家族で大山。早朝、5時ごろ出発。プチ一角獣は乗り物に弱い。寝たふりをしたりだましだまし乗っていたがさすがに気分悪そう。そうは言うものの高速道路だし道も空いていたし、快適な走行なのだ。米子道に入りひたすら北上。空気が澄んでいるのがわかる。蒜山高原あたりから右前に屹立した山が見える。まさに屏風を立てたような感じだ。たぶんそれが大山かとも思うが、初めてのことであり自信がない。
登山口の駐車場に9時ごろだったか。プチ一角獣はもはや戦意喪失。
「うち、車に乗っとくから行ってきい」
「そうゆうけどなぁ。だいぶ時間がかかるでぇ。まあぼちぼちしか歩かれへんから、あんたもぼちぼち歩いたらええやんか。それであかんかったら引き返すやん」
なだめすかしてやっとこさ車から降ろす。石段を少しずつ登る。志賀直哉が小説を執筆した坊を横に見る。けっこう長い石段であった。そうこうするうちに一角獣が元気を取り戻した。そうなればもはや私達の比ではない。すいすい、息子と登っていく。残念ながら曇り空。徐々に冷えてくる。一角獣は子供たちにあれを着ろ、これを着ろと五月蝿かったのではないか。高度を稼ぎ頂上へと、左に折れると別の下山道の分岐。それを越えた辺りから大山もブナ林になる。ブナ林はなぜか明るい。下草があんまり生えていないせいだろうか。ブナそのものがまばらなのだろうか。とにかく、このときブナ林は意外に明るいものだと思った。某得意先の某氏とすれ違った。気がつくのが遅かったせいか、挨拶はしなかったけれど。いや、正直に言おう。じつはこの人大嫌い。山好きなのは知っていた。山好きな人なら誰でも好きになれるわけではない。(そうですよね〜)
山道は木道になる。周りはガスの中。幻想的な光景だ。子供たちはさっさととっくに先へ行っている。先にぼんやりと家の形が見える。やっとたどりつくとそこが頂上の小屋であった。小屋の中は満員。ちょうどお昼。皆さんおにぎりやとか弁当を食べてはる。頂上といっても剣が峰ではない。そこから剣が峰までは痩せ尾根でかつもろいから立ち入り禁止になっている。大山は老いた山なのだ。
私達一家はガスに包まれた中ではあったがなんとか無事に山頂に立てた。下山は先ほどの分岐を右にとった。大山寺のところへ下りた。
子供と言うのは疲労からの回復がいかに速いか、かつ疲れを知らない存在であるのかを痛感した、大山の山行であった。
さて、この大山は伯耆富士とも言われる。きっと見る方角によってはそのように見えるのであろう。そのことは数年後の松江行きのとき実感した。
でも、この山行では、富士のようななだらかさよりも先述したように屏風を立てたような峻険さを感じた。山は見る方角によって印象が異なる、そんなことにもまだこの頃は気がついていないのだった。