鈴鹿―小憎たらしい小娘の魅力 (Aug.25/26, 2001)


八風峠−釈迦ヶ岳−羽鳥峰−中峠(黄和田峠)−大瀞(幕営)

 「もしかよ隊」隊長のDOPPOさんが直前になって大事な仕事のために不参加になった。隊員の郭公は一人で四日市のインターそばのコンビニへ向かった。いなり寿し、パンを調達し、靴紐を締めていると「へべれけ隊」の3人と、サポート隊のM田氏が到着した。
 「やあやあ」
 「どうもお世話になります」
 前夜、DOPPOさんから預かった水2リットルのポリ2本のうち1本を彼らに。これは虎さんの北アルプスのお土産である。僕たちが鈴鹿へ行くと言うので前日わざわざD氏に届けていただいたのだ。
 車を下山地点の武平峠へデポし、M田氏の車で八風峠まで。ここは前回の下山地点。見覚えがある。
 M田さんには、幕営予定地の大瀞へ先乗りしてもらって、ビール、水を荷揚げしてもらうことになっている。
 地図を見ればわかるとおり鈴鹿には縦横の登山道がある。彼は真直ぐ大瀞へ。僕たちは第三回目の鈴鹿縦走計画にしたがって、八風峠から釈迦ヶ岳、大瀞(幕営)、明日は雨乞岳、武平峠の予定である。
 「へべれけ隊」のTOHRUさん、RINさんとは前回の鈴鹿以来。美波さんとは吉野の花見山行以来ではあるまいか。

 八風峠へ上がると、もうススキが風に揺れていた。秋も近いのだ。
 釈迦ヶ岳手前は背丈ほどの藪を漕ぐ。前回の極楽登山から約三ヶ月。そのときから比べてもだいぶ生い茂っている。ちょうど目の高さに笹がある。足元は岩があったり、道が谷側へ傾斜したりで歩きにくいことこの上ない。
 「うへ!」
 それでも、時々、見通しのよい尾根に出ると風がすうっと心地よい。なかなか気を引いてくれるのである。
 釈迦ヶ岳山頂で記念写真。下りたところの平坦地で昼食。とりあえずザックを置いて空身で松尾尾根の頭へ。この松尾尾根へ上がる道も良く使われているようだ。

 猫岳山頂で、サポート隊と第一回目の交信。美波さんがザックからトランシーバーを取り出す。以下、良くわからないが、美波さんがサポート隊を呼び出すとその周波数を使っている人がいてなんだか混線模様。美波さん曰く、この周波数は彼女が使用できるはずなのに無断あるいは違法に使っているおっちゃんがいるらしい。いまどき携帯もっとらんのか?みたいなことを言っている。おっちゃんは、トラックの運転をやっていたのかもしれない。延々と世間話が続いている。
 羽鳥峰は白い花崗岩のざれた上に岩が幾つか乗っかった見晴らしのいいところだ。RINさん曰く、どこから見てもすぐそれとわかるところだと。金山に登り返す鞍部でヘビが飛んできた。「げっ!」
 よく見ると、「マムシ注意」の看板だった。
 「すなすなすな、ヘビは怖いっちゅうねん」
 そこから金山までが今回最悪の藪漕ぎだったろうか。狭いピークで休んでいると蜂が飛んできた。RINさん、超マジ顔で、「あかん、はよ行こ。刺される」。僕がタオルで追い払ったのはどうやらスズメバチだったようである。
 そそくさと中峠(黄和田峠)まで。あとは大瀞まで下るだけらしい。
 「しんどかったね〜」なあんてくつろいでいると、「オイ、オイ」と野太い声が。
 「おおおっ、香田さんやんかいさ〜」
 朝明から上がって来られたのである。
 「地図には30分とあるけど、40分かかったな。ま、荷物もあるし」
 「えっ? それでここまで来たの?」
 RINさんの記録によると、僕たちは約六時間半でここまで来た。鈴鹿はそれほど縦横に道が通っているのだ。
 そう言えば、TOHRUさんとのやりとりに、行くかもしれないようなことを書いてたぞ。昨日も「行くの?」ってメール来てたけど、そうか、確認のメールだったのか。
 それにしても、びっくりしたなもう。

 大瀞に着くと、M田さん、M原さんがすでにテントを張っていた。水とビールを荷揚げしていただいたのだ。ロープにはなぜか浮き輪も干してあった。
 大瀞は愛知川渓谷にあるが、水が飲めるのかどうか?
 本流のはやめといた方がいいでしょう。でも、支流のは飲める。すぐそばにその水場があります、とのこと。
 設営後、車座になって飲み始める。
 北海道のユースの話。僕は泊まったことはないが、ユースでは禁酒なんだそうな。それなのに、歌ったり踊ったりするのだとか。
 RINさんがその踊りつきの歌を披露。もう暗くなっていたせいか、RINさんが黒い服を着ていたせいか、手と顔だけが異様に白かった。
 「ああ、こんなのテレビで見たことあるある」
 TOHRUさんが御飯を炊いて、RINさんと美波さんが豚汁。赤味噌だった。名古屋に近いんだなぁとひそかに感心する。
 香田さんはでっかいフライパンで肉を焼く。
 
 RINさんの踊りと御飯は順序が逆だったかもしれない。もう相当に酔っていた。
 テントに戻り寝袋を引っ張り出すのももどかしくさっさと寝てしまった。


大瀞−杉峠−雨乞岳−武平峠

 「地震や、地震や」
 香田さんの声がする。テントもゆさゆさ揺れている。でも、僕の体はちっとも揺れていない。
 根の平峠への渡渉地点で香田氏と別れる。水量は豊富。「靴を脱いで渡ればぁ」なんて言ってると靴のままザブザブと対岸へ。彼はいつもどこか意表を突く行動に出る。でも、きっとあとで、ひそかに靴を脱ぎ、靴下をぎゅっと絞っているに違いない。
 僕たちも30分ほど遡上したあと渡渉。TOHRUさんと僕は靴を脱いだ。
 RINさんと美波さんは靴のまま渡れるところを見つけた。
 足の裏が痛い痛い。
 このあたりは平坦だが、踏跡がはっきりしないところもあった。山深いのだ。鈴鹿の最奥部ではないだろうか。一人ではまず来れない。地元のエキスパートに同行してもらってこそ味わえる醍醐味と言ってよい。炭焼き場跡、それから鉱山の住居跡の石組、石段があった。古来から人は入っているのだ。
 
 杉峠へ上がると数人のパーティが。腰掛けるのに恰好の倒木があったが、裏側にマムシがいるとのこと。しかも生まれたての子供がうじゃうじゃいるらしい。
 「近寄らんほうがええよ」
 もちろんだ、ただでさえ怖い。怖いけれど、怖いもの見たさもある。遠くから首だけのばして覗き込むとホンマにうじゃうじゃかたまっていた。子供だろうかしっぽをぽよぽよさせていた。
 
 離れたところにザックを下ろし腰掛ける。先着のパーティのひとりが、
 「おや? ヒルとちゃうか?」
 どうやら僕の背中にいるらしい。全然気がつかなかった。
 TOHRUさんにタバコの火で焼いてもらう。2cmから3cmくらいだったろうか。
 「へえ、これが山ヒルなんだ。初めて見るわ。ちっこいね。田舎育ちだから田んぼのヒルはいっぱい見てきたし、吸いつかれたこともあるけど」
 念の為に靴を脱いでみると、靴下の上にも一匹いた。
 まだ吸いつかれてなかったのがさいわいだった。
 みんなも自分の服、靴の中を点検。それぞれ二匹ずつほど出てきたのではなかったか。

 杉峠から雨乞へは急登から始まる。稜線に出ると平坦。谷を挟んで東雨乞が見える。人がいるのも見える。(僕はてっきりそこが雨乞だとばっかり思っていた)
 稜線に沿って目前のピークを越えて左へ吊尾根を渡ったところ。もうすぐだ。
 もすこし、頑張ろう。藪を漕いで狭いピークに出る。そこが雨乞岳山頂。藪に囲まれ展望はない。地面に、「DOPPO 12:30 下山」と書かれていた。なんや、DOPPOさん来てはったんかぁ…。時計を見ると12:35。なんやついさっきまでいてはんたんや。みんなで叫ぶ。
 「オーイ、DOPPOさ〜ん」
 吊尾根の途中に腰掛けているのがDOPPOさんにちがいない。
 藪を漕ぎ漕ぎ、やっとこさ東雨乞へ。

 DOPPOさん
 「昨日の晩に武平峠まで来たんや。今朝、登って四時間待ったで。あんまり遅いからアクシデントでもあったんとちゃうかな、思てたんや。そやそや、みかんのゼリーがあるんや」
 そう言ってひとつずついただく。疲れた体に、甘くてちょい酸っぱくて美味しかった。
 僕はラーメンで昼食。最後のパンをかじる。
 やっと着いた。あとは下るだけ。きつかったなぁ。
 
 下りもまず藪漕ぎから始まった。しかも地面が濡れている。急な下りで滑りやすい。ところどころに段差もあれば、岩もある。難儀な下りだった。それが済んだと思えば谷側へ傾いた山道。今回の最高峰は雨乞の1238m。低山だけれど、鈴鹿ってところは一筋縄ではいかない。いろんな仕掛けがある。まるで小憎たらしい小娘の魅力だ。
 藪を払いながら「もぉ、嫌い!」って思っていると、ざれた花崗岩の見晴らしのいい尾根に出る。すうっと涼風が肌をなでる。押せば引く、引けば押してくる。
 沢の水音だけが聞こえ、平坦な奥深い道は静寂な散策道と言ってよい。
 おじさんは鈴鹿と言ふ小娘に翻弄されさうだ。いや、翻弄されてみたい。そんな衝動に駆られてしまふ。

 でも、さすがにおじさんは疲れて来た。「あとどのくらい?」を連発する。
 しまいに雨になった。雨具を着ける。この小娘、おじさんをどれほど翻弄してくれるのやら。
 車のエンジン音が聞え始めた。
 「これからまたけっこうあります」とTOHRUさん。
 「やれやれ」

 やっと武平峠に着いた。トンネルをくぐるとDOPPO号が。僕たちの車は歩いてあと30分下に駐めてある。
 「ああ、ありがたい」