山上ヶ岳−洞辻茶屋で撤退(Mar.18,1995)

 前の晩、お米を洗って朝五時半起床。弁当を作るのだ。さすがに三週連続ともなれば、女房だっていい顔をしない。でも、僕にだって弁当ぐらいは作れる。卵を焼き、牛肉とピーマンを甘辛く炒める。ウインナーを炒める。梅干は自家製。あと生野菜少々。大きめの水筒にお茶。
 なんせきょうは、山上ヶ岳へ行くのだ。気合いが違う。前日は雨だったが、それも上がり、日が射すこともある。
 七時出発。洞川へ行くのはこれが二度目。道中もいささか緊張する。天川川合までに二つか三つほど山を越えたのではなかったか。

 洞川へ着くと一番手前の温泉の駐車場に車を停めた。どこに停めたらいいのかもよくわからなかった。旅館街、陀羅尼助丸の看板のある通りを抜けると道はやや勾配がある。雪も残っていて凍結も見られた。山の水を引いているホースの繋ぎ目から吹き出ている水が凍って花が咲いたようである。僕たちはそんな光景もじつに新鮮だった。
 息子はなぜか雪の上を歩きたがる。やっぱり子供なのだ。でも、ずいぶん気分が和む。いないよりいてくれたほうがはるかに気が楽になる。
 朝のこと、速足で歩く。一時間も歩いたろうか、やっと清浄大橋の根元に着く。

 橋を渡って山道に入る。アスファルトより土の方が温いのか、雪がない。「ラッキー!」と思うのも束の間、角を曲がると日陰になり雪が残っている。木の橋、鉄の網の橋は凍結して滑りやすい。アイゼンを出す間もなく雪はぐんぐん深くなってくる。30cmはあったろうか。すでに先人がいるらしく、深い足跡がある。それを頼りに進んでいく。

 「おい、休もうぜ」
 柵のところで小休止。水筒のお茶を飲む。ふたを二、三度上下に振ったら手から滑って崖下に落ちてしまった。
 「あらら〜、水筒のふたが遭難してもうた〜」
 ふたがなくても中には熱いお茶が入っている。(この水筒は、後にふたがないまま阿蘇、久住へも一緒に行くことになる)

 気を取り直してさらに登っていく。上に見える樹氷の素晴らしいこと。ただただ、見とれている。そこにガスがさっとかかってくる。
 雪つぼがひざの辺りからももの辺りまで深くなってくる。やっとの思いで洞辻茶屋。屋根の中を通りすぎて、さてそこから先、方向を誤ったのか足跡が見えない。後日気がついたのだが、洞辻茶屋を過ぎたら尾根の左を行く。そこを僕たちは深い雪の中を右へ行ってしまっていたのだった。股下まで雪に埋まる。足を上げようとしても雪に引っかかり四つんばいになってしまう。ほんのわずかの距離を進むのに時間だけは容赦無く過ぎていく。時計を見ると十二時三十五分。雪がなければたぶん一時間ぐらいで山頂だ。しかし、この雪だ。いつになるかわからない。それは、登っても下りは日が暮れるということだ。
 とりあえず引き返して、先ほどの茶屋で弁当を食う。
 靴の中にも雪が入っていて冷たい。ビチャビチャしている。つま先も指先も冷たくなってくる。息子は厚いお茶の中に指先を突っ込んでいる。
 「どうしよう、引き返そうか? 無理やで」
 「そうやね、危ないわ」

 ブルブル震えながら屋根の下で弁当を食い、雪のクッションの上をとっとと下りた。次第に体もつま先も指先も温もってきたのはいいのだが、やっと雪を抜けたころ、途端に左ひざがピリッと痛む。
 「痛ッ!」
 左ひざの外側がピリッと痛むのはいつものことだ。
 息子との距離がどんどんと離れていく。ジャンパーのポケットに手を突っ込んで歩いたせいか肩が凝る。

 橋を渡ってやっとアスファルトの道に出る。これから洞川温泉まで歩かなければならないのだ。うんざりするほど遠い。  「ごろごろ水」を過ぎ、旅館街まで来ると、「名水とうふ」の看板。おばちゃんが「いつもなら予約せんとあかんねんけど。買うてく?」と。二丁と発泡スチロールの容器とで八百円。

 今から考えれば、洞辻茶屋までにしてもよく行ったものだと思う。装備らしきものと言えば軽アイゼンのみ。お互いにジーンズにジャンパー。ザックが軽かったのが唯一の救いだったかもしれない。
 豆腐は、さっそくその日、鍋で食べた。くせのないすっきりした味。水もよければ大豆もいいのに違いない。その後、ここへ来るときはいつも朝予約して山に入る。