1996年8月9/12日 五竜から鹿島槍

 ひょんなきっかけから五竜、鹿島槍へ行く事にした。
 深見先生がその時期に鹿島槍の麓にある大学のWV部の持っている山小屋へ行くという。いっしょに行くかと誘われたが、先方はOB、現役を含めて三、四十人の団体となろう。部外者の僕がのこのこ同行しても始まらぬ。予定を聞くと、十一日に柏原新道を上がり種池山荘に泊り、十二日に爺ヶ岳、それから冷池から鹿島槍へピストンをするか、そのまま冷池から赤岩尾根を山小屋のある大谷原へ下りるか、そういう事らしい。
 北アルプスは僕にとってほとんど処女地といって良いから、いわば何処へ登ってもよいのだ。だから、彼と逆方向から行って、山道のどこかで彼とすれ違う、それもオシャレな話だと思って逆の方向、つまり五竜岳から鹿島槍、爺を目差しても良いと思ったのだ。地図によれば、立山、剱が見えるに違いないと。

8月9日
 急行ちくま指定席。犬の絵の入ったTシャツを着て行ったが、隣に本当の犬を連れたおばさんが座ってきた。僕はあからさまにいやな顔をしたに違いない。おばさんは気をつかったのか、空席を渉ってゆっくり座ろうとしている。私は、その犬のせいだけではなく、眠れない。
 松本四時一分着。新宿からの急行「アルプス」に乗り換える。上高地組が下りて、自由席にゆっくり座れた。急行券は車内で買い足さず、神城で下りたとき払えば良い。目をつぶる。はたして眠ったのかどうか?豊科、穂高、信濃大町と徐々に人が減って行く。神城に五時三十二分着。この列車と、次のとで二十人は下りたろうか?テレキャビンは八時三十分始発のはずだから、あわてて駅を出る必要はない。無理やりおにぎりを食い、薬をのみトイレを済ませ、サンダルから山靴に履き替えなどして、あとはベンチに座って目を閉じる。
 外はガスの中にほの白い太陽が弱々しい。
 みんなはタクシーを呼んで出発する。慌てる必要はないと言い聞かせながら、時計は七時。駅は私一人となってしまう。偶々タクシーが一台やってくる。乗って行くかと思って「いいですか?」と聞くと「予約のお客さんが」という。「他には誰もいないよ」というと、何やら無線で本部と連絡している。どうやら勘違いらしく「どうぞ」なんていわれて。  テレキャビンは早めに動かしているらしく、七時かららしい。グッドタイミングである。七時半にはもう、上の駅に着いていた。ここからのリフトは動いていない。ここからいよいよ歩く事になる。人数はずいぶんと多く感じられた。「福井丸岡町山の会 第二十六回」とある。毎年町民を募って山行を行っているらしい。これまた偶々その世話人の後ろになる。一筆啓上の話、女房が昨年授賞式に出かけた話、などなどで盛り上がる。
 きょうは体調がよさそうだ。荷を極力軽くしたおかげかもしれない。16kg、前回より3kg減である。天気は良いがガスもかかったりして、小遠見山のピークからは五竜、鹿島槍その他360度の大展望らしいが、遠くはガスのおかげでなにも見えなかった。ちょっと休むと、大パーティがぞろぞろと抜いて行く。道が細いので、ゆっくり休もうと思っても場所が無いのだ。あっても先発組に占められている。ついに一個所山道から入った空き地でゆっくりする。下りてきた若者が「いいですか」と休みに来る。「もちろん」。関西の青年だ。聞けば彼も一人で白馬から天狗山荘、不帰のキレットを渉って、唐松、五竜と四泊して下りている所らしい。「不帰キレットはさすがに緊張しました」と。
 五竜山荘へもうひと登りのところでガスが晴れ、五竜が姿をあらわす。白岳を稜線伝いに登る。これがけっこう急であった。上り詰めると山荘は目と鼻の先である。お花畑で大休止。昼食。

 二時半、テン場着。設営した隣にツェルトで女性の単独行がいた。ちょっと気難しそう。ウイスキーを飲みピーナッツをかじりひと酔いすると、二時間ほどぐっすりと眠ってしまった。何処からかケーナの音がする。山小屋のおじさんだろうか。夕食はカレー。夕方またガスに包まれたので、テントの中でぐずぐずする。昼寝のせいか寝付けない。ラジオも無い。仕方が無いから、持って行った文庫、井上靖の「少年・あかね雲」を数編読む。水割りをもう一杯作る。

 朝四時起床。昨日の残りのご飯で雑炊を作るが起き抜けには食べられず半分残してしまう。その残飯の処理に困ってしまう。ご飯をビニール袋につめ、汁気は外へ捨てる。
 五竜がモルゲンロートに染まっている。写真を撮る。
 六時、五竜を目差し出発。晴れ。五竜の手前にちょっとした鞍部があり、巻き道からそこへ出ると、鹿島槍の双耳峰が「バン」と見えてきた。これには感動した。遠くには槍ヶ岳も見える。方向を転ずると、「あれが富士山だ」と教えてくれる。
 鎖の付いた岩場を登ると五竜岳の頂上である。西に連連と残雪、雪渓の山が見える。はじめはそれが何の山なのかわからなかったが、地図を頭に思い浮かべ、また今までに見た雑誌の写真の記憶から、それらが立山と、剱である事がわかった。
 じつに素晴らしい眺めである。「わあっ」と歓声を上げたきり見とれてしまう。誰かが言う「剱もこちらから見たほうが立派に見えるね」と。実に素晴らしい。「何度か来たけど、こんなにきれいに見えたのは今回がはじめて」そう言ったおじさんもいた。初めて来て、こんな眺望を味わえるなんて、幸運だったのだ。北に目をやれば唐松、そして白馬三山が縦に連なっている。東側の南アルプスは残念ながら雲の中であった。七時過ぎに五竜を下り、鹿島槍を目差す。五竜からぐっと下りるとき、聞いた事のあるクラッシックの一節が頭の中で鳴った。しばらくは鳴り続けていたが、結局それがなんであったのかわからないままであったが。(帰宅してCDをかけてみると、どうやらチャイコフスキーのバイオリン協奏曲の冒頭だったようである)

 さて、五竜からぐっと下り、また登り返す。ガイドブックではここから鹿島槍までが、後立山連峰の核心部らしい。岩稜の連続であり、三点支持が連続する。幸い登りの方が多く、思うより楽であった。下りならちょっと難儀したかもしれない。キレット小屋へ着く。水はない。五竜の水はポリタンクに入っているけれど、薬臭くてたくさんは飲めないのだ。道中ほぼ一緒になったおじさん、ジュースをふたつ買っている。僕はポカリをひとつ。400円。ぐっと、ほぼ一息で8割がた飲んでしまう。そのうまいこと。おじさんが言う、「金には代えられないよ」。パンを一個、トマト。更にりんごジュースをひとつ買う事にする。
 いよいよ、八峰キレットだ。気をつけてさえいれば問題ない。もくもくと北峰を目差す。「あれが北峰か」と思っていると道はそれを巻いて、あっけなく吊り尾根の端へ。雪田が残っている。リュックを置いて、空身で北峰。下りて、リュックを担いで鹿島槍最高峰の南峰へ。この吊尾根、遠くから見ればのんびり散歩風に渉れると思っていたら、結構な急登であった。
 やっと登頂。なんとも言えない満足感が体を包む。ついにやった。あとは下りるだけ。来て良かった。つくづくとそう思った事である。それから冷池への下り、布引山へちょっと登るけれど基本的にはずっと下りだが、石の道で歩きにくい。足の裏が痛くなった。テント場の直前で大休止。おかげで、追い越して行った連中にテント場のいい所を押さえられてしまった。仕方が無い。足の裏が痛くて歩けないのだ。

 テン場に着き、冷池山荘まで歩いて10分ほど。ポリタンクひとつの空身だがこれがまた長く感じられた事であった。受付をすませ、水を補給、なんと1リットル200円。やたら高いのだ。五竜では100円だった。2リットルで400円。缶ビールを買い、山荘前の展望地で飲む。喉を「ぎゅっ」と刺激し実に旨い。まさに旨い。
隣に見覚えのある単独行のおじさんがこれまたビールを飲んでいる。「おいしい?」なんて話し掛けてくる。
 彼は針の木の雪渓を上がり、針の木から稜線沿いに冷池まで、きょうは鹿島槍を往復との事。経験の浅い僕は色々と話を聞く事になる。「なるほど」と思える事がいくつもあった。そのうちのひとつ、「昔はレトルトなんて便利な物はなかったので、米は家で洗って、それから干して水分を飛ばして持って上がったものです」。そのことは、その後時々実行している。
 テン場に引き返し、ウイスキー。さきほど買った水がなんと旨い事か。1リットル200円の価値は充分にある。夕食はラーメン、赤飯。ガスが出てきて夕日はあきらめる。そそくさとテントの中へ。眠れない。
 「パーティの半分が誰かが体調を崩してまだ着いていない」、学生らしいパーティがトランシーバーで先着組とたぶん付き添い組であろう連中とやり取りをしている。しばらくすると「星がきれい」との声を聞く。のそのそと外へ出る。何と満天の星空。御嶽銀河村キャンプ場以来の星空である。じっと上を見ていると人工衛星が北から南へ「すうっと」長い軌跡を残して流れて行く。たばこを2本吸う間に3個見た。

 翌朝も晴れ。山荘を過ぎて爺ヶ岳への登りにかかる。爺の手前で深見先生と出会う。お互いに事故も無く予定通りに出会えた。写真を撮り合って、彼は鹿島槍の方へ、僕は爺の方へ。爺から見る鹿島槍は、五竜の方からとはまた違った風貌である。双耳峰である事には変わり無いけれど、五竜の方からはくっきりと、かりっとした風情であるのに比し、爺の方からは、近いせいもあるが、もっとどっしりと鷹揚なかまえである。どちらからもいい眺めである。秀峰である。
 種池山荘へ下り、小休止。ベンチではおやじが息子に地図を広げて、あれがなに、これがなにと山名の同定である。
 僕などまだそこまで余裕が無い。同定もまた結構難しい。

 種池から、柏原新道を下山。途中できのう冷池で会った、千葉のおじさんに追いつかれる。先を譲ろうとすると「いや、急がないから」などというので結局いっしょに下りてしまった。僕が先を下りているのだが、彼はだいぶ速そうなのでこちらもいつに無く早足で下りてしまう。息子さんが京都の大学らしく、今日あたり「穂高の方へたぶん行っているはずだ」とか。
 九時五十分。扇沢登山口。結構速かった。地図にある標準タイムよりだいぶ早かったのではなかったか。タクシーが待っていて「どうする? もう一人いたらバスと変わらないよ」なんて。僕も彼もバスの予定だったが「じゃあしばらく待ってみましょう」という事になる。すると、きのうほぼ同じペースで五竜から来て、キレット小屋でいっしょにジュースを飲んだおじさんが下りてきた。彼は新潟の出身らしいが、彼と千葉のおじさんとは冷池の山荘で話もしているようで、結局単独行三人が、山中で知り合って同じタクシーに乗る事になった。信濃大町の手前の薬師の湯で風呂に入って帰りましょうという事になり三人で風呂に入りビールを飲み、再びタクシーで信濃大町まで。
 それぞれの電車に乗って、別れ、僕は「しなの18号」に間に合い、幸いにも自由席に座れて帰阪。

 今回は前の中央アルプス縦走より幾分か楽であった。荷を軽くした事と、一日の行程が短かった事などが上げられよう。素晴らしい山行であった。
 大町から松本までの車中、一人のおじさんが話し掛けてきた。山口と言う。五竜で聞こえていたケーナはこの人が吹いていたのであった。こういう人もいるのだ。