前穂、奥穂―紅葉と澄みきった空気と (Oct.6/8, 2001)
森の音さんとの奥穂行きがあっと言う間に決まってしまった。出かけるひと月ほど前のことである。この時期仕事は一年でもっとも忙しい。だけど、休日まで出ることはない。10月に3連休がある。奥穂か、よし、行きましょう! そんなノリであった。さいわい決まってから出かけるまで時間はあったからこまごまとした食料、ガスなどはゆっくり揃えることができた。森の音さんとの打ち合わせも何度もできた。
DOPPOさんが、
「ふうん、奥穂行くのぉ? 膝のこともあるから、そうやなぁ…。徳沢あたりをベースにして…、そやなあ、じゃ、一緒に乗っけてもらうかな」
10月5日(金)
夜11時半。千里中央で待ち合わせ。たしか森の音さんはモスバーガーの近くでと書いてた。最終が出たあとのバス停は真っ暗だ。その近くの2階にモスバーガーはあった。僕とD氏はその暗いバス停のベンチに腰掛けて森の音さんを待つ。D氏が森さんに電話するともう近くまで来ているとのこと。それから待っても待っても現れない。なんと森さんはロッテリアの前で待ってはったのです。
「ははは。ハンバーガーなんてめったに食わないもんだから。ポリポリ」
10月6日(土)
森の音さんのゆったりした車で、運転を交代しながら名神、東海北陸道と乗り継ぎ明け方平湯着。仮眠を取ったあと平湯のバス停へ向かうと目の前にバンと笠ヶ岳が見えた。
じつにキレイだ。夜明けの澄んだ空気の中に大きくしかも気品のある山容。車を停め、森さんは三脚を出す。D氏はデジカメ。
「あかんだな」の駐車場から無料のバスが平湯のターミナルまで送ってくれる。あふれるほどの人だった。
上高地へ着く。水を補給し河童橋を渡る。相変らずの喧騒である。明神岳の岩壁の赤い葉はナナカマドだろうか。
僕と森の音さんは岳沢への登山道へ、DOPPOさんは明神方面へ。
「じゃ、気をつけて」
二日後、明神で11時から12時の間くらいにと約束して僕たちは別れた。
天気はいいし、このルートも初めてだし、きょうは岳沢までの予定だから、急ぐ必要もない。ゆっくりと登っていく。人も少ないし、黄色く色づいた山道を、忙しい最中だけどやっぱり来て良かった、そう思いながら歩いた。右は前穂から明神岳への稜線、左は西穂から奥穂への稜線、その間の谷を僕たちは歩いている。
ちょうどお昼に岳沢に着いた。昼食後、水を2リットル買ってテント場まで。このテント場からの眺めがまた良い。周りは紅葉。下には上高地が見える。なるべく見晴らしのいいところを選んで、整地しテントを張る。一時間ほど昼寝をしたろうか。目が醒めてもまだ日は高い。
「写真、撮ろう」と涸れ沢に下りたりしながら周囲を歩きまわる。
「森さん、いいですねぇ」。
酒を飲み晩御飯を食べると、睡眠不足もあり、さっさと寝てしまった。
10月7日(日)
ずいぶん冷え込んだのかテントのタープがパリパリと凍っている。外へ出ると、なんとも言えない凛とした光景。ピシッと引き締まって澄みきった空気。はるか先まで見渡せる。
「森さん、いいですねぇ。最高ですやん」
「きょうも快晴やね」
撤収し、「さあ、行きましょうか」って頃に、たぶん岳沢の小屋に泊まっておられたのだろう20人を超えるパーティが「おはようさん」。大阪発のおじさん、おばさんのパーティだった。
この岳沢から前穂への重太郎新道もなかなか良かった。急登できつかったけれど、紅葉に包まれ、眼下にはずっと上高地が見え、焼岳も、はるか向こうには乗鞍、その奥には御嶽。足元には霜柱。
ゆっくりゆっくり登りながら森林限界を超える。紀美子平でザックを下ろし、カメラだけ持って前穂山頂へ。視界360度ばっちり見える。
「ええですやん、めっちゃええですやん」
富士山も見える。蝶、常念、大天井、表銀座を経て、あれが燕だ。その向こうに鹿島槍、さらにその奥、やや首をかしげているかに見えるのが白馬にちがいない。それを左に振ると、あれは剱とちゃうか。
裏銀の鷲羽のカールも見えた。あれが水晶かな?
夏に行った雲の平方面はちょうど奥穂にさえぎられている。早く奥穂まで行って見てみたい。
涸沢のカールには数えきれないほどのテント。涸沢から前穂への岩場コースにも数人が取りついていた。
直下には奥又白池が見えた。そこにもいくつかのテントが。岩登りのベースらしい。
紀美子平まで再び戻り腹ごしらえ。フランスパンに、コンデンスミルクをつけてかじる。これはDOPPOさんに教えてもらった。
目の前の高まりが奥穂。吊尾根を経てすぐ行けそうな気がする。しかし、意外と長かった。地図でも1時間半だ。
森の音さんは学生時代このルートを逆から来て、仲間の一人が滑落して亡くなられたらしい。その地点あたりまで来て手を合わせておられた。
吊尾根からは前穂の涸沢側の切り立った壁が見える。
奥穂山頂まであとわずかのところでガスが出てきた。お昼に奥穂山頂。大勢の人だった。
僕は、ザックを下ろし、山頂の穂高神社の奥宮へ。ここからなら三俣蓮華、雲の平方面も見渡せるはずだ。だが、雲にさえぎられて見えなかった。
「ああ、残念」
この夏歩いたのだ。
目の前にジャンダルムの切り立った壁が見える。西穂から来たらしい数人がちょうど奥穂へ着きかけていた。痩せ尾根を眺めながら、これはちょいと僕にはできないな。
昼御飯を食べ、奥穂の小屋へ下りる。ここもまた大勢の人である。2時、ザイテングラードを涸沢へ。渋滞気味で比較的ゆっくり下りれた。きのうの岳沢、そして今日の岳沢から前穂が今回のクライマックスだったのではないか。前穂からの眺めは特に素晴らしかった。
もうそろそろ涸沢へ着くころのナナカマドの紅葉はじつに鮮やかだった。
涸沢はまるで心斎橋なみの混雑。
涸沢小屋のテラスには数えきれないほどのザックがおそらく朝食の時間別にずらっと並べてあった。
僕たちは缶ビールを買って、テント場へ。
僕はこの下る頃から軽い頭痛になっていた。
森さん、
「薬あるよ。郭公さんは、ピリン系? 非ピリン系?」
「は? なにそれ?」
薬のアレルギーと関係するらしいのだが、どっちがどうだかわからずじまいだった。
テントの設営をしている間に森さんは受付へ。水も森さんが汲んできてくれた。僕はその間テントの中で横になる。
さて、あとは晩御飯。まずはビールで乾杯。森の音さんからいろんな話を聞いた。愛妻家の話はつまんないから省略する。森さん、ごめんなさい。ポリポリ。(^^ゞ
犬の話を紹介したい。
森さんとこでは雌犬を飼っていて、近くの犬に犯されたんだとか。で、とりあえずそのことを犬の飼主には言っておいて、子犬が4匹生まれたので、そのうち2匹を引き取ってもらった。残りの1匹は妹さんだったかが引き取り、もう1匹もすぐどなたかに引き取っていただいたそうである。
で、飼っている雌犬を車に積んで散歩に連れていくのだが、嬉しそうに車に飛び乗ってくる。散歩の場所に着いて、森さんが所用のためにその犬を杭みたいなのに繋ぐと「行かんとって〜」と足に絡みついてくるんだそうだ。妹さんの犬も時々預かることがあり、やっぱり散歩に連れて行って杭に繋ぐと「行かんとって〜」と足に絡んでくる。「やっぱり、親子なんやなぁ〜」と嬉しそうに話しておられた。
また、森さんは意外と大食家であることに今回初めて気がついた。とにかく良く食べる。
僕は残してしまい、貰った頭痛薬を飲んで、森さんがまだ食べているうちにシュラフに包まってさっさと寝てしまった。
10月8日(月)
涸沢のモルゲンロートはキレイだった。僕も何枚か写真に撮ったけれども、まだフィルムのままである。森さん同様リバーサルを持って行った。スキャナの調子がイマイチなのでまだ紙に焼いていない。(後日談だが、森さん同様、フィルムスキャナを欲しいと言ったら、大蔵省に、にべもなくあっさりと却下されてしまった)
そんなことで、写真はまだアップできていない。
きょうは横尾ではなく、パノラマコースを徳沢近くの新村橋へ下る。朝から行列が出来ていた。数ヶ所、鎖を持ってへつるところがあり、そこでどうしても止まってしまう。
だが、パノラマコースと言うだけあり、涸沢、北穂、横尾尾根の向こうに槍が見える。その横尾尾根の下のカールも良く見れば平坦なところがある。テントはひとつもない。
「あそこええんとちゃいます?」
涸沢の喧騒とはえらい違いである。
「あの谷を詰めたらいいんかな?」
前を歩いていた人が、
「そうだね、横尾尾根から下るより、そっちのほうがいいと思うよ。テント張れるよ」と。
尾根に出ると、屏風の頭と新村橋への下りの分岐がある。時間さえあれば屏風の頭まで行けるのだがあいにくの渋滞で結構ロスがあったので、そのまま下りることにする。
長塀尾根から蝶、常念への稜線、きのうとは反対側の前穂から明神岳への稜線に挟まれた谷筋を梓川へ向かって下りることになる。ここの紅葉もきれいだった。
新村橋まで、あとわずかの涸れ沢で一服。ごろごろした岩に腰掛ける。すぐ前の若者の一人が羽曳野なんとかと書かれた手ぬぐいを頭に巻いていた。
「なんや、すぐ近くやんか。羽曳野なんて書いてるの?」
「はあ、誉田八幡のすぐそばに合気道の道場があるんですわ」
時間的には少し押していた。DOPPOさんとの待ち合わせに遅れそうだ。だから僕は少し急ぎ足になっていた。後ろで、森さんが、
「痛っ! 捻挫したわ」
左足首だった。
「こっちの方は、前もやってんねん」
森さんはその足首を固定するためにテープを取り出す。
「ふうん、準備がいいですね」
一度巻いて歩いたあと、どうもイマイチみたいだったらしく、細い木の枝を添え木にして巻きなおす。
「なあるほど」
話は前後するけれど、ポカリスウェットの粉末も持って来てはったし、それからなんやったっけ、「これええらしいよ」とやっぱり粉末の水に溶かす栄養分みたいなものも持って来てはった。
「疲れたときはええんやって」
「ちょっと飲ませて…。」
ひとくち飲んだけれど、「う〜ん、何とも言えんなぁ」
入れ物がCCレモンのポリだったせいか、なんかレモンと他の何かが混じったような味だった。
森さんはダブルストックで慎重に下る。やっと広い林道に出た。新村橋を渡る。徳沢まではあとわずかだ。槍からの下山組もいてにぎやかだ。
「郭公さん、DOPPOさんが待ってはるから、先に行ってていいよ。僕はボチボチ行くから」
「そうですね。そうしましょうか」
僕は、徳沢−明神間を40分で歩いた。
山へ行き始めた頃、この上高地を大又でしかも速足で歩く重装備の山ヤにはコンプレックスを感じていたものだ。それは今でもあるけれど。
「やあやあ」
事情を話し、まずはビールを。
DOPPOさんは徳沢をベースに、初日は徳本峠へ。二日目は横尾から蝶へ上がり長塀尾根を下りられたのだとか。今朝はのんびりと。
「徳沢でテント畳んだのは僕が最後とちゃうか」
そうこうするうちに森さん到着。
「おや?」
「なんや、こまくささんですやん」
「前を囲炉裏のワッペンをつけたザックが歩いてるから誰やろうと思って前に回ったら森の音さんやった」
こまさんは、新穂高温泉から小池新道を双六へ。西鎌を槍へ上がり南岳の手前から氷河公園を経て槍沢とのことだった。こまさんはそこで知り合いの妙齢の女性二人とばったりお会いされたんだとか。
黄色く色づいたダケカンバだろうか、その葉っぱがはらはらと落ちていた。
僕たちはその落葉の下を上高地まで歩いた。
うまい具合に待ち時間もなく平湯までのタクシーに乗ることができた。
夏よりこの時期の方が断然にいい。タクシーの運転手の面白い話を延々と聞きながら、僕はそんなことを思っていた。
風呂に入り、四人でわあわあ言いながら帰った。途中、藤井寺のインターで下り、DOPPOさんの息子さんが迎えに来てくれていて、ありがたいことに自宅近くまで送っていただいた。
(追記。12月30日写真挿入)
森の音さん:絶景・前穂高〜奥穂高の秋
DOPPOさん:No,302 蝶ヶ岳、徳本峠 古き面影の徳本峠、徳沢園へ