苦行なり、南アルプス―悪沢、赤石、聖 (Jul.18/21, 2003)
7月18日(金)
2時過ぎに易老渡に着き、6時までテントで仮眠。熟睡できたにも拘わらず、鳥倉林道の終点までの移動中、かなり眠たかった。運転しているDOPPOさんには申し訳なかったけれども車中なるべく寝ておこうと思ったが、道路は曲がりくねり、なかなか寝させてくれない。
終点に着くとすでに3台ほど駐まっていた。
天気もまだ悪くない。ゲートを越えてさらに30分ほどで三伏峠への登山口である。
今回の山行は、僕とDOPPOさんは、三伏峠から小河内岳を経て、荒川三山、赤石、聖、さらに、光岳まで含めて三泊四日の予定である。
RINちゃんは、「じゃあ往路の日程を合わせて、三伏から塩見をピストンしましょう」と。これはたいへんありがたかった。登山口と下山口に、別々に車をデポできるからだ。
09:30
さて、いよいよ登りなのだが、眠気から解放されない僕はけだるいまま、RINちゃんもかなり息が上がっていたけれど、それよりもさらに遅れをとってしまう。
ずっと樹林帯の中だったが徐々に空模様はあやしくなってきた。
12:35
三伏峠で昼ごはん。
RINちゃんは手続きを済ませ、空身に近い状態で途中まで付き合ってくれる。
僕はますます遅れてしまう。
烏帽子岳で、「ちょっと寝ときぃな」ってことで横になるとわずか10分か15分くらいだったが本当に眠ってしまった。
塩見もそのほかも残念ながらガスの中で見えなかった。
15:30
小河内岳避難小屋着。
今日の予定は高山裏小屋である。
道標ではあと三時間半。DOPPOさんはそんなにはかからないはずだと言う。
DOPPOさんは、この小河内岳避難小屋には前にも泊まったことがあり、小屋のお兄さん(大阪の出身)とは面識があり、高山裏小屋まで行けるかどうか相談中である。僕はベンチに腰掛け、なんとか少しでも眠っておきたいところであった。
時間的には明るいうちに着くだろうが、先着組はもう寝る時間だから、小屋の主人は快く思わないでしょうね。いまから二人そっちへ行きますと無線はよう入れませんわ、とお兄さんが牽制する。
D氏「行けるか?」
郭公「はい、行きましょう」
D氏「ここで泊まるか?」
郭公「はい、泊まりましょう」
と、なかなか煮え切らない郭公である。
D氏「まあ、無理してもしょうがないから、泊まるか」
郭公「そうしましょう」
DOPPOさんの予定をこなすためには、ここはどうしても高山裏小屋まで行っておきたかったところであるが、非力な郭公が足を引っ張ってしまった。
小屋には長崎からの三人組。仙塩尾根から北岳、塩見とテント泊で来て、予定にはなかったけれども、この際悪沢へも行くことにしたのだと言う。
小屋のお兄さんともう一人長逗留らしいおじさんと長崎三人組、それに僕たち二人の合計七人だった。あれやこれやで話は盛り上がる。このインチメントな感じがなかなかいい。 外へ出るとかもしかがいた。
晩御飯はカレーをしたが、温めているうちにうつらうつら。御飯は1/3ほど残してしまった。
19:00
就寝。
D氏「明日は3時起きやで」
郭公「うへっ」
あっという間に爆睡。ただ、夜中何時頃だったか外の強風と雨の音で一度目がさめた。
「あちゃー」
7月19日(土)
03:00
予告どおりに起こされ、パンとコーヒー。
03:40
長崎組が先に出た後、僕たちも雨具を着け、ヘッドランプを点けて出発。お世話になりました。
まだ薄暗いからルートを間違わないように慎重に歩く。
小河内岳を過ぎ徐々に下ると樹林帯の中に入る。穏やかな道だった。早朝の森の中は、しっとりと濡れてなんとも気持ちよい。大日影山、板屋岳はピークを踏まずにどうやら巻いたようだ。
06:15
高山裏小屋。3時間もかからなかった。
長崎組を追い抜き、途中で一本取っていると再び抜かされた。その先に水場がありそこで再び追いつく。
ほどなく、荒川三山への登りにかかる。
登りになるとさすがに健脚のDOPPOさんとの差が出てしまう。高度200メートル間隔で一本取るが、DOPPOさんが30分のところを僕は40分かかる。2回ほど休み、僕はついに長崎組にも追いつかれてしまった。
稜線に出ると、風雨はさらに強まり、霧も濃くなった。
ふうふう言いながらやっと前岳。
09:50
長崎組が雨具を着けている間にふたたび追い抜き中岳、悪沢方面と赤石方面の分岐に出た。ここにザックを置き、ほぼ空身で悪沢を目指す。
中岳を過ぎると風はさらに強まった。それでもこのあたりから悪沢への稜線の花のきれいなこと。登山道脇もそうだし、ぐっと下る南斜面一面の花の乱舞は素晴らしかった。
風雨の中でシャッターを押す元気もなかったけれど。
10:50
強風の中、やっと悪沢岳山頂。展望はまったくなかった。
空身のせいか、案外早く着いた。
DOPPOさんから山行予定表をいただいたとき、その所要時間が地図に書かれている標準よりずいぶん短かったので、いかにもこれはDOPPOさんの足を基準にした時間ではないかと思っていたけれど、歩いて見ればたしかにそれよりも早そうである。
新しい標柱には荒川東岳とあった。
昭文社の地図に付いている小冊子にも、悪沢岳より荒川東岳のほうがよくはないか、みたいなことが書かれていたけれど、なんで悪沢岳ではいかんのか? むしろそのほうがいいと思うけれど。歴史があるのだから。
まるで新興住宅地が古い地名からいまふうの地名に変えられて売り出されるみたいだ。
そろそろ引き返そうかと言うとき、長崎三人組。彼らは千枚岳を経て、転付峠から新倉の方へ下りられるようだ。なかなか達者だった。うち一人は女性だった。
12:05 中岳分岐。
13:20 荒川小屋。
大勢の泊まり客でごった返している。
雨の中で体を冷やしたので、昼はラーメンにしようと歩きながら思っていた。僕たちは軒下で雨を避けながらラーメンを作った。大きいほうの鍋でも二人前だとあふれそうだから、結局一人前ずつ作る。
D氏「郭公さん、先に食べぇな」
立ちながらではあったが、ありがたく先にいただく。
このときはなぜかすっごくわびしかった。
僕たちが食べていると、小屋の主人であろうか、工事関係者を伴って、あそこがどう、ここがどうと、修繕箇所らしきところを相談しながら見回りにきた。
きょうは赤石避難小屋までの予定である。道中水場らしきものはないから、ここでもらっておきましょうと、ポリタンを持って混みあう受付に座っていた先ほどのおじさんに、
「あの、水を分けてもらえませんか?」
「いいよ」
とポリタンを預かって厨房へ入り、ほどなく満タンのを渡していただいた。
「あの、おいくら?」
「いいよ、いいよ」
普通、リッター100円とか200円とか徴収するものだ。
きっと震えながら食べていた僕たちを見ていて情が移ったのではないかと思われた。
僕は、「ありがたくいただきます」と礼を言った。
13:50
そのポリタンもDOPPOさんに持っていただいて、さあ、赤石まで。
そうは言うものの、僕自身のスピードは全然上がらない。風は強い。雨は降る。ガスの中だ。視界はさっぱり利かない。風裏で待っているD氏にやっとこさ追いつく。
小赤石の手前にもピークがあったように思う。小赤石は巻きつつひょいっと山頂に登る。標柱だけ触れて、さて、最後の赤石まではもうすぐだ。
16:40
「ふう」
視界の利かない中、やっと赤石山頂。感慨に浸る間もなく、すぐ下に赤石避難小屋が見える。やっと着いた。約13時間の歩行であった。
雨具やスパッツ、ザックカバー、軍手と濡れたものをすべて紐にかけて、土間に腰掛ける。昨日より客は断然多かった。
小河内避難小屋のお兄さんが無線で連絡してくれていたようで、小屋の若いお兄さんが「お疲れさまでした。お待ちしていました」と。
晩御飯はマーボー春雨。荒川小屋でもらった水を沸かす。
御飯を食べ終わってほかの登山客と談笑するうちに夕陽が射してきた。
窓を通して聖が見えた。
19時ごろ、「山頂からの夕陽、きれいですよ」と。
サンダル履きのまま山頂へ。
本当にきれいだった。寒さに震えながらいつまでも眺めていた。久しぶりの日の光りなのだ。ひょっとして明日は晴れるのかもしれない。
赤石岳山頂より |
20:00 就寝
7月20日(日)
04:00 起床。
昨夕の希望的観測も空しく今朝もまたガスの中だ。
05:00
聖へ向けて出発。小屋のお兄さんが外で見送ってくれた。「お気をつけて」
今年の南アルプスは雪渓が多く残っている。この梅雨に雨が少なく、融けなかったそうである。
その雪渓のへりを巻いてガラガラの岩場をトントンと下ると百間平。
たとえば、太郎小屋から北の俣岳への平坦部、あるいは、雲の平から祖父岳を巻いて黒部源頭へ出るあたり、あるいは、三俣蓮華から双六への平坦部に似ているとでも言えようか。ずいぶん広かった。百間どころか三百間くらいはありそうだ。
それを過ぎるとザレ場の下りである。これがまた延々と続く。これを登るのも大変だ。
サクラが咲いていました。 |
07:00
百間洞山の家。ここまで下りるとまたもや樹林帯になる。一本取って、さて、聖へのロングコースだ。途中、桜が咲いていた。中盛丸山を過ぎ、小兎を過ぎ、兎岳。やれやれ。これからまた下る。兎聖のコルあたりで、京都からと言う単独の年配の方に会った。
あとはもうずっと登る、と。
元気なD氏はあっという間にはるか上の方だ。がまんがまんと思いつつちびちびと登るうちに一瞬晴れ間が覗いた。相変わらず展望はなかったけれども、やっぱり太陽が覗き、青空が見えるとほっとする。
ガスの中、直近の高まりの向こうの高まりのもうひとつ向こうにさらに高いところが見える。やれやれ、まだまだ遠いや。
聖へ向かう途中やっと青空が見えた | これも青空を撮りたかった |
13:00
そんな思いで辛抱するうちにやっと聖岳山頂に着いた。
ふうっ。遠かったでぇ。
山頂から一瞬、赤石が見えた。百間平の平坦部も見える。赤石小屋らしきものも、百間洞山の家も見えた。
これを下れば聖平小屋である。三日目のせいか、徐々に足の裏が痛くなってきた。
ザレザレのジグザグコース、もっとさっさと歩けんかいと我ながら情けなくなる。だいぶ下って、風を避けれるところで昼ごはん。パンとトマトときゅうり。クッキーを食べる。
小聖のあたりで雷が鳴り出す。おいおい。樹林帯に入り、便ヶ島への分岐を過ぎて、もうひと下りで、左に小屋が見えた。足が棒になってしまった。正面は聖平を挟んで上河内岳だろうか。ガスが樹林にまといつきながらすうっと上がっていく。
15:40
聖平小屋着。
小屋は新らしいのと、素泊まり用の旧小屋とふたつあった。僕たちは旧い方。真ん中を土間が通って左右と奥が板の間になっている。二階もあった。さいわい、人が少なかったのでゆっくりできた。
単独のおじいさんは昔ながらのキスリングだ。
南アルプスは僕は初めてだし、こんな小屋で泊まったのも初めてのこと。かつての小屋の風情がまだまだ残っているように思った。
夕食はカレービーフンに赤飯、オニオンスープ。
聖平旧小屋にて。D氏と某単独行氏。 |
今回の山行予定は光岳までだったが、初日の遅れが響いて、茶臼小屋まで行けなかったし、雨もあるので明日はここから下山することになった。
DOPPOさんの単独だったら、光まで行ってたでしょうね。
7月21日(月)
雨の中を順調に便ヶ島へ下る。
西沢渡では、増水のため飛び石伝いに対岸に渡れそうにない。まずザックを篭に乗せ先に対岸に送り、さて、どこを渡ったものかとうろうろしてしまった。しまいに、覚悟を決めて浅瀬をざぶざぶと渡渉した。
鉄壁の防水だった靴の中が一瞬のうちに水浸しである。じゅくじゅくさせながら歩いた。なぜか、むしろ奇妙な快感でさえあった。
スパッツを見るとヒルが2匹。指ではじいてもなかなか取れない。仕方がないからスパッツを外す。
尺とり虫みたいに体を丸くしたところを指ではじく。
09:20
易老渡駐車場。
雨は依然として降っている。
「お疲れさま。ありがとうございました」
僕たちは握手を交わした。
当初の予定をこなせなかったとはいえ、悪天の中を三泊四日、しっかりと歩いてきたのは事実である。靴を脱ぐと靴下にも2匹。
苦行なり 苦行なり 光はあれど 道遠し
付録
矢筈トンネルを過ぎたら、先ほどまでの雨がウソのような青空、さんさんと照りつける太陽。
「あれ〜」
飯田まで戻り風呂にはいり、恵那SAで、濡れたものを乾かしがてら、スパゲティを作り昼ごはんにするうちにまたもや通り雨に遭ってしまった。
DOPPOさん
No,379 南アルプス南部縦走:三伏峠から荒川三山、赤石岳、聖岳へ