白山

 1994年八月の末、息子と白山へ行った。早朝、自宅を出て近畿道、名神、北陸道と。北陸道ではトンネルをいくつか抜ける。抜けるたびに空気が澄んでくる。すこしオーバーに言えば、日本にもまだこんなに空気が綺麗なところがあるのだ。
 地道へ下りて感じたこと。福井だったか石川だったかは忘れたが、とにかく地元の車は制限時速を遵守する。がらすきの道でさえもだ。いらいらするほどゆっくり走る。
 さて、別当出合に9時過ぎ、いや10時前だったろうか。まるで裏山に登る感覚で登山道へ。さして峻険な感じもしなかったが、距離は長い。徐々に登るに連れて、いわゆる植生が変わってくる。樹林帯から潅木帯へ、それが終われば草原地帯へ、と言うふうに。弥陀ヶ原へでたらもうそこは森林限界の上。
 水のないときであった。小屋は村営だったか。泊まりが幾ら、夕食が幾ら、朝食が幾らというふうになっていた。小屋のある肩から山頂まではひと登りする。残念ながら遠望はガスに包まれ利かなかったように思う。

 寝所は鉄のはしごを上った二階。その鉄のはしごが足の裏に食い込んでとても痛かったのを覚えている。翌朝早朝、息子はまだ寝ていたが僕は再び山頂まで歩いてみた。
 ガスがすうっと流れる。まさに幻想的である。縦にわずか2700メートルで異空間を経験することができる。平地で横に2700メートル移動したところでさしたる変化はない。
 ちょうどその頃、海に潜るのを趣味にする女性の話を聞いたことがある。海の場合、わずか10メートル、20メートルで非日常を味わうことができるのだ。そんなに遠くなくても、非日常的な空間が存在している。

 帰りは、永平寺を見物して帰った。
 後で聞いた話だが、息子は登りで学校の登山部の先生とすれ違ったらしい。わたしはまったく気がつかなかった。このせいで、彼はさして活動的でもない学校の登山部に所属することになる。