南奥駈、小春日和。(Nov.23/25, 2001)


 結局、RINさんと美波さんの二人で南奥駈をやると言う。僕などよりはるかに経験豊富な二人のことだし、あえて言えば、あそことここはちょっと気をつけてくらいのことで道そのものもまあ大丈夫。
 ただ、いささか薹が立ったと言えないこともなくもないけれども女性二人である。道中、熊や狼が出たらどうする? なあんて、あんまり用心棒にもならない僕だけれど、また、あんたが狼なんとちゃうの? というご批判もなくもないけれど、お邪魔でなければご一緒しましょう、と言うことで実現した、今回の3P南奥駈であった。
 RINさんと何度かやり取りをし、住居については、エスパースの5人まではいけそうな大テントで同宿。晩御飯については、洗米持参係が郭公、炊飯係がRINさん、おかずの係が美波さんと言うことになった。

 11月23日(金)
 ルートおよび幕営地については、GWにDOPPOさんとやったのとまったく同じ。
 好天、無風、温暖。文句のつけようのない日和。
 僕たちは和気藹々、旭の釈迦ヶ岳への登山口を歩き始めたのであります。
 千丈平で水場の状況を確認。春に比べるとずいぶん細くはなっていたが2L汲むのにさほどの時間もかからなかった。昼食後、釈迦ヶ岳を巻いて深仙宿まで。この道も春、DOPPOさんに教えてもらった。
 深仙宿の水場、香精水を見に行く。岩からかすかに沁み出てはいるが、汲むとなると工夫がいる。いつだったか、笹の葉が一枚差しこまれていて、それを伝ってポトリポトリと水が落ちていた。その下にコッヘルを据えて汲んだことがある。

 太古の辻を過ぎると、まず人には会わない。
 天狗岳の手前の尾根でテントを張ったお兄さんが一人、嫁越峠の手前でおじさん一人に会っただけだ。
 天狗岳でDOPPOさんに電話を入れるが、通じたような気もするが会話は出来なかった。
 登山口までの道中でも「夢の湯」を過ぎたあたりでは圏外になっていたように思う。登山口の林道に入る手前の公衆電話から一報を入れた。まずは、予定通りである、と。

 笹の宿に着いたのが5時。夕焼けがとても綺麗だった。
 テントの設営は主に二人に任せて、お湯を沸かして焼酎を飲み始める。RINさんは御飯を炊く。美波さんはおかずを作る。今晩はキムチ鍋と大根サラダ。
 テントに入り晩御飯。御飯が美味しく炊けていて、おかずも美味しかった。いい加減飲んだせいか、7時を回ったころにはさっさと寝てしまっていた。

 11月24日(土)
 5時起床。まだ暗い。
 朝食を済ませ、6時半出発。きょうも無風、比較的暖かいが、霜が降りていた。
 涅槃岳、誠証無漏岳を過ぎ、岩場をへつり、鎖場を下る。阿須迦利を過ぎ、下ると持経の宿である。宿内には5月に来たときは、いくつかのポリタンクに水の汲み置きがあったように思うが今回は小さいのがひとつあっただけである。
 水場までは林道を400m下る。
 テン場でそこそこ使いはしたがまだある。平治の宿で汲めばいい。
 平治の宿では、そろそろ水も尽きかけていた。それぞれが2Lのポリタンを持って水場まで下る。3分とあるけれどこれが急な下りでやたら長く感じられた。
 二人が先に着き、「涸れてるぅ〜」「あちゃ〜」
 暗澹とした気分で宿まで戻る。
 「あとなんぼほどあるんや?」
 3人合わせて500mlもあったろうか。でも、行仙まで行けばなんとかなる。
 しかし、ここから行仙までがまた長い。アップダウンもけっこうきつい。
 「どこが横駈やねん。めっちゃしんどいやんか」
 それでも二人は、なかなか小気味よいペースである。だらだらと休まない。「さ、行きましょか」「は、はい」
 僕はずっと後ろを付いて行っただけであった。さすがに、二人の経験には脱帽である。
 怒田の宿は、行仙への急登の手前にある。ここで最後の水を飲みきった。
 平治の宿からここまではけっこうしんどかった。
 「ま、もうすぐやから」
 行仙山頂でDOPPOさんと電話が繋がった。「順調やね」「そうですね」

 行仙の宿手前で三人の登山者とすれ違う。
 宿には誰もいなかった。水の汲み置きはあるにはあったが、最新のもので2週間前のものだ。
 「どうする? 水場まで10分だけど」「行きましょか」
 背負子を借りて、一斗缶にポリタンを入れてこれまた急な下りを。その水場への下りの入り口に「水は命なり」と書かれていた。美波さん、えらく気に入って「ほんまにそうやわ」。
 ここもまた長い。新宮やまびこグループさんのご努力で、この道も歩きやすく整備されていた。ありがたいことだ。
 やっと水場に着く。
 「えっ?・・・」
 岩の間からポタリポタリと落ちているのを溜めるように関が作ってあった。見た感じ、いつから溜まっていたのかわからない。
 流水でないことに三人ともに落胆。しかし、ここで汲まないととりあえずの飲み水もない。次のテン場、葛川辻にも水場はあるが、この調子だとどれだけあるかわからない。
 ここで汲めるだけ汲んで、沸かして飲もうと言うことになった。
 2Lのポリタンに3つ。小屋から借りた2Lにひとつ。それぞれの500mlのに3つ。
 総量、10.5Lと言うことになる。
 背負子で9L担ぐ。小屋までの登りがまたきついこと。
 やっと尾根に出た。「水は命なり」。

 小屋で大休止。ラーメンを炊く、コーヒーを飲む。その間に、汲んだ水を沸かし冷ます。
 約2時間の大休止だったが、僕としてはありがたかった。

 「さあ、行きましょう」。日暮れまでにはまだ余裕がある。きょう最後の登りは笠捨山まで。
 これまたなかなかきつい。南奥駈は急斜面の連続である。それなのに巻くなどと言うことをしない。尾根の形状に素直に従う。けっこうきついのだ。
 ようやっと笠捨山頂。
 「ふう」
 先にも書いたように、好天、無風、温暖。紀州、大峰、台高の山々がさえぎるものもなく幾重にも重なって見渡せる。
 釈迦ヶ岳とその直下の五百羅漢、釈迦ヶ岳から孔雀の尾根の向こうには大普賢が見えていた。思い返してみると、この釈迦ヶ岳は道中の高みからずっと見えていたのではなかったか。
 
 葛川辻まで急坂を下る。ここまで下ると、杉、桧の樹林帯である。
 例によってRINさんが御飯を炊く。美波さんが、きょうは衣笠丼を。それにさくさくのてんぷらを乗せて。サラダはわかめとなんだったっけ? シーチキンだったかしら。これまた美味しかった。お代わりをした。
 テントでは、昨日よりは話をしたが、それでも僕がまず寝てしまってたみたい。

 11月25日(日)
 起床は5時半だったか。
 二人の手際のよい撤収ぶりを僕はタバコをくわえて眺めている。
 きょうはお昼には下りれるはずだから、残りの水で充分だと思えたが、今後のこともあり水場を確認に行く。
 さすがに5月ほどの勢いはなかったけれど、流水を汲むことが出来た。
 この道中、僕がもっとも心配していた地蔵岳への登りの一箇所、木の根っこを踏んで谷を渡る所も、RINさん「郭公さん、ここのことをゆうとったん?」てな具合でなんなく渡ってしまう。「なんや、オレはここのためだけに付いて来たのに…」
 鎖が付けられていたが5月にはなかったように思う。ほんの数歩の距離だけど、僕にはこの道中では最も怖いところのようにインプットされていたのだ。

 地蔵岳を下りてしまえばあとはもう楽勝気分。相変らずの落ち葉のじゅうたんをかさかささせながら登り下りをくりかえす。
 如意宝珠岳で大休止。DOPPOさんに電話が繋がる。いま、谷瀬の吊橋あたりとのことである。
 岩の口で奥駈道に別れを告げ、玉置山登山口へ下る。どうやら前回よりひとつ手前で下りたらしい。が、事故もなく林道に下り立った。三人で握手を交わす。

 たぶんDOPPOさんが登山口近くで待ってはるかもしれないのでほんの少し林道を下ると、「やあやあ」。しっかり待っていただいていた。

 差し入れのビールといなり寿しをゴチになり、旭登山口へ引き返す。夢の湯で三日分の汗を流す。

 円さん、どんかっちょさん、echoさんが赤谷へ来ておられるとのこと、帰りはこの湯に入る予定で、待っていると「やあやあやあ」てなわけで、またまた話は盛りあがる。

 テントでは何のお役にも立てなかったのが幾分心残りではあるけれど、事故もなく予定をこなせたのが何よりありがたかった。
 また連れてって欲しいなぁ…。