お花畑まで

 1993年の7月のことです。
 私は全然行く気がなかったから(だいいち周りには山へ行く人はわりといたけれど、そんな人の気がしれなかった)、Sさんからお誘いを受けたとき、即お断りしても良かったのに、角が立ってもなんだし、いずれ気がついてくれるだろうぐらいの気持ちで世間話のつもりで話を聞いていたのです。それが計画表が出来てみると、総勢八人くらいのパーティだったと思うけれどその中に私の名前も入っていたのです。
「ちょいちょい、それはちょっと」
 当然の事ながら装備と言えるものは何も持ち合わせておりません。
「靴? スニーカーでええよぉ。ズボン? ジーパンでええよぉ。合羽? ジャンパーを貸してあげる。防寒にもなるし」
 今から考えると、Sさんとしては一度は私にも山の雰囲気を味合わせてやりたい、そんな気持ちではなかったかと思います。
 今からお断りすればなおさら角が立ちそうです。仕方がありません。一度だけ、今回だけ、段取りをしてくれたSさんの顔もあるしお付き合いして義理を果たそう、そんな気持ちで急行「ちくま」の自由席、リクライニングの利かない堅いベンチシートに座ったのでありました。
「そうそう、近場で足慣らしをしておいたほうがええでぇ」
「はい」と言う気持ちがあれば、最初から「ぜひ連れてってぇ」って言ってますって。
「まあ、なんとかなるんとちがう?」とたかをくくっていたのです。

 上高地に着いて明神あたりまで散策し朝ご飯、それから引き返し河童橋を渡り、ウェストンのレリーフの前を過ぎ、西穂へ向かったのであります。そろそろ山道へ入ろうかと言うとき、私は脂汗をかき、目の前が真っ暗になりました。
「ちょっと休憩!」そう言って私は地べたにへたり込んでしまったのです。
「えっ? まだ三十分も歩いてないよぉ」
「どうしたん? 真っ青やん。行けるか?」
「この辺で泊まっといたほうがええんとちがう?」

 なんとか気を取り戻したものの、この後、山道に入るとなおさら疲れが出てきて何度も休みを取らざるを得なかったのです。私は皆さんの足を遠慮なく引っ張ってしまったのです。これだといつ西穂の小屋に着くのかわからない。仕方なくパーティは健脚組に先に行ってもらって、私と六十半ばのおじいさんのふたりの面倒を見てくれたSさんとの三人が後を休み休みしながら登って行きました。
 夕方近く、先発組のサブリーダーが心配で迎えに下りてきてくれました。雨こそ降りませんでしたが周りは雲に包まれています。雪の塊みたいなものも有ったように思います。
 小屋が目の前に見えました。それでも私は休憩したかったくらいなのです。やっと小屋に着いた時の安堵感と言ったらそれはもう。「ああ、もう登らなくてすむ!」
 雲の切れ間から日が射して遠景が見えると「おおっ!」と歓声が聞こえます。それにも私は無縁の存在だったのです。「もう歩かなくていい」。ただただその安堵感で一杯だったのです。

 小屋は満杯。境目もなく布団が敷かれ、ぎゅうぎゅう詰めに寝ています。手洗いに立とうものならもう、体をもぐり込ませる場所もありません。仕方がないから私とSさんとは増築されたらしい喫茶部のベンチで体を横にしました。けれど、寒くて眠れませんでした。
 翌朝、独標を目指すことになっていましたが、私とおじいさんとはお花畑までしか行けませんでした。みんなが帰るのをそこで待つことにしました。サブリーダーの方も「じゃあ、オレがついているから」と、お気の毒なことをしてしまいました。それにしてもリーダーのSさんと言い、このサブリーダーの方もなんとやさしいのでしょう。
 ところでこのお花畑、初めて見ました。話には聞いていたのですが、さっぱりイメージが湧きません。私は、小学校の花壇みたいなものとばっかり思っていたのです。
 これが、私の山の初体験です。

 夏が過ぎ、秋、冬と季節が進むにつれて体重が減って行きました。じつは山へ行く前からほんの少しですが、その兆候はあったのです。でもそれが病気であるとは気がつかなかった。もちろん再び山へなどという気持ちが起こるはずもありませんでした。
「どっか悪いんと違う?」 みんなが心配してくれるのですがこれと言って自覚症状がないのです。どこも痛くない。唯一あるとすればすごく疲れやすくなったことでした。帰りの電車は急行に乗らず各駅停車に座って帰ったこともしばしばです。行きの満員電車では貧血みたいに立ってられない、途中下車した駅のベンチに座って休んだこともありました。ウチの一角獣、いや犀、いや妻が○○症と違うかな?と申します。「家庭の医学」を見ますとたしかに症状は一致する。でも、外見上はその病気特有の症状も見られなかったのです。私は気がつかなかったのですが、すごく気持ちがいらいらしていたようです。これもまたその病気にありがちな症状のひとつだったのです。

 Sさんが北野病院を紹介してくれました。検査の結果、妻の診断どおりでした。食事、タバコ、お酒、それらについてはなんの制約もなく、服薬のみの治療で、おかげさまで、体重も徐々に戻っていきました。
 みんなの足を引っ張って迷惑はかけるし、じぶんは病気になるし、なんとも散々なデビューなのでありました。