阿蘇−久住珍道中(1995 ゴールデンウィーク)
装備はないけど時間はある。雪がなくて、山中あるいは麓に泊まれてと思っていくうちに、
「おい、阿蘇へ行かへんか? 阿蘇と久住」
「おぅ、ええなあ」
「熊本までは夜行バスで行くやろ。熊本で車を借りて阿蘇か久住のどっちかに泊まればええんやし」
熊本に早速電話する。
「うん、よかよ。大樹も行きたかって言いよらすけど」
「ほぉー。もちろんよかよか。一緒に行こ」
大樹は甥っこなのだ。
久住の国民宿舎を予約。
田舎が熊本だから阿蘇へは小さい頃から何度か行った事がある。草千里側からも仙酔峡側からも。でもそれらはすべて噴火している中岳の火口の見物である。高岳には登ったことがない。初日、仙酔峡から高岳、中岳、そして仙酔峡へ下りる。そこから久住まで、やまなみハイウェイを走り、国民宿舎に泊まる。次の日、牧ノ戸峠から久住へ。そんな予定である。
早朝、田舎の実家に着くと兄嫁が弁当を作ってくれていた。水筒は山上ヶ岳の途中でふたを遭難させてしまった、例のやつ。ちょっとカッコわるいけれど連れて来た。容量が大きいので重宝する。
阿蘇は活火山だから登山道も火山岩。見晴らしもいい。高岳山頂は、春の風が幾分冷たく感じられた。ここで、昼食。阿蘇五岳のひとつ根子岳の容貌は異様だ。
どうやらこの高岳からも踏み跡らしきものが長く根子岳へ伸びている。
いったん鞍部に下りて中岳へ登り返す。草千里側より、高い地点の火口壁の上から中岳の噴火口を見おろすことになる。ここからはロープウェイが出ているけれど、わずかの時間だから歩いて下りることにする。ガラガラの石の上はなんとも歩きにくく、足の裏の痛いこと。久住の国民宿舎まで高原の中を走る。じつに爽快な気分。
久住も高校のとき一度来たことがある。担任の先生のつてで、某高校の山の中にある宿舎を借りて泊まったことがある。そこから久住へ登ったのだが、どこをどう登ったのかさっぱり記憶がない。久住にもまたいくつかの山があり、そのときどの山に登ったのか、ピークに立ったのか、記憶がはっきりしないのだ。
霧に包まれた登山道の脇にケルンがいくつか立っていた。山道で覚えているのはそれだけである。
朝食後、頼んでいた弁当を受け取り、水筒にお茶を入れてもらう。
牧ノ戸峠まですぐ。登山口はもう車でいっぱい。国道から入った細い道路に縦列駐車。一方が切れている。バックして方向転換をしようとすると、大樹が、
「おおおっ。つっこくるばい」
なんとか方向転換して駐車。リュック、弁当と車から下ろす。
「おい、水筒は?」
「えっ?」
誰も持っていない。と言うことは、宿舎に忘れて来たことになる。
「お茶は入れてもろたよね。どこに忘れて来たつだろか?」
「食堂かもしれんばい?」と、大樹。
朝御飯を食べて、弁当をもらって、お茶も入れてもらって、その水筒をテーブルに置き忘れて来ているのだ。
「おい、あの水筒、ふたがついとらんぞ。かっこわる〜」
仕方なく、缶入りのお茶を買うことにする。
さて、牧ノ戸峠からの登山口はいきなりの急登ではじまる。登山客が多いせいかコンクリートで固めてある。途中に展望所。由布岳が見える。由布岳はツインピークスである。
急登が済むとあとは比較的楽だ。道はまっすぐ久住山へ向かう平坦な道と、星生山へ上がる道とに分岐する。せっかく来たのだからと、左の星生山へ。
一箇所岩場をよじ登るところでほんの少し停滞したが、ほどなく稜線に出る。左の谷から硫黄の匂い。久住もまた温泉場なのだ。久住分れへ下りる。ここが登山客の溜まり場なのか、やたら人が多い。見上げる久住山はやれやれと思うほどの急登に見えたが、ほどなく頂上。
ここからの眺めがまた素晴らしい。広々とした阿蘇高原の緑。グレイに霞んだ、その上にぽつぽつといくつかの山頂が顔を見せている。はるかに雲仙も見えていたのではあるまいか。この広さは富士山の高原にも負けないのではないか。
弁当を食べ、下山。
「おい、あの水筒どうしよう? ふたもついとらんしな〜」と私。
「やっぱり、持って帰ったほうがええんとちがう?」と息子。
「だれが取りに行くとね?」と甥っこ。
本来なら私が行くべきところなのだが、かっこわるくて、恥ずかしくて。
そうこうするうちに息子が、
「ほなら僕が行ってくるわ」
で、帰路再び宿舎に立ち寄ったのであります。車を下りていく息子の後姿を、僕と甥っこと興味深々で見つめていたのでありました。間もなく、息子は水筒を抱いてひょこひょこ戻ってきました。
「なんて言ったの?」
「ウチの水筒がお世話になってませんか?」って。
みんなで大笑いしたことであった。
帰りは外輪山の大観望から再び阿蘇の大きさを実感。
なお、その年の夏、星生山が噴火した。