体力測定を兼ねて

 1994年5月の終わり頃ではなかったかと思います。
 体重が徐々に戻りかけた頃、体力測定を兼ねて息子と葛城山に登りました。ロープウェイの脇から櫛羅の滝を過ぎて、かつて家族とハイキングで登ったことのある道です。途中ベンチで一度休みましたが、西穂の時のようなことはありません。それから山頂まで休まず登れました。正直に言ってとてもうれしかったです。山頂の公衆電話から自宅に電話をしました。
「ふつうに登れたで」
 もっとも運動なんかしたことがありませんので決して速くはないし、病気持ちであることには変わりがありません。ただ、一度の休みだけで山頂まで行けた、このことがとてもうれしかったのです。
 それから、二上山に向かってダイトレを歩きました。岩橋峠から岩橋山へは急登でした。ほんのわずかですが、これはずいぶんきつく感じました。竹内峠の道路を横切って、たぶんこれだろうとかすかな踏跡にしたがって木の根をつかみ、がさごそとよじ登り、結局岩屋の上に出たのではないかと思います。(後に逆コースを通ってみると岩屋の上へは通行禁止になっていました。コンクリートの道沿いにすこし遠回りして竹内峠への道路に出ないといけませんでした)
 雌岳へのジグザグではさすがにもうへとへとになってしまい、息子とはえらく差がついてしまいました。馬の背から、雄岳へ。一人二百円を払って通りました。大津皇子の墓がここにあることを知ったのもこの時でした。二上神社口と二上山駅へとの分岐を二上山駅へ取りました。これも、あとから考えれば二上神社口の方へ降りたほうがはるかに楽だったことでしょう。駅までの道のりがなんと長く感じられたことでしょう。
 それでも、体力が確実に戻りつつあることは何よりの収穫でした。

 山靴を買ったのはその後だったと思います。息子が、
「近くのロゼでホーキンスを売ってたで」と言います。当時よくCMをやってたし、一足持っていてもいいし、また、当時は山道具専門店についても知らなかったのです。山靴を買うと履いてみたくなります。

 6月の天候はいまひとつ冴えませんでしたが、雨は大丈夫みたいでした。息子と二人で金剛山へ行きました。じつはこのとき、靴の足慣らしもありましたが、もう一つはいずれ富士山に登ってみたい、そんな気持ちもあったのです。だからこの金剛登山もうまく行けば富士山への下準備にしたいと思っていたのです。
 登山口から普通に登って国見山から伏見峠への途中、雲がさあっと流れて行きました。平地では見られない光景です。山ならではの光景です。こんなところにもすこし感動しました。久留野峠からの急登、それから紀見峠まで延々と歩きました。途中山百合が咲いていました。こんなことをしてはいけませんが、何本かを手折ってペットボトルに挿して持って帰りました。頭の芯が酔ってしまうような匂いです。漱石の「それから」にも百合の匂いが出ていました。