唐松岳 (Aug.10/11, 2003)

8月10日(日)
 東京の相棒Yとの5年目5回目の山行は、リクエストに応えて後立山を唐松、五龍から八峰キレットを経て、鹿島槍の予定であった。
 第一希望の出発日にあいにく大型の台風とかちあってしまい、一週間あるいは二週間ずらすことも考えたが、ずらしたところで好天の保証もないので、天気予報を眺めながら台風一過の翌日に決行することにした。
 計算外だったのは、この台風が大型過ぎたことだ。東京から信州行きの列車のダイヤが乱れ、結局、白馬に着いたのは僕が8時50分、Yが11時40分のことであった。
 これでもまだ予定はこなせる。
 彼が来るまでの間、白馬村をサンダル履きのまま散歩した。雲は多かったけれど晴れ。八方尾根が見える。おそらくゴンドラの終点かと思われたがそこまではきれいに見えた。その上に雲が付いている。しかし、村の中を歩きながら眺めるとその雲の向こうにさらに高い山が見えたので、あの雲の上に出れば、雲海を下に見る格好になるものと思われた。
 きょうは唐松まで。明日はいささか長距離になるだろうが、なんとか冷池まで行けるはずだ。早起きしないと。
 そんなことを考えながら、白馬村自然体験公園までを往復。

11:40
 Y氏到着。
 「やあやあ」
 一年振りである。
 年に一度会うのも悪くない。お互いがどのように体を使って来たかがわかるからだ。
 四年前一回目の尾瀬、三年前二回目の蝶、常念、表銀座の時は断然彼のほうが体力、きれともに勝っていた。二年前三回目の北岳、間ノ岳、農鳥のときは互角だった。去年四回目の南八ヶ岳では、若干僕に分があったのではないか。
 さて、今年はどうだろう。
 先に書いておくと、お互い前年より落ちてまたもや互角ではなかったか。Yはこの五年間で10キロ太ったという。
 「そら、あかんで」。
 と言う僕も、じつは七月の身体検査でわかったことだが、昨年より4キロ太っていた。
 Yは「フィニッシュラーメンがいかんかなぁ・・・」と言う。
 まあ、これは酒飲みの常である。僕は、晩御飯を三杯食うようになった。
 「いくらなんでも三杯は食いすぎや」。
 週一程度、回る寿司へ行く。10皿は食う。しかもうどんも食う。腹八分目ということを知らないのだ。十二分目は食う。
 「じつは、俺もそうや」とYが言う。
 帰りの風呂で、「来年はお互いマイナス4キロで会おうや。絶対やで」

 八方尾根のゴンドラ、それにリフトを二つ乗り継ぐとあっという間に1840mまで運んでくれる。じつに快適だった。行楽客も多くにぎわっていた。
 写真では八方池に白馬三山が映っているのをよく見かけるが、今日は残念ながら雲の中だ。

 四人組のおばさんたちと抜きつ抜かれつしながら唐松小屋に着いたのがちょうど5時だった。テント場は富山側の斜面にある。その下に雪渓。
 水は調理用1リットル150円だと言う。雪渓から引いているので、
 「テントなら雪渓まで下りれば水はあると思いますよ」
 と、受付の女の子が親切に言ってくれる。汲みに行くのも面倒だったから買っておいたが、空いているテント場はかなり下で、雪渓までほんのわずかの距離だった。設営後、ぶらぶらと確かめに行く。若いお兄さんが5人ほどにぎやかに汲んでいる。なるほど、豊富に流れていた。
 「正面に見える山、あれが五龍です」
 僕は白岳かな?と思っていたが、五龍のテント場が見えた。
 「そうかそうか、手前のちっこいこんもりしたのが白岳やね。ここから見ると五龍ってでっかいねぇ」

 空身で唐松山頂へ。
 Yが「おい、白馬が見えるぞ」
 手前の白馬鑓、杓子はきれいに見えたけれど、白馬はその独特の首を傾げたような山頂部がほんの少し雲の上に覗いていただけだった。あれが天狗の大下りか。数年前、雨の中、息子とそこまでは来たことがある。
 立山、剱も見えた。

五龍岳


 目前の五龍はまるで単独峰であるかのようなしっかりとした山塊であった。
 七年前、遠見尾根から、五龍のテント場から見たとき、また立山、剱から見たときの印象では、さほどでもなかったけれども、この唐松からの五龍は素晴らしかった。

唐松小屋から唐松岳 唐松岳から唐松小屋、右は牛首


 テントへ戻り、Y持参のワインを飲み、ビーフンで晩御飯。
 「明日は4時半出発やから、3時半起きやで」
 お互いの腕時計のアラームをセットする。星も見えていた。


8月11日(月)
03:30 起床。外を見ると満天の星だった。「よしよし」
 ぐずぐずしながらも、お湯を沸かし紅茶、パンで朝食。
 夜が明けるにつれ雲が出てきた。
04:45
 さあ、行こうぜ。
 唐松小屋からすぐ岩場に取り付く、ご来光は雲のサンドイッチの間から光だけを見せ、お日さんそのものは遠慮されていたようである。
 鎖場が続く。何度も山に来ていればいつの間にか何度かは経験するような鎖場である。気をつけてさえいれば充分通れる。

 その岩場の最後のピーク(牛首)を下りようとしている時だった。
 下から、「ガラガラガラ、ザザザーッ」と落石の音とともに女性の悲鳴が聞こえた。
 「誰か落ちたな」
 じっと下を見ると一人が富山側の斜面を下りて行ったようだ。
 あと二人が縦走路上にいる。ここから70mか80mくらい下の、ちょうど岩場が終わる地点である。
 ずいぶん長く感じられた静寂のあと、こちらへ向かって声が聞こえた。よく聞き取れなかったので、
 「誰か落ちたんですか〜」とこちらも大声で問い返す。
 「はい。小屋に連絡してくださ〜い」
 ザックを置き、後続の人たちにリレーで小屋に連絡してもらうようすこし引き返す。
 事情を説明すると後続の人も「はい」と言って後ろに伝言のために引き返された。

 下まで降りると、50mほど下に人がうずくまっていた。 
 様子を見に行って戻って来られた同行者の方の話では、頭を切って血を流していたが、骨折はないように思う、と。
 たまたま近くを歩いておられたご夫婦の話では、滑落の現場は、まさに岩場が終わる直前2mほどのところだったと言う。
 「あそこから落ちたのか」と内心ぞっとする。打ちどころが悪ければ即、アウトだ。
 
 落ちた人から時々声が聞こえる。
 「もうすぐ助けに来はるからそこでじっとしとき」とパートナー。
 小屋に事情を説明に行ったほうがよくはないだろうか、などと話しているうちに救助員の方が小走りで到着された。
 「返答はありますか?」「はい」
 救助員の方はトランシーバーで小屋と通信。どうやら去年も同じところで人が落ちたようだ。
 「あとでレスキュー隊も来ますから、どうぞ行ってください。お気をつけて」
 じっさい、僕たちがいたところで何の役にも立たない。
 救助員の方は
 「とりあえず応急処置をします」
 と、ロープも付けずにガレ場を下って行かれた。
 
 白岳への登りになる頃から雨が降り出した。まだ雨具を着けるほどではない。風もない。ただ、富山側はすっかり見えなくなった。滑落の現場にもガスが付き始めた。
 一本取っていると先ほど居合わせたご夫婦が追いついて、
 「ヘリを呼ぶんですかね?」
 「さあ、どうでしょうか」

 それからほどなくして、富山側からヘリが飛んできた。
 ガスの中、現場を探すのに、二度三度と入り直していた。
 「そこと違う、もうひとつ向こうや」
 「けっこう狭いところやからなぁ・・・」
 
 しばらくしてヘリは再び富山側へ飛んで行った。うまく収容できたのであろう。
 「おい、悪いけど、もう下りようか。気分悪くなった」とYが言う。
 「あんたが落ちたわけじゃないんだから」
 「そらそうだけど」
 滑落もさることながら、あの岩場を通るのに少し緊張したようである。
 先へ進むとなると、雨、ガスの中で同様の箇所がいくらでもある。時間も予想以上にかかるかもしれない。
 「ま、五龍の小屋で考えようか」
 僕としてはなんとか予定をこなし冷池まで行きたいところだが、この天気ではぜひ見せてやりたい鹿島槍もガスの中であろう。
 
 五龍の小屋は帰り支度の人たちで溢れかえっていた。
 小雨のそぼ降る中、五龍岳もまた半分はガスの中だった。
 気分は徐々に下りるほうへ傾く。

 「どうする?」
 「下りようや」
 「かまへんけど。空身で五龍をピストンする?」
 「行っても何にも見えないしな」
 「そらそうやけど」

 結局ゆっくりと腹ごしらえをして遠見尾根を下りることにした。
 遠見尾根は鎖場あり、アップダウンあり、雨のせいかぬかるみありで、「おいおい」。

 ゴンドラ駅周辺はずいぶん整備されてお花畑になっていた。
 赤い花はシモツケソウではないかと思ったが自信がない。
 そばにいた女の子三人に「あの花何?」って聞くと、一人からはどうも無視されたようで、二人目は困った顔つきだった。
 「悪いことを聞いたかな?」
 すると三人目の女の子が二人目の子に言ったのだろう。二人目の子が、
 「アカバナシモツケソウ、かな?」と言った。
 「アカバナシモツケソウ、かな? そう書いておくわ」
 「そう書いておくと、その花だと思ってしまう、かな?」
 なかなかユーモアのある女の子だった。

アカバナシモツケソウ、かな?


 同じ交通費を払って一泊で帰るのもなにやらもったいなかったけれども、まあ、しょうがないわね。
 先にも書いたように、「来年はお互いマイナス4キロで会おう。絶対やで」
 松本まで同じ特急に乗り、Yはそのまま東京へ。僕は乗り換えて名古屋で下りて古代史の知り合いの店で「よおよおよお」と、ビールを飲んで帰った。