撮影編集は虎右衛門氏


 七面山、感無量 (June 2, 2001)

 急登をつめて尾根に出るとそこは石楠花の森だった。
 虎さんと僕は、先を急ぐこともなく、何度も立ち止まりながら、半ば呆然としてその石楠花の中を逍遥した。小さな谷を挟んで見える檜ノ尾の北斜面は、まるで赤い屋根の別荘地かと見まがうほどであった。先週の大普賢の石楠花も雨の中で素晴らしかったが、ここもまた言うに及ばず。むしろその花の数ではこの七面山に一歩を譲らなければならないだろう。
 左には地獄谷を挟んで明星ヶ岳。そこへ競りあがっていく尾根筋は先日DOPPOさんが登られた。その明星からの稜線が奥駈道である。
 その道を僕はこの春二度歩いた。一度は楊子ヶ宿まで。もう一度は舟のタワまで。明星を巻いて尾根に出るところに大きく崩落したところがある。道はそこで遮断されている。草の根を掴んでぐっと高巻いた。再び道へ戻ると尾根筋になる。ちょうど鞍部になっていて、大普賢が見とおせる。
 そこが、木の間越しに見えた。地獄谷からガレが突き上げているところだ。
 「あそこだ。あそこを通った。あそこで休んだ」
 僕は感無量だった。

 この七面山は、旭から釈迦ヶ岳へ向かう道から見える。東峰の切り立った壁によって一目でわかる。楊子ヶ宿からもその壁が見える。その壁の西側には幕営に適していそうな都笹の平坦な鞍部がある。それも見える。
 ここへは、奥駈の舟のタワと楊子ヶ宿の間にある小高い山から尾根をたどることができる。しかし、よほど日程に余裕がなければまずここまでは来ない。
 一方、大塔村から林道を伝って七面山直下までは入れる。が、林道を延々と入り込む。入り込むが地図には登山道は表示されていない。行きたくてもどこから取り付いていいのかわからないし、延々と入り込む林道もまた一人では不安である。今回虎さんからお誘いがなければ、眺めるだけの山になっていたことと思う。

 小さな鞍部へ下りると、シロヤシオだと思うが、花がやや桃色を帯びている。僕は勝手にモモヤシオと名付けた。
 再び登り返すとそこが七面山西峰のピークであった。鮮やかなアカヤシオが出迎えてくれる。小休止後、15分ほどで東峰。壁のピークである。虎さんは高校時代、奥駈の途中でここまで来られたことがあると言う。虎さんの感慨もまたひとしおではなかったかと思う。
 いったん西峰まで引き返し、そこから西の鞍部へとブナの林を下りていく。都笹に覆われた明るい鞍部である。ここからは釈迦ヶ岳、孔雀、仏生が一望できる。まるで北アルプスのどこかにもありそうな光景であった。それは暑さが夏の北アルプスの記憶をどこかで呼び起こしたのかもしれない。
 この稜線も、昨年の12月中旬、初めて歩いた。その時はガスに包まれて何にも見えなかったけれど。釈迦ヶ岳の山頂には一本の直線が見える。釈迦像だ。それから下って鎖場や痩せ尾根を通過する頃は霰まじりの雨だった。孔雀のピークではもう釈迦ヶ岳もガスに包まれていた。緩やかに下り、仏生を巻く。12月のこと日も短い。日暮れ前にやっとたどりついたのが楊子ヶ宿だった。そう、いま眼前に見えるあの稜線を歩き、そして東峰の向こうにある楊子ヶ宿で幕営した。
 
 昼食後、檜ノ尾へ。ここもまた石楠花乱舞。ピークから石楠花に牽かれて斜面を下る。迷い込みそうだ。

 都笹へ戻る。
 去り難い思いを残しながら、僕たちは再び石楠花の森を抜けて下山した。
 僕には僕の思いが駆け巡ったのと同様、虎さんには虎さんの、さまざまな思いが駆け巡ったにちがいない七面山石楠花探訪行であった。