太郎兵衛平−雲の平−鏡平−わさび平(Jul.25/29, 2001)
折立から太郎兵衛平に上がり、北へ向かうと薬師、五色ヶ原を過ぎ立山の室堂へ出る。この道は去年歩いた。
今回は、東へ。薬師沢、雲の平、黒部源流、三俣蓮華、双六のコースである。うまく行けば笠へも行ってみたい。
数年前、ブナ立尾根を烏帽子へ上がり裏銀を歩いたことがある。好天は初日だけで二日目から風雨であった。野口五郎、鷲羽は縦走コース上にありピークを踏んだのは間違いないのだが、それは標識のみでわかっただけのことである。ガスの中で何にも見えなかった。相変らずの雨のために、三俣蓮華も双六も登らず巻き道を通って双六の小屋に着き、一服したあと笠へも行かず、鏡平へ下り、長い長い小池新道の石畳を水分を含んだ重いザックを担ぎわさび平まで下りた。
今回の後半部分はそのリベンジの意味合いもある。
7月25日(水)。ナンバOCATを21:50発立山行きのバスに乗り、翌朝7月26日(木)、有峰口05:20着。ここからまたバスに乗って07:35折立着。パンを食べ、水を汲む。息子から貰った帽子を水に浸す。
07:55 出発。
初日。左俣で行水をするの巻。
この道は1870.6mの三角点までが樹林帯の中の急登である。遠慮なく汗が噴出す。
前回の弥山狼平以来、中二週の山だ。相変らず不摂生な日々だった。バスの中でも、せいぜい四時間も眠れたろうか。おまけに、今回は山中三泊の予定で、しかも食料に少し凝ったせいかザックの重さは20kgを若干超えている。
日々の不純な体液が発散されて、澄んだ空気と軽やかな山の水を摂り込むことによって体が浄化されるのならば、むしろこの汗はありがたい。
三角点まで何度か休み、休むたびに、缶詰の桃を冷凍したものを一切れずつ口に運ぶ。
09:40 三角点を過ぎると視界が開ける。森林限界を超えるのだ。高原状の道を歩く。道は整備されているが、けっこうきつい登りである。左には薬師が、振り返ると有峰湖が見える。直射日光にじりじりとさらされながら数度の休憩を重ねるうちに太郎平小屋が見えてくる。去年来た時は小屋のベンチで昼食だったが、今回はその直前で辛抱たまらず座り込んだ。どうせベンチは全部塞がっているなんて言い訳をしてみるが、実際はしんどかったのだ。
食後コーヒーを入れ、大休止状態。
13:50 太郎平小屋を通過。薬師沢へ下る。せっかくここまで登ってきたのに。
地図にはこの薬師沢小屋周辺にはテントマークがない。ネットで調べてみると沢の汚れを防ぐために幕営禁止のようである。
薬師沢に下りきってしまうまでに道は沢に沿いつつ何度か橋を渡る。左俣は赤木岳に源を発しているが、この沢は遡上にも使われているようだ。ひょっとすると幕営適地があるかもしれない。あればそこで幕営しても良いし、なければ小屋に素泊まりしよう。木道を快適に下る。周囲はお花畑だ。木道に腰掛けてゆっくりと一服。
さらに下ると、左俣の沢が中俣に合流する。ここだな。橋を渡ってごろごろした岩に下りてすこし上流へ向かうと右に平坦地があった。あったが、すでにザックがふたつ置かれている。予約済みだ。仕方がない、もう少し上へ行ってみる。岩を飛んで対岸に移ると水際に畳一畳ほどの砂洲があった。
何とか張れないこともないか。それにしてもぎりぎりだ。雨が降ったらどうする? テントごと流されてしまう。もっと上へ行ってみるか。
そうは言うものの、水量と岩の間隔を目で追ってみるがここらあたりが濡れずに行ける限界のようでもある。天気はまあ大丈夫だろう。よし、ここで幕営しよう。雨の音がしたら即撤収だ。
足で砂洲をならす。テントを広げてみる。ちょうどひと張り分のスペースだ。設営を終えたのが15:30。
まず、顔を洗う。腕に水をかける。ズボンの裾を捲くりそろっと足を沢に浸けてみる。めちゃ冷たい。三秒と浸けてられない。こりゃ、行水だなんて…。それでも汗はかいているのだし機会があればさっぱりしておくにこしたことはない。
もう一度足を浸けてみる。やっぱり冷たい。それを何度か繰り返す。誰も見ていない。ズボンを脱いで、トランクスとTシャツになる。今度は太ももまで浸かってみる。一、二、三、やっぱり三秒までだ。これも何度か繰り返す。誰も見ていないのをいいことに、Tシャツを脱ぎ、トランクスも脱ぐ。つまり全裸である。脱がないと濡らしてしまうのだ。ぐっとこらえて胸まで浸かる。一、二、三。岸へ上がる。こりゃあ冷たい。もう一度、ぐっとこらえて。さらにもう一度。やっと行水らしき仕草になったか。誰も見てないのが残念だ。
体を拭いて下着だけでテントに戻る。ふぅ。でも、さすがにさっぱりしたぞ。さっきまでの汗まみれがウソみたいだ。
さらさらになって、焼酎を飲み始める。泡盛「照島」を500ml、球磨焼酎「犬童」を350ml持ってきた。
晩御飯はシチューと味噌汁。
腕時計のタイマーを04:20、04:40、05:00にセットしておく。
セーターをかぶり、シュラフは羽毛だからファスナーを閉じなくても充分暖かい。
沢の音は相変らずだがそれも気にならないままぐっすり眠ってしまった。三時ごろ目が醒めた。空気窓から外を覗くと満天の星である。出入り口を開けて改めて空を見上げる。白鳥座だろうか、くっきりと見える。雨は心配なさそうである。
二日目。 浮石を踏み雪渓に落ちそうになるの巻。
沢の音に混じってピピッと電子音が。外は明るそうだ。とすると五時のピピだったか。しばらくうとうとしながらやっと起き出す。寝袋を仕舞い、パンをかじりコーヒーを飲む。
撤収後、歩き出したのが06:25。香田さんやDOPPOさんからはヒンシュクを買いそうである。
カベッケガ原と地図にあるところだろうか、お花畑がきれいだ。
07:30 薬師沢小屋。沢に下りてのんびりと朝日を浴びる。向こう岸に滝がある。そうか、あそこで水を汲めばいいのか。橋を渡り対岸へ。この滝の水がまた冷たくて美味しいこと。ポリタンの水を汲み変える。
いよいよ雲の平への急登だ。雲の平側から下りて来られた人たちに出会う。
「きついよ、この坂は」。
たしかに地図の等高線も詰んでいる。樹林帯の中のごろごろした岩をあえぎあえぎ何度かの休憩を入れて登っていく。缶詰の蜜豆を食べていると、おばさん二人連れがまず追い越して行った。西鎌を槍までの予定だと言う。
一人の外人を含む四人のパーティが追い越して行った。おじさん三人に青年一人の構成である。
急登が終わると道は木道になる。やっと森林限界を越えそうなあたりかと思われる。若干登りはするものの緩やかな木道歩きである。樹林もまばらになってきた。ふぅ、さすがにしんどかった。
右手のはるか先に槍が見えた。穂先にガスがついている。水晶が正面にどっかりと見える。左には薬師である。
先に、雲の平の小屋が見える。そうか、ここが雲の平か。平坦な木道の回りにはまさに庭園と呼ぶにふさわしく大小の岩が点在している。
11:30 高天原の分岐に腰掛けて昼御飯にする。サラスパとトマトソース。美味しかった。高天原温泉へ向かう人も何人かおられた。
食後散歩がてらに小屋の方へ上がると、さっきの四人組がビールで酒盛りの最中である。
「えっ? きょうは、ここまで?」
「そう」
木道に沿ってスイス庭園まで。谷を挟んで水晶がバンと控えている。左奥に見えるのは高天原温泉へ向かう道だろうか。
いったん引き返してテン場まで下り、再び祖父岳中腹の巻き道まで登る。ハイマツの中の平坦な道を抜けると眼前に雪渓が広がった。そして谷を挟んで三俣の小屋が見えた。きょうはあそこまでだ。その先に槍の北鎌尾根が人を寄せつけない峻厳さで屹立している。
ゆっくりと眺望を楽しみ、あとは黒部源流へ下り、登り返せばきょうのテン場である。
少し気分が浮き浮きしていたのかもしれない。ルンルンで小気味良く歩いていたはずである。道のしっかりした岩に足を乗せながらトントンと歩いていたつもりだった。左足を石の上に乗せたはずだ。そこで僕の体はバランスを崩し、右へ大きく横転した。
「しまった。雪渓へ落ちる」
そう思ったのが先だったか、右ひざに激痛が走ったのが先だったか。それでも僕は左手で道のしっかりした岩を掴んだ。体は、雪渓へ落ちる崖に投げ出されていた。
「ううっ。痛い」
「落ちなくて良かった。浮石を踏んだのか」
一瞬の出来事だった。
痛さをこらえつつ、呼吸を整える。左手は大丈夫。右手も左足も大丈夫。痛さはない。痛いのは右ひざだけだ。折れてるかな? そろっと体をずり上げ道に戻る。痛いのは痛いが、歩いてみても激痛はない。どうやら打撲だけで済んだみたいだ。良かった。大きな浮石に足を乗せたようである。大事に至らずに良かった。それでも、瞬間、僕は雪渓に落ちないように左手で岩を掴んだ。
「ああ、この芸当を誰も見ていないとは」
気を取り直して黒部源流への谷を下る。正面には鷲羽。鷲の背骨の両側にまさに羽を広げたように見える。鷲羽とはこちらから見た命名だったか。向こうはカールになっているはずだ。
(深田久弥『日本百名山』には、「この山を黒部川の対岸薬師岳や太郎兵衛平から眺めると、山肌の岩と雪の模様が鷲の羽のように見える、そこから由来したのだという説を、私は何かの本で読んだおぼえがあるが、真偽は保しがたい。」とあるが、事実そのように見えた)
ここもまた急坂である。気をつけよう。右ひざにはズボンを通して血がにじんでいる。少し痛さはあるものの普通に歩けるのだから、源流まで下りてから見てみよう。ジグザグを繰り返しやっと黒部源流に下り切った。ズボンを捲くると右ひざに擦り傷があった。さいわいこれだけの傷で済んだのは何よりもありがたい。
源流で水を汲み三俣までの坂を登る。岩苔乗越側から七人ほどのおじさんおばさんのパーティが。水晶まで行って来られたのだとか。途中の沢で、顔を洗い、腕を洗い、Tシャツを脱ぎ、体を拭く。このひんやり感がなんとも言えない。
テント場にはすでに十二、三張りほど。
黒部源流の水で焼酎を飲む。
三日目。はじめて山頂を踏むの巻
今朝もアラームの音には気がついたけれどなかなかさっさと起きれない。結局06:30出発だ。今日も好天。短パンで歩くことにする。
双六の巻き道との分岐をほんの少し登ると三俣蓮華の山頂だ。
圧倒的な眺望だった。考えてみれば、三日目にして初めて山頂を踏んだことになる。太郎までの急登のあと、薬師沢へぐっと下り、雲の平までまた急登であった。黒部源流へ下り三俣まで登り返す。その間、ピークは一度も踏んでいないのだ。
黒部五郎、鷲羽、水晶、赤牛も。雲の平の向こうには雄大かつ優美な薬師が。その先にガスが付いているところがきっとスゴなのだろう。あそこでブロッケンを見た。はるか先はたぶん立山だ。
太郎平小屋も見える。その小屋から黒部五郎までの稜線も見える。なんと素晴らしいのだろう。「よし、次はこの稜線を歩いてみよう。あそこに幕営できそうだ」
槍、北鎌尾根、そして大キレットを経て穂高の山々が。
じいんとしながら心行くまで眺望を楽しみ、双六へ。ここでもまた大休止。広い尾根を通って双六小屋。当初の予定からはずいぶん遅れてしまった。少し早いが昼御飯にする。
「笠は次の機会にしよう」
好天にも拘わらずさっさと諦めてしまった。
鏡平の分岐までに雪渓が二箇所あった。今年は雪が多く残っている。雪渓で冷やした缶詰のフルーツを食う。
分岐を過ぎ、鏡平小屋で生ビール。
またもや長い長い石畳の小池新道を黙々と歩きわさび平へ。下りきって林道へ出るあたりが、崩落のせいか道が付け替えられていた。わさび平小屋のブナ林の中で設営。
四日目。風船ガムみたいな水ぶくれが出来るの巻。
翌朝は、風呂が開く時間を待ってのんびりと。十数張りのテントがあったけれど、出たのは僕が最後だった。風呂に入り、朴葉味噌を土産にバスに乗った。
新穂高温泉では、右ふくらはぎ上部に小さな水ぶくれがひとつあった。高山で下りる時には少し大きくなってしかもふたつできていた。地ビールを飲みながら街中を歩き、蕎麦を食った。
名古屋で乗り換え新幹線に乗る頃は、そのふたつが合併してひとつになり大きくなった。さらにその下にもうひとつ。日焼けによる火傷状態なのだ。まるで風船ガムを膨らましたみたい。
付録。医者に診てもらうの巻。
病院へ行くと看護婦が職業用の微笑で「どうしました?」と聞くので、足を上げて「これ」と言うと、真顔で「ゲッ!」と言った。僕は内心むっとした。そのくらい見てわからんか? 診察室へ行くと今度は医者が「ゲッ!」と言った。
「なんだよ、ここの病院は! 素人ばっかりか!」