DOPPO、郭公、幽玄の南奥駈を行く、の巻。(May 4/6, 2001)

 連休の半ば、DOPPOさんから南奥駈のお誘いをいただいた。交通アクセスの問題があり、これまでまともに検討したこともなかったけれど、車2台で行けば、その問題も解消する。1台は下山地点にデポし、もう1台は登山口へ。
 だから、かなり魅力的なお誘いなのだ。
 メールをいただいて「うーん」と唸ってしまった。

 5月3日(木)
 二上山の麓の「茶がゆ」のあずまやで、おおまかな打ち合わせをやり、近くのスーパーへ食料の買い出し。

 まずDOPPOさんの地図を参照してください。
 5月4日(金)
 翌朝6時、室の交差点のコンビニで待ち合わせ。当日のお昼のおにぎりやパンなどを買いたして、五条から国道168号線を十津川へ向かう。旭の分岐まで約1時間。そこからさらに南下し、滝の分岐を左へ。トンネルを抜けたところの玉置山登山口のそばにDOPPOさんの車をデポ。
 もう1台で、旭の釈迦ヶ岳への登山口に着いたのが11時半をまわった頃だったろうか。下の登山口にも尾根の登山口にも車がいっぱい。腹ごしらえをし、靴を履き替え、11時50分、山道に取り付く。
 天気はいい。僕自身はこの道は昨年の12月以来2度目だけれど、とても気に入っている。稜線漫歩の気分が味わえる。正面に釈迦ヶ岳の高まり、そのやや右に大日。さらに右の尾根が、南奥駈と言うことになろうか。左には、七面山の岩壁。
 前回気がつかなかった千丈平の水場を教えてもらう。ここで、水を汲み直す。冷たくてとてもおいしかった。そこから、釈迦へ上がらずに、深仙宿へのトラバース道。ここははじめて通った。もちろんこんな道があることも知らなかった。

14:00
 深仙宿にはすでにいくつものテントが。パンやお菓子を食べてふたたび腹ごしらえ。じっと座っていると冷えてくる。どうやら、大台側の谷からガスが湧いている。大日の根元で岩にへばりついて「よっこらしょ」と行くところがあったが、そこには木の橋が付けられていた。

14:55
 太古の辻。いよいよここからが南奥駈である。
 「今回の山は、こっからでっせぇ」とDOPPOさん。
 鹿が数頭、さっそく出迎えてくれる。というか、「何? この人たち?」って風情である。いくつかの小ピークを過ぎ、石楠花岳で15時半。ここから、釈迦ヶ岳が見える。釈迦ヶ岳から深仙宿、太古の辻と伸びる尾根の大台側はガス、見事にこの尾根でくっきりと分かれている。

16:00
 天狗山。奥守岳を過ぎ、嫁越峠。この間はちょうど、旭登山口から千丈平へ向かうのと同じく、ブナ林の稜線歩きである。とてもいい道だ。
 思い返してみると、この南奥駈はそのほとんどが尾根道である。したがって、ほんのわずかな起伏であっても、道は素直にそれに従うことになる。つまりアップダウンが激しい。また、ほぼ真直ぐ登り、真直ぐ下る。急登もあれば、急な下りもある。さらに、木の階段が作られているところはごくわずか。あとはまったくの自然道である。これには正直言ってこたえた。登りはきついし、下りは滑りやすい。それでも、「新宮やまびこグループ」さんのご努力で、道の両側の笹が刈られていて、わかりやすいし、明るい。
 これから考えると、道そのものにはなるべく手を加えないという方針があるのかもしれない。古来から、行者さんはこのアップダウンをそのまま受け容れて歩いてきたのである。やたら真直ぐ歩く。巻くとか、ジグザグにとか、余計なことは考えない。ただ、尾根に沿って真直ぐ歩く。

 地蔵岳、般若岳を過ぎ、滝川辻を過ぎ、さらに下ってやっときょうの幕営地、剣光門笹の宿に着いたのが18時半だった。DOPPOさんとしては、もう少し早く着くものと思っておられたかもしれないが、なんせ、私が足を引っ張った。日暮れまでに着いたのでよしとしよう。
 すでに、テントがひとつ。本宮から3日目だとか。ちょうど晩御飯の最中だった。隣に設営したが、僕たちは遅くなった分、遅くまで酒を飲みあれやこれやに会話が弾み、しまいに「ええかげんにしいや」と叱られてしまった。
 僕だって、比良で、他所のテントに「うるさい!」とどなったことがある。聞けばDOPPOさんもあるらしい。隣の単独行のおにいさん、すいません。
 結局、寝たのは9時を廻ってからだったと思う。

5月5日(土)
 5時5分起床。隣のテントはもうない。朝日が上がる。西には「あれが中八人山やで」とDOPPOさん。天気は良さそうと思うのも束の間、歩きはじめるうちに、徐々にガスに包まれていく。涅槃岳で7時半頃。昭文社の地図では、いよいよ裏面へ。誠証無漏岳を過ぎ、阿須迦利岳の手前だったか、大きな岩場をへつるところに鎖場があった。

10:00
 持経の宿を過ぎ、平治の宿でちょうど10時。7時前にテン場を出たから3時間歩いたことになる。ここの小屋も立派だった。
 DOPPOさん、シートを出して、「ゆっくりしようや」
 ここに西行の歌碑があった。『山家集』で確かめる。あった、あった、これだ。

   へいちと申す宿にて月を見けるに、梢の露の袂にかかり
 梢なる月もあはれを思ふべし 光りに具して露のこぼるる

 おや、その前に、
   さゝの宿にて
 いほりさす草の枕にともなひて ささの露にも宿る月かな

 そうか、西行も、笹の宿で泊まったのか。

 大休止のあと、転法輪岳、倶利迦羅岳で11時45分。雨具を着けるほどではなかったが、ぽつり、ぽつりと降り出した。ミツバツツジの桃色がやけにしっとりと鮮やかだった。すでに散っているのもあったが、茶色の落ち葉の上に、散った桃色もまた、しっとりと濡れて鮮やかだった。
 自然の織りなす配色にはかなわない。
 しかもガスに包まれ、山深く静かであり、幽玄と言うにふさわしい。

 平治の宿で、「横駈」は楽でっせ、なんて言ってたけれど、やっと「横駈」まで来てみると、たしかに平坦なところもあったがそれはごく一部、アップダウンの連続。まさに、稜線の形状に素直にしたがっている。僕はてっきり、尾根のすぐ下を平坦な道が通っているものと思っていたのに。「やれやれ」
 行仙岳直下の怒田の宿で12時45分。昼御飯はラーメンだが、雨模様だから、ちょっとやっかい。「がんばって行仙の宿まで行こう。立派な小屋があるから」とDOPPOさん。
 行仙岳山頂までは標識では10分。つまりすぐ上なのだが、この登りの急なこと。何度、立ち止まって上を見上げたことか。DOPPOさんは、右ひざを痛めておられたみたいだったが、それでも早いのだ。キャリアが違う。僕は、足の裏が痛くなって、ちびちびしか歩けない。

14:00
 行仙小屋着。立派な小屋だ。すでに二人。いろりに火を焚いてくつろいでいる。僕たちも上がって、昼御飯にする。おそがけの昼御飯である。ありがたいことにお湯を貰う。ラッキー、水を汲みに行かなくてすむ。
 そうこうするうちに3人のおばさんたちがわいわいと入ってきた。
 なんでも、昨日の8時にトンネル西口から上がり、弥山、八剣と歩き、深仙宿で幕営とか。
 「えっ?」
 僕は目がまん丸になった。
 で、5時に深仙宿を出たのだと言う。ここで泊まろうか、もう少し先まで行こうか?
 明日の3時に玉置山に迎えに来てもらう予定とのこと。ここで泊まっても、明日はまあ余裕であろうとのことで、「泊まろうか」ってことになったらしい。
 「す、す、す、すんごい」

 僕たちは、ラーメンライスのあと、紅茶を飲んだりして大休止後、雨具を着けて笠捨山を目指す。きょうの幕営予定地は笠捨山の向こうの葛川辻である。
 笠捨山は、南奥駈の最高峰である。「山容もでかい」とDOPPOさん。この笠捨山に取り付くまでにも小ピークが幾つかあり、ぐっと登って、転げるように下りる。

 笠捨山頂で17:00だった。「やっと、終わったで。あとは下りるだけや」
 ゆっくりと休み18:00、葛川辻に着いた。
 ヘッドランプと、ポリタンを持って水場へ下りる。
 「えっ、こんな急なところを下りるの?」
 往復に30分。

 それから酒を飲み、晩御飯を食べながらいろんな話をお聞きする。

5月6日(日)
 6時起床。さいわい雨にはならなかったし、晴れている。テントにも露は打っていない。さらさらだ。
 「あのおばはんら、もうそろそろ来るンとちゃいますか? 5時に出るらしいから」
 「なんぼなんでも、まだやろう?」
 なあんて軽口を叩きながら朝御飯、寝袋を仕舞ったりしていると上のほうから何やら話し声が聞こえて来た。6時45分頃だったろうか。
 「うへっ! 来てまっせ」
 そう思う間もなく、「おはよ〜」と、足の揃った3人がさくさくと前を通り過ぎて行く。僕とDOPPOさんは、顔を見合わせた。「へへへっ」
 しっかりした足取りだった。
 僕たちは、ただへらへらするしかないのだ。

 7時15分、僕たちも出発だ。きょうは天気がいい。
 鉄塔のそばを抜け、地蔵岳に取り付く。地図には危険マーク。事実、山頂直下は登りも下りも急な鎖場である。しっかりと3点確保しないと危ない。落ちたら終り。はるか下まで。
 8時、地蔵岳。狭い山頂であった。
 下りきったあたりだったろうか、アカヤシオがとてもきれいだった。
 DOPPOさん、なんとか写真に撮ろうと谷側にせり出した木に登る。高所恐怖症の僕は、遠くから「あぶない、落ちまっせ、用心して」と声をかけるしかない。小さいときから、木登りは苦手なのだ。
 東屋岳をすぎ、香精山の手前の見晴らしのいいところで小休止。風に乗ってだろうか、鈴の音が聞こえたように思えたが、結局人は来なかった。香精山から貝吹野。ここから貝吹金剛までがまた転げるような下り。

 如意宝珠岳で大休止中の3人組に追いついた。ちょうど、出るところみたいだった。一人のザックから鈴の音が。「そうか、あそこで休んでいたとき聞こえたのは、この鈴の音だったのかもしれない」

 このピークを過ぎると、下山地点まではあとわずか。下るだけである。
 「ああ、もう終わりかいなあ」とDOPPOさん。なにやら寂しそうである。

 岩ノ口で南奥駈を離れて左へ。11時50分、林道に出た。まる二日間の山道であった。

 それから、ふたたび旭の登山口へ。夢の湯に入り、「GWの最後の日で五条あたりは混んでるやろなあ」と危惧するDOPPOさん。
 「なあに、6時半には帰ってますって」
 「へへへ、甘いわ」
 でも、思いのほか空いていて、僕は6時27分には帰宅したのでありました。