95年夏−白馬珍道中−暴風雨に遭うの巻

(一)
 息子といよいよ北アルプスへ行こうと言うことになった。でも、どこへ行ってよいのかわからない。
 Sさんが言う、
 「北アルプスなら、そら白馬やで。白馬はええでぇ」
 まず、地図を買って、コースを検討。それからザックを買いに行く。店員が聞く。
 「どんな山行を?」
 「えっ?」
 そんなことは考えもしなかった。とにかく、小屋泊まりで二泊までくらいが精一杯のところだろう。だから、それほど大きなのは必要ないと思っていて、カタログでいちおうの候補は考えて来たのだったが、店員はもう一回り容量の大きなのを勧める。
 「寝袋でこのくらい、まあ三分の一、テントでも三分の一場所を取ります。そうすると残りの三分の一で…」
 「いやいや、寝袋、テント、そんな山行はもともと考えていないのに。できるわけないんだし」
 「でも、このザックは便利ですよ。天袋が上下しますから、見た目よりもっと入ります。日帰りでもほら、こんなに小さくも使えます。いま、セールやってるから、お得です。買っておいたほうがいいです」
 たしかに、定価から考えるとずいぶん割り引きしていることにはなる。気の弱い僕は、予算をオーバーしたけれども、勧めに応じて買ってしまったのだ。
 家では、一角獣がこんな重いの、どうすんの?
 どうすんのったって、これがいいって店の人が勧めるんだもの。

 さて、白馬は猿倉から大雪渓を上がって、白馬山荘。翌日白馬三山、不帰キレットを唐松まで。ここで泊まり、うまく行けば五竜を往復しよう。知らないものの能天気さと言われても仕方のない予定であろう。
 晩御飯と朝御飯は小屋で食べるが、昼御飯は自分で作らなければならない。
 まず時刻表とにらめっこする。僕は、旅行なんてしたことがない。学生の時も、大阪と熊本間を真直ぐ往復しただけだ。山陰にも、四国にも知合いがいて、帰省するときは遊びに来いと誘われ、住所電話番号も教えてもらったにも拘わらず、行ったことがないのだ。
 体育のスキー合宿も行けば単位をくれるらしいのだが、そんな面倒なことは性に合わない。そんなことをするくらいなら麻雀でもやっておく。
 そんなことで、時刻表の見方がまずわからなかった。ページをめくりながら、
 「なるほどこれに乗ると何時にどこそこへ着くのか」
 そんなことから始まった。コースが決まると、今度は昼食のメニュー。それが決まると行動食、携行品をどうするのか? 着替えは?などなど、考えなければならないことがいっぱいある。予定表ができあがったときは、すでに行った気分にさえなるのだ。やっかいだったけれど、これもまた楽しい作業だった。

 あとはいつ出発するかだ。俗に梅雨明け十日などと言われる。山の天候がもっとも安定する時期だと言う。その時期、僕はいつでもよいので、息子のスケジュールを優先して、8月4日から出発することにした。
 Sさん、
 「あれ? まだ行ってないの? はよ行かんと雨振るで」
 めちゃ暑い夏の日々だった。天気予報は全国どこも晴れマーク。長野ももちろん晴れ。いよいよ出かけるとき、気象予報士の折坂章子さん、晴れマークばかりの日本列島の地図の前で、
 「前線が日本海にありますが、この前線は、南へは下がりません」

(二)
 いささか冷房の効きすぎた急行「ちくま」の自由席。堅いベンチシートに座って、
 「明日の朝、右からお日さんが上がる。左に北アルプスがバンと見える。なはは」
 朝になった。右からお日さんが、あれっ? 上がらない。左に北アルプスが、あれっ? 見えない。なんだか雨模様。あれれ?

 白馬で下りてお握りを買う。バスに乗って猿倉まで。雨はいちだんと雨らしくなる。
 「あちゃー」
 僕たちは猿倉の食堂で味噌汁を注文し、さっきのお握りを食いながら、どうしたものかと思案六方である。
 「昨日までは天気だったんですけどね〜」とバイトらしい男の子。それでも、雨はほどなく上がり、日も射して来た。
 「よし、行こう」
 雪渓にさしかかり、アイゼンを履く。息子のアイゼンは耐寒登山のとき買ったもの、僕のはKAJITAXの軽アイゼン。同じ4本爪。息子がヒモを通すのに気を取られているとき、一陣の風。「あれ〜っ」と言う間もなくアイゼンを入れていたビニールの袋が飛ばされてしまった。雪渓はスプーンカット。歩きやすい。赤い紅ガラの線を外れないように歩く。
 雪渓が切れた葱平で昼食。お茶を飲もうと再びお湯を沸かしていると、息子は同じ年恰好の男の子をじっと見ている。言葉を交わしたのかどうなのか。あとで聞くと小学校の時の同級生だと言う。彼は優等生で、たしか中学は私学へ行ったのだった。「Tが、Tが」と我が家でも何度か聞いた名前である。何と控えめな再会の挨拶だろう。

 天気は再び徐々に下って来た。それから村営の小屋までがけっこうきつくて、何度休んだことだろう。白馬山荘はもうそこのはずだが雨とガスに包まれている。宿泊の手続きを済ませ、いったんザックをおろし、空身で山頂まで。表示板があった。あったけれど、何も見えない。

(三)
 翌朝も雨。しかも風がきつい。まるで台風である。
 「停滞か?」
 予定は唐松小屋まで。これまた、無謀の謗りを免れないかもしれないが、僕たちはこの暴風雨の中を出発した。途中で引き返す人たちもいた。風は飛騨側から斜面を駆け登るように吹いてくる。雨も下から降ってくる。一方の信州側はスパンと切れている。道はそのヘリにある。
 「落ちるんとちゃうか」それほど強い風である。
 「ああっ」
 息子が大声を出す。
 「どしたん?」
 「帽子を飛ばされた〜」
 彼はこの山行用に、白い野球帽を新調したのであった。
 雨具と言えば、二人とも簡易雨具。僕も帽子を飛ばされないように片手でしっかりと握っている。そうすると袖から雨が中へ入ってくる。指先も冷たくなってくる。いっそのこと落ちてしまったほうが、そんな誘惑に駆られる。杓子岳も白馬鑓もピークを踏むどころではない。視界も利かない。この風雨の中に雷鳥を見つけた。
 鑓温泉への分岐を真直ぐ天狗山荘へ。雪田が残っていた。
 九時、小屋で休ませてもらう。僕たちを一瞥して、「これからどっちへ?」と小屋の主人。
 「唐松の方へ」
 「やめなさい。やめといた方がいい。この天気じゃここから下るだけでも大変なのに。天気は当面良くならない。しばらくこの状態が続くから」
 きっと山慣れない僕たちをひと目で見ぬいたのであろう。壁には天気図が数枚懸けてあって、日本海の前線は確実に南下しているのであった。(おいおい、折坂さんよ〜)
 部屋に入って、まず着替え。全身、下着までずぶ濡れ状態なのである。すべてを着替えた後、コーヒーを沸かす。最高に旨かった。生き返るようだ。

 さて、どうしよう? 予定をこなすにはここに泊まるしかない。しかし、まだ九時を回ったところ。天気も回復するとは限らない。とすれば、引き返すしかないのだ。鑓温泉へ下りるしかない。
 「そうするか?」
 「しゃあないんとちゃう」
 「お世話になりました。鑓温泉へ下ります」
 小屋の主人は、しごく当然と言った顔つき。
 「気をつけてね」
 先ほどの分岐を鑓温泉へ。不思議なもので、鑓温泉まで下りるとからっと天気なのだ。振りかえると、一定の高さから上には横へずっと雲が付いていて、山容は見ることができなかった。あの中をずっと歩いていたのか。
 ゆっくりと昼食にする。もう下りるしかないのかもしれない。雪渓を横切る。これがけっこう緊張した。滑れば一大事。渡りきって、巻き道を猿倉へ。鑓温泉はいつまでも見えている。八方尾根も見える。
 「アレを下りる予定だったんだよな」
 時間としては最終のバスに間に合うかどうか。気持ちは急いでも体が徐々に言うことを聞かなくなってくる。足の裏が痛い。息子との差がどんどんと開く。疲労困憊。
 やっと昨日の道に出たが、もはやバスはない。ありがたいことにタクシーがあった。
 「ついこの前までは山も天気だったんだけどね〜」
 トランクに積んだザックを降ろす前に、自分自身の体を降ろすのにひと苦労である。

(四)
 松本まで引き返し、夜行の切符を買って外へ出ると、もう九時を回っていたろうか。
 コインロッカーにザックを押し込んで、これから晩御飯。ところが、ほとんどの店が閉めかかっている。
 「すみませーん。もう終わりですから」
 僕たちは、松本の街を徘徊してやっと一軒見つけた。カウンターとテーブルがひとつかふたつだったろうか、飲み屋を兼ねたご主人がひとりでやっている店だった。壁には、北アルプスが一望できるパノラマ写真が貼ってあった。
 「山の帰り?」
 「はい」
 話を聞くと、どうやら涸沢小屋と関係があるらしい。新田次郎のサインも懸けてあった。「市橋」、たしかそんな店の名前だった。
 それから親切に松本の街をあれこれと教えてくれる。
 「松本城、いいよお。いまライトアップしてるんじゃないかな」
 市街地図もくれた。ほんとはもう歩きたくなかったけれど、せっかくの好意だし、くたくたになりながら、しっとりと落ち着いた松本の街をお城まで歩いたのであった。
 残念ながら時間が遅くてライトアップには間に合わなかったが、自販機でアイスキャンデーを買って、座って食べた。
 後に、テレビドラマ「白線流し」でこのお城も何度か映った。息子と二人で、
 「おお、ここ、行った、行ったぁ」

 駅前の公園にはいろんな人がいる。これから山へ行く人。自転車でツーリングしている人だろうか、点検に余念がない。夜行が出るまでには、まだ二時間はある。僕たちは所在なく、ベンチに腰掛けてあれやこれやの人たちを観察していたのだった。