中尾尾根から明星ヶ岳、八剣・弥山、修覆山、迷ヶ岳 (June 21/22, 2003)
神仙平 | 明星ヶ岳 |
八剣 | 弥山 |
修覆山 | 迷ヶ岳 |
2001年4月28/29日の山行記「弥山から楊子ヶ宿」に僕は次のように書いている。
> 明星ヶ岳のところに十津川側への分岐があるはずで、そこの標識を確認しておいて、とDOPPOさんから頼まれていた。
> 「あった、あった。これだな」
> 湯の又へ8キロとある。でも廃道みたいだぞ。写真に撮る。
> 「DOPPOさんは先週ここへ出る道を開拓しようとしてたのか。なるほど。DOPPOルート開拓後、連れて行ってもらうことにしよう」
> これは僕の範疇ではない。あと十年してもこんな気にはならないだろう。人それぞれ山への向かい方も違う。
それから約800回、日が昇り日が沈んだ。そして、とうとう僕もこの中尾尾根を歩いてみたくなった。志村けんふうに言えば、「なんだかなぁ・・・」。
6月21日(土)
08:15
湯ノ又の取り付きは先日DOPPOさんに教えてもらっていた。地図にない道は登山口を探すのがまず大変なのだ。
登りだしてすぐ小さな祠があった。安全を祈願。
ひたすら登って明るい稜線に出ると、目の前に神仙平がバンと見えた。
「おおおっ」
いままで、天和山から、唐笠山からも見えたがそれよりももっとはっきり手に取るように見えた。
「そうかそうか、なるほど・・・。あのあたりからガリガリ登れば奥駈へ行けそうだ」
登山口から2時間半ほどだったか、尾根に巨大な岩場が立ち塞がった。
道はその根っこを右に巻きぐっと登って右と左に分岐している。右はさらに急登。左はなにやら小さな岩場にロープが付いていた。そのロープをつかんでよっこらしょと登る。
さて、これからどっちへ行ったものか。目を凝らすとテープもあり、踏跡らしきものもある。なんせここから広い尾根になり、どっちへでも行けそうな感じである。
ところどころに僕もテープを巻く。
結局この巨大な岩場から奥駈までが核心部だった。
尾根に沿いつつ岩場を巻きつつ、ガラガラの浮石の急斜面を登りようやく奥駈が近づいた頃、腹が減って昼ごはんにした。結構疲れた。
13:15
トウヒかシラビソだかの立ち枯れの中を倒木を避けながら登ると左右に道が付いていた。
「ん?」
それが奥駈であることに気がつくまで三回くらい息をしたかもしれない。
「なんやあ。奥駈やんか」
すぐ右に「湯ノ又8キロ」の看板が見えた。
「ふう。ちょうど5時間かかった」
13:20
それから5分で明星ヶ岳。
「明星ヶ岳 大塔村」の山名板と、どこへ行っても見かける紀州の某会の山名板があった。
八剣へ向かう途中で単独のおじさんに会った。話をすると弥山小屋のおじさんだった。暇だから見回っているのだと。明日の天気は崩れそうだと。
13:50 八剣山頂。
鞍部に下りて沢で水を補給。
14:55
弥山山頂にある天河弁財天奥宮。
さて、これからこの北側に初めて入る。
いきなり「うへっ」と言いたくなる倒木地帯である。
さいわいどこからでも見えるように高いところに赤テープが巻いてあった。
それを頼りに跨いだりくぐったりしながら修覆山へ向かう。
途中二人のパーティに会った。30代前半くらいであろうか。
「やよい山はどっちですか?」
「は?・・・弥山(みせん)やろ? あのすぐ向こうの高まりやけど。神社があるから。どこから来たの?」
「鉄山からですわ。弥山、初めてなんですわ」
「車、入れた?」
「いえ、通行止めのところから30分くらい歩きましたかね。途中で迷ってしまって」
「迷ヶ岳行った?」
「下るとテープがないんですわ。赤いテープは何の意味なんでしょうか?」
「ルートを示してるんとちゃう?」
なんだかなぁ・・・。
修覆山の中にルートが二つあった。いちおう山頂を踏みたかったので、たぶんと思いわざと狭い立木の方に付いているテープに従う。ばきばき枝は折るしザックは引っかかるし往生してしまった。
広い平坦なところに出ると、立ち枯れに赤テープが巻いてあり、そこに「1846m 修覆山??」とマジックで書かれていた。山名板はないのだろうか?
迷いやすいところと聞いていたが、そのせいか、赤テープはふんだんに巻かれていた。これはありがたかった。
鉄山へも迷ヶ岳へも行きたかったけれども、だいぶ時間もかかっているからいずれかを選択しなければならない。ずんずん進むと右のがくんと下るほうにテープが付いている。鉄山方面だ。この下りをまた登り返すのも億劫だ。地図を見るとちょうどここで左の迷ヶ岳方面の分岐になっているようだ。比較的緩やかな尾根である。
テープこそ見当たらなかったが尾根を外さないようにバキバキと木の枝に引っかかりながら鞍部に向かう。途中、平坦なところに木組みが放置されていた。それを過ぎるとまたもや巨大な岩場である。
「やれやれ、先へ行けるんやろか」
ぐっと下って巻くことにする。再び尾根に上がって反対側に下るとそこが最低鞍部だった。予想通り絶好のテント場になっていた。
ザックを置き、空身で迷ヶ岳山頂へ。緩やかだからほぼ直登する。山頂部に出て地図を広げるとピークはこの山頂部の向こう端になっているようだ。苔むした道をゆっくり歩いて西端まで。
17:00
たぶんここが山頂かと思われたが、山名板がない。黄色のテープが巻いてあった。大峰のあちこちで見かける紀州の某会の山名板もここにはなかった。間違いないと思うので、その黄色のテープにボールペンで「迷ヶ岳」と書いておいた。
17:15
鞍部に下り、テントを張ろうと思ったが、明日天気は下るらしい。頂仙岳にもガスが付いてきた。
「どうしようか? ややこしいところはなるべく早めに抜け出しておいたほうがいいかもしれない。明るいうちに引き返すだけ引き返して適当なところで幕営したほうがよさそうだ。そうしよう」
再びザックを担いでいま来た道を引き返す。
岩場を巻き、平坦地に出る。まだ明るい。
さらに登り、鉄山との分岐に出る。まだ明るい。
修覆山へ登り返す。途中すぐ近くで郭公が啼いている。
「ふう、疲れた。一本」
それからさらに登ると郭公の啼き声が下から聞こえてきた。
修覆山。まだ明るい。
19:00
ガリガリと進み倒木帯を抜け、奥宮へ。
ベンチに腰掛ける。
「ふう。しょうがない。お金を払って国見覗で幕営しよう」
テント場代500円。水1リットル100円。バッチ400円。合計1000円を払った。
弥山小屋に入るのは初めてだ。
昼間のおじさん、暇だからと言っていたが、たくさんの山靴がならんでいた。
19:30
設営完了。すこし風があったのでテントのなかにザックを放り込んで重石がわりにしてポールを通す。
11時間近い行動だった。
6月22日(日)
05:30
夜中に雨が降ったような記憶があるが、テントはさほど濡れていなかった。
4時50分に一度目が覚めたがまたもや眠ってしまい、5時半起床。
ラーメンを食べ、撤収。6時半、出発。
07:10
中尾尾根への分岐。
ここを通るのも2年ぶりになるが、立ち枯れがずいぶん進んでいるように思われた。記憶違いだろうか。
その立ち枯れを跨ぎ、よけながら昨日の道を下る。
登りでは気がつかなかったがスムーズな巻き道も付いていた。
ややこしいガラガラの浮石の急斜面を過ぎ、巨大な岩場の上で、登りに使ったロープの方ではなく左の急斜面を下った。この間がもっとも緊張するところと言えよう。
下りきってこの巨大な岩場を見上げる。ここまでくればあとはもう大丈夫。ゆっくりと尾根を歩く。
再び神仙平を望観。
水の音がより大きく聞こえてくるが、高度はまだまだありそう。足が棒になってしまった。一本入れてお茶を飲む。ここで下りで1リットルのお茶を飲みきってしまった。
でもまだ、ポリタンに500mlほどの水がある。今回は捨てずに入れたままにしている。
小雨が振りだしたようだ。
「やれやれ」
なかなかスピードのでない足になってしまった。とぼとぼと下るうちに、
♪恋も二度目なら 少しは上手に
愛のメッセージ伝えたい
タイトルは忘れたが中森明菜の歌が不意に頭の中で聞こえてきた。
♪前髪を少し なおすふりをして うつむくだけなんて
いまだに女心のわからない郭公である。
以下はうろ覚えだが、
♪帰りたくない そばにいたい そのひと言が欲しいのに
たしかそのように続いていたのではなかったか?
やっと神社の鳥居まで来た。鳥居の下から手を合わせた。
「無事に帰れてありがとう、ありがとう、ありがとう」
不覚にも涙が出そうになった。
10:45 湯ノ又。