それぞれの大普賢−奥駈は石楠花街道 (May 26/27, 2001)

(一)
 虎さんから、
 「石楠花探訪をかねて、トンネル西口から行者還岳まで行くので、奥駈をやるのなら一緒に行かないか? 車二台で行けば、僕(郭公)の車を洞川にデポできるのだから」

 追って、DOPPOさんから、
 「洞川にデポの必要なし。私(DOPPOさん)が、洞川から山上ヶ岳、大普賢、トンネル西口と廻る。つまり、僕(郭公)と同じコースを逆から歩く。
 山中で出会ったとき、車のキーを交換しよう。
 だから、くれぐれもコースを外さないように。そろそろ出会いそうな時間になったら時々を声を出すように」

 僕は、「ご両所に、心より感謝申し上げます」と返事を書いた。


5月26日(土)
 虎さんと僕は、集合時間を当初の予定より30分遅らせた。
 黒滝茶屋へは僕が先に着き、途中のコンビニで買ったお握りを食べ、お茶を飲み、タバコを吸っていると、虎さん登場。
 「ここの柿の葉ずしをな…、うん」

 「虻トンネルを抜けたところに観音峰の登山口があるやろ。あそこにちょっと寄っていこか。HAMAさんが、きょう登りはるらしいから、驚かしてやろうとおもてな」
 観音峰に着き、虎さん、HAMAさんあてのメッセージを書く。その嬉々とした楽しみようと言ったら、まるでいたずらっ子みたいだ。これでも、「明神21」の長老なのである。
 僕もひとつ書いた。

 大川口に虎さんの車をデポ(帰りは関電道を下るので)。
 DOPPOさんは、きょうから登るのではなく、明日日帰りでやるらしい。
 「えっ? ほんと? すっごい。やるぅ」
 じつは、DOPPOさんからメールをもらう前に、ひょっとすると、逆から来そうな予感があった。メールをもらって、「ほらね」。でも、日帰りとは気がつかなかった。DOPPOさんには、だいたいいつも度肝を抜かされる。
 虎さんは、或る石楠花の会に入っておられるとか。石楠花については詳しいし、この時期になるとあちこち見て廻っておられるとのこと。

 トンネル西口から尾根への石楠花道は二週間前も登った。その時は蕾もなかったけれど、きょうは満開である。もう散りかけているのもあったろうか。
 30分ほど歩いて満開の石楠花の下でひと休み。虎さんからコーヒーをいただく。介護のこと、45年前に歩いた奥駈のことなど話を聞く。

 ほどなく尾根に上がり左へ折れる。右は弥山。きょうも人はそこそこいたけれどほとんどが右へ折れる。左の尾根道もゆったりとして、ブナの中を散策する気分である。人もいない。わずかに小さい娘さんとお父さんの二人だけ。その二人も途中から引き返した。
 はじめて歩く道だが、ここもいい。シロヤシオが咲いている。シャクヤクの群生地があった。斜面にザックをおろし、シャッターを切る。
 今回、50mmと28mmを持ってきた。慣れないのでどっちのレンズで撮っていいかわからない。そうこうしているうちに、僕のザックがゴロゴロと谷へ向かって転がっていった。
 「あれぇ〜」
 呆然と見遣るしかない。木にドンとぶつかってやっと止まってくれた。谷まで取りに下りずに済んだ。

 行者還岳の西は断崖になっている。平坦な尾根を阻むように盛り上がっている。
 小屋を過ぎると巻き道になる。水場を過ぎると木の階段。
 行者還岳山頂でちょうど12時だった。
 山頂奥の石楠花満開のところで昼食。

 パンとお握りを食べていると、虎さん、
 「割子そば食うか?」
 「わっ、ええんですか。いただきます」
 割子そばを食べ終えると、
 「冷たい蜜豆食うか? 昔は今とちごて缶詰ばっかりやで」
 缶切りをお借りして、ごりごりと蓋を切る。

 写真を撮り、後片付けをする。
 「お茶、あげるわ」と開封していない500mlのお茶。
 「虎さん、帰りに要るんとちゃいますの?」
 「帰りは水場で汲むがな。そやそや、この柿の葉ずし、持っていき。非常食やから」
 「えっ? すいません」
 「そや、ちょっと頼まれて欲しいことがあんねん。円さんが明日、大普賢へ上がるやろ。このとら焼き、ドラ焼きとちゃうで。これにメッセージを今書くからそれを一緒に大普賢の山頂に括りつけておいて欲しいねん。びっくりさそ、おもてな。円さんもやけど、周りの人が、円さんて顔が広いんやなあて、おもわはるやろ」
 茶目っ気たっぷりなのである。
 「ほな、頼んだで。そやそや、柿の種があるわ。これも持っていき。焼き鳥の缶詰もあるわ。これも持っていき」
 「うへっ。いいんですか。ありがとうございます」
 なんだか、虎さんのザックにはいろんなものが入っている。

 「さっ、水汲みにいこか。僕は、そのまま帰るし」
 ザックを置いて2リットルのポリタンと、カラのペットボトルを持って水場へ。それぞれを満タンに。
 「ほな郭公さん、気をつけて」
 「虎さん、どうもいろいろお世話になりました」

(二)
 無双洞への分岐を過ぎ、鎖場を上がると狭い山頂の七曜岳。二時半だった。大普賢も、弥山方面も、稲村もしっかりと見える。鎖場を下り国見岳の登りの手前にも石楠花がいっぱい。ここでまた大休止。
 数年前、息子と和佐又から大普賢、七曜、無双洞、和佐又と一周したことがある。とても変化に富んだコースで、日帰りでしんどかったけれど、とても面白かった記憶がある。 その時、一箇所平坦なところがあった。地図で見るとそこが稚児泊だろうと思う。そこで幕営する予定だが、見上げると、どうやら、大普賢直下の肩あたりにも幕営できそうだ。 まあ、時間次第である。
 国見岳を過ぎたところに平坦地。「そうそう、たぶんここだ」。時計を見ると3時半。「うーん、まだ明るいし、もう少し先まで行ってみるか」
 いきなり右側が切れた巻き道。雨なら気をつけないと。足を滑らせたら大変だ。さいわい、好天である。でも、明日は雨になりそうな予報だった。
 大普賢が正面に見える。右がストンと切れた平坦地につく。
 「ここ、ここ。風で吹き飛ばされたら谷底やな」
 しっかりとペグを全部刺す。

 周りには石楠花、断崖にアカヤシオかミツバツツジであろうか、赤い花が。崖を落ちないように気を付けながら写真を撮る。もう一段下がればもっと近づけたが、さすがにそれはやめた。
 さて、飲むとするか。柿の種をつまみながら芋焼酎「ひろしげ」。
 「ひろしげ」は麦もある。ラベルはまったく一緒である。が、醸造場が違う。でも、なんらかの関係があるのだろう。どちらもうまい。
 そうだ、これまた虎さんからもらった柿の葉ずしがあった。ぱくぱく食いながら飲む。
 外では鹿らしい物音である。まさか霊ではないだろう。

 いいかげん飲んだに違いない。シュラフをもそもそと被っていつのまにか寝てしまった。

(三)
5月20日(日)
 4時50分起床。ポツポツとテントを叩く雨の音。やっぱり雨になった。
 テントの中が濡れている。寝袋も、ズボンのお尻も。なにやら酒くさい。コップが転がっている。
 「あれぇ…?」
 どうやら、飲み残したまま眠ってしまったらしい。それをこぼしてしまったのだ。
 パンと紅茶で朝御飯。よくよく思い返して見ると、自分で用意した晩御飯は何にも手付かずだ。

 雨はさほどひどくはなく、雨具は上だけにした。5時55分、出発。山頂に着いたのが6時5分。ガスの中である。
 円さん宛のメモを書く。DOPPOさんのことは伏せておいた。うまく会えれば、そのほうが効果的だから。虎さんから預かったメモととら焼きを入れたビニールの中に一緒に入れて山頂の板に括る。
 「さすがにまだ来はらへんやろ」
 
 和佐又への分岐を過ぎ明王ヶ岳。ここも石楠花がきれいだ。まして雨の中、花の色がますます映える。経箱石を過ぎたあたりで、雨具の下をつける。鹿の鳴き声が聞こえる。
 石楠花街道と呼ぶにふさわしく、山道の周りには何度も何度も石楠花の花、花、花。
 僕は、何度も何度も立ち止まってはシャッターを切る。

 そして、脇宿跡が近づく頃はブナ林になる。霧に包まれたブナと山道を歩いているのだ。柏木への分岐に女人結界門があった。そろそろ、DOPPOさんと出会うかな。まだ早いか。DOPPOさん、出会う頃になったら時々声を出すように書いてた。発声練習をしておこう。♪ドミソミドー。ド、ド、ド、ドッポーさ〜ん。

 7時55分。小笹宿に着いた。ここも広い平坦地。それに、お堂、小屋、お不動さんのような銅像があった。小屋の戸を開けるのはなかなか勇気がいる。
 休憩がてら周りをうろうろしていると小屋の中から話し声が聞こえた。戸を叩くと「どうぞ〜」。学生風の三人がそろそろ出ようかという時だった。
 「単独行のおじさんと出会ったら、相棒と会いましたよって、ゆうとって」
 「はい。小屋でさぼってはりましたわって、ゆうときますわ」
 入れ替わりに中でゆっくりする。なにしろ、小雨とは言え雨だから小屋の中はありがたい。
 「もし、山上ヶ岳まで会わへんかったら山上ヶ岳で待つことにしよう。それにしても日帰りとは、やっぱすごいわ」
 8時20分。小屋を出る。
 8時半。茶色っぽい雨具を着けたおじさんが黙々と歩いてくる。
 「おおおっ。おーい」
 「おおっ。なんや、えらい早いなあ」
 「あはは、日帰りですって? ようやる」
 「小笹宿から大普賢の間がまだなんや。一回目は小笹宿で大雨。二回目は台風でな」
 「まあ、DOPPOさんの足だったら、1時間半もあれば、大普賢とちゃいますか。10時には大普賢でしょう。雨に濡れてますから足元だけ気をつけて」
 「そやそや、鍵を交換せんと」
 「僕のは西口に出たところのトンネル側に置いてますから」
 「僕のは、清浄大橋のすぐそばやから。僕のほうがだいぶ遅くなりそうやな」
 「天川の役場で待ってますわ。テントでも干しときますわ」
 「そや、虎さんが郭公さんの名前で掲示板になんか書いてはったで。僕も、雨やから行くのやめとくわって書いといた。えへへ」
 なんだか面白いことになっていそうだ。

 山上ヶ岳の大峰山寺は、意外にも突然現れた。「あれっ、もうここなの?」
 9時5分だった。お堂が開いていた。線香を上げる。
 ザックを置いてお花畑へ。稲村はガスの中だった。
 大休止後、洞辻茶屋で10時。その間、お参りに登ってくる人たちと何人、いや何十人も出会う。「ようお参り」、どうやらここではそれが挨拶のようである。頭を丸めた外人にも出会った。
 一ノ世茶屋で10時50分。清浄大橋はもうそこだ。屋根の下でゆっくりと一服。講の張り紙を眺めていると「晴雨不論」と書かれていた。

 11時10分、清浄大橋。これで奥駈は入口と出口が残ったことになる。虎さんや、DOPPOさんの協力のおかげだ。  DOPPOさんの車に乗り込み、ゴロゴロ水を汲む。
 虻トンネルの観音峰登山口へ。虎さんと僕とで貼った3枚のメモのうち2枚がそのままにあった。それを回収し、天川の役場へ。
 雨はあるかなきかの小糠雨。後ろを開けて、ラーメンを作る。お湯を沸かす間に虎さんに電話をする。
 報告をしておかなければ。

 空模様を見ながらテントを干す。
 地図を見ながら、DOPPOさんは3時半頃だろうと見当をつける。ちょうどダービーの発走の頃だ。最近は馬券を買ってない。発馬表も見ない。いつだったか、やはり山の帰りにG1をやっていて、そのとき「クロフネ」が勝った。その「クロフネ」が今回も走るらしい。知っているのはその程度である。

 若い女性の二人連れが山から下りてくる。ザックの大きさから判断するとテン泊だろう。
 テントもだいぶ軽くなった。しまっておくか。車の後ろでごろごろする。運転席に座ってラジオのスイッチを入れる。ガムを一枚失敬する。

 役場への入り口にグレーのライトバンが。
 「あれぇ〜、DOPPOさんやんか。めっちゃ早いやん」
 14時15分であった。
 「あれから大普賢までは一時間やったわ。9時35分くらいやったかな。円さんとは七曜で会うたで」
 「はや〜」
 
 二人は天川温泉に入り、「大川のこんにゃくを食べて帰ろか。うまいで。一本50円や」
 ラジオではダービーの中継だ。四角を回って最後の東京の長い直線に向いたところだ。
 「クロフネが…」
 「おいっ、クロフネがどないしたんや?」
 ちょうどそこで長い長いトンネルに入った。