパーの袋をかぶせる。ザックカバーをかける。よいしょと抱えると昨日より重たくなっている。晴れてくれたら休んでいる間にテントを干せるのだが。たとえ5分であれ10分であれ干した分だけ軽くなる。

 8時05分。テント場を出る。DOPPOさんが言ってた時間からは1時間遅れだ。まあ、仕方がない。伏見峠から久留野峠。歩きなれた道とはいえ、昨年の6月以来だ。急登を上がると中葛城山。晴れていれば、五条方面が見とおせる。しばらく下りたところでポンチョを被ったお兄さんが木の枝を杖に上がって来る。この時間にここと言うことは、紀見峠を相当早い時間に出たと言うことだ。9時半に一度休憩。雨具を着けているのでゴアとは言え汗をかく。ウエストポーチからチーズを出す。飴をなめる。雨はまだ木の間越しにぼとぼとと落ちてくる。行者杉を10時だった。これが紀見峠と伏見峠の中間点。雨の中とはいえ、この辺りまではまだ順調だったが、徐々に足の裏が痛くなる。下りだからなおさら負荷がかかるのだろうか。平坦な道でも、なかなか速度があがらない。今日はまだたいして歩いてはいないのに、さすがに、日ごろの不摂生と昨日の疲れが出ているのだろう。10時半を廻ってまた休む。飴をなめる。
 とぼとぼ、そろそろと歩くしかない。やっと尾根から山ノ神への下りの階段まで来た。端っこをそろそろと下りる。下り切ったところにベンチがある。11時50分。予想よりだいぶ遅れているがここで大休止。昼御飯にする。靴紐を緩める。ラーメンをつくる。お湯を沸かし紅茶。DOPPOさんからいただいたクラッカーを食べる。
 今度は僕と同じく山から下りてきたおじさん。装備は軽そうだがしっかりした足どりだ。早朝から金剛山に上がり、紀見峠へ下りて来たと言うことになろう。

 さて、道具を仕舞い込み、すこしゆるめに靴紐を締める。なんとか三合目までは行ってみよう。
 12時40分、再び歩き始める。足の裏の痛さは相変らずだ。ゆっくりゆっくり。山ノ神で右ダイトレの林道、左紀見峠駅の分岐。これを右に取る。ここから初めての道になる。自動車が一台入って来た。三叉路まで来る。右なのか左なのか地図を出して確かめている間にさらに二台、もう一台はこの三叉路の近くに停まる。下りてきたおばさんに聞く。
 「何かあるんですか?」
 「きょうはお不動さんの祭りやねん」
 紀見峠側に数十メートルで岩湧への山道に入る。少し荒れた感じもするが道は木の階段が付けられているし、ところどころにベンチもある。ベンチの横にはゴミ入れの土管まで。曇ってはいるが、どうやらいつのまにか雨も上がったようだ。それにしても三合目がどの辺りなのか皆目見当がつかない。自然林の中を歩く。杉林の中を歩く。造林小屋がある。池のほとりを歩く。見上げるほどの木の階段がある。
 14時20分。
 「ちょっとタンマ、休ませてくで〜」。ザックをおろす。水を飲む。雨具を脱ぐ。
 「やれやれ、こりゃあ、三合目で下りるしかないな。岩湧まで行って滝畑へ下りたってバスがあらへんで。ふう〜。岩湧寺へ下りて天見まで歩くのはしんどい。そやけど、岩湧から紀見峠へ引き返す手はあるな。そしたら電車は動いてるンやから少々遅くなったってノープロブレムや。そうはゆうものの、あとどれくらいかかるものやら」
 とぼとぼと木の階段を上がる。これが実に長い。昨日の葛城山の幾つかの階段よりも長そうだ。やっと上がると道は左に折れている。平坦だ。

 「あれ、あそこ、三合目とちゃうか。やっと三合目か」
 見なれた光景にほっと気持ちが和らぐ。三合目の前を通過したのが14時55分だった。その時は、「こんなアホなこと、またやれったって二度とやるものか。それやったらきょうやってしまえ。下りるのは紀見峠へ引き返したらいいのだから」、そんな気持ちだった。三合目から先は何度か歩いている気安さもあった。平坦な道でもあった。すうっと三合目のベンチの前を通りすぎた。
 「よし、行ってまえ」
 言っておくが、元気が出たわけではない。足の裏は相変らず痛い。岩湧山は紀見峠からだと三合目までがきつい。あとは比較的楽なのだ。三合目で650m。山頂まで4.5km。標高差が250mくらいだろうか。つまり、90m歩いて5m登る計算だ。記憶では、割りと平坦な道が続く。つまり、登るところは数ヶ所しかない。その三合目まですでに来ているのだから、なんとか行けるやろう。行ってみよう。そんな気持ちだった。
 15時07分、太陽が顔を出す。
 五つ辻で16時前だったか。一服する。いっそのことここにザックを置いて空身で上がろうかとも思ったが、ずっと一緒に行動を共にしているのだし、そんなハクジョーなこともできない。気を取りなおしてやっと岩湧の山頂が見えるところまで来た。山焼きの記事が新聞に載っていたけれど、なるほどこのように焼いていたのか。山頂直下の鞍部に下りると林道が付いている。車の轍も見える。「えっ? こんなところまで」。

 最後の登りを元気もなくちょびちょびと登る。
 16時40分。やっと岩湧山山頂に達する。ついにやった。山頂の標識の下にザックを置いて記念写真。ベンチに腰掛け、二上山、岩橋山、葛城山、金剛山方面を見遣る。それらの山々は薄曇りの中に何事もないいつもの風情でたたずんでいた。感無量。速さこそ自慢できないが、なんとかやれた。靴紐を緩める。タバコをふかす。水を飲む。飴をなめる。

 さて、下りるとするか。
 鞍部まで下りると、右に林道のゲートが開いている。ゲートのそばに落ちている看板の文字には「歩行者、自転車通行禁止」と書いてあるようだ。でも、ほんのすこしだけれど山道を登り返すのがじつに億劫だった。
 「なに、かまうものか。林道を歩こう。そのほうが楽だ。下りきって左へ、つまり紀見峠へ行く道と交差するはずだ」
 舗装されていないから、比較的歩きやすい。ずんずん下りていく。だいぶ下ったところでちょっと心配になってきた。地図を開いてみる。ずっと一本道の林道で地図にある東西の道と交差しないのだ。要するに、今自分が歩いている地点が把握できないでいるのだ。
 でも、林道なんだからいずれ人家のあるところへ通じているはずだ、そう思うしかない。
 だんだんと暗くなってくる。道の白さと空の白さだけが頼りだ。もう足が痛いなどと言ってられなくなった。
 途中で大きな滝が見えた。そう言えば、岩湧から滝畑へ山道を下りるとき、南葛城山の下にも大きな滝が見える。このときはこれが同じものだとはまだ気が付いていない。そんなはずはないのだから。僕は南に歩いているのだから。
 やっと遥か先にオレンジ色の灯りが見えた。人家なのだろうか。すぐ下を車が走った。
 「おや、林道の下にも道があるの?」
 林道から灯りのあるほうへはほんの少し山道を下る。
 「こりゃ、そっちへ下りたほうがいいかな?」
 その分岐に標識があった。「滝畑」と書いてある。「滝畑? まさかあの滝畑じゃないよね。地名っておんなじのがあるもの」
 山道は真っ暗。途中でザックを降ろしヘッドランプを取り出す。下のほうに仕舞ってある。キルティングの袋に入れている。電池は外している。蓋を開け、手探りでプラスとマイナスを確認する。電池をひとつ落っことした。やっと二つ装填。それで灯りが点く。落とした電池を拾い蓋を閉じるがなかなか締まらない。蓋の上下を逆にしてねじを締めていた。あわてているのだ。やっと足元を照らしながら灯りのところまで下りた。
 「光滝寺キャンプ場」の看板。
 「な、な、な、なぬ?」
 僕は結局、滝畑の方へ下りていたのだった。いま、地図を見なおしてやっとどの道を歩いたのかが分かってきた。なるほど、この道だったのか、と。
 19時半だった。駐車場に車はないし、もちろん人もいない。公衆電話があった。とりあえず自宅に電話する。
 さて、河内長野まで歩くしかないのか。もう歩けんぞ。日が暮れる、いや、もう暮れている。夜が明けるぞ。でも、しかたがない。ほんの一瞬の登りをずぼらしたためにこんな結果になるとは。とほほ。
 そう思っていると、山側からヘッドライトが。僕は道路に出て大きく手を挙げた。車は、二十メートルほど向こうにそろっと止まった。駈け寄って事情を話し、「乗せて〜」と頼み込む。
 「いいですよ〜」
 若いカップルだった。学生さん。
 「ありがと〜。助かるわ〜。ほんまに」
 車内ではいろんな話をした。蔵王峠を越えてこちらへ走ってきたのだと言う。
 「えっ、あそこ、車通れるの?」
 「かろうじて通ってきました」
 「そう言えば去年の11月、龍門山登ったよ」
 「えっ、僕らその近所ですよ」
 「オークワに車停めて」
 「ぼく、そこでバイトしてるんですわ」
 二人ともとてもやさしかった。とても素敵なカップルだった。河内長野まで乗せてもらった。乗せてもらわなければ、本当に河内長野まで歩かなければならなかった。
 名前も聞かなかったけれど、またへたくそな作文だけれども、ぜひ彼らに捧げたいと思う。