四十の手習い比良縦走記

 蓬莱山を下りて林道に出たのが午後五時であった。駅はまだまだ遠い。もうくたくただ。
コンクリートの道は疲れた足にはやさしくない。といってタクシーどころか、地元の車もよほどの用事がないと入っては来ない。この時間になれば用事のありようもなかろう。やはり自分の足で歩くしかないのだ。くねくねと曲がった林道を「とにかくあそこまで」、それを繰り返し繰り返し思いながら歩いたことであった。足の裏は痛いし、リュックは肩に食い込む。たまらず地べたに座り込む。水を飲み、飴玉をなめ、煙草を一服。
「ああしんど。もう二度と山へなんか行くものか」
出るのは、愚痴ばかりである。
 つい先ほど、三時四十分、蓬莱の頂上で、その達成感に万歳三唱をしたこともすっかり忘れてしまって、ただただ、「もういやだ。もう二度と」と念仏のように心の中で繰り返しながら、一方で、足を前に出しているかぎりいつかは駅に着くはずだと言い聞かせながら、迫り来る夕刻の中で、言わば術ない時間を過ごしていたのであった。
 琵琶湖は目の前にずっと見えているし、線路はその直ぐ手前を走っているのだ。だけど距離はなかなか縮まらない。とぼとぼと歩きながら時計を見る、地図を見る。地図に記載されている標準タイムをはるかにオーバーしているのだった。六月の第一週の土日のこと、日が長いのが何よりの救いである。
 山の端が切れかかった頃、地元の人らしい運動着姿のおじさんと会う。
「こんにちは。駅まであとどのくらい?」
「三十分ぐらいかなあ。まっすぐ行ったらええわ」
「ああどうもぉ」
「どこから?」
「近江高島から」
「えっ」
 おじさんの目の玉がまんまるになっていた。へへへっ、ひょっとして凄いことをやったのかな。
 この夏、木曽福島から木曽駒、空木と縦走しようと思っていて、その予行演習のつもりでリトル比良から武奈ヶ岳、そして蓬莱山へと一泊二日で縦走してきたのであった。

 比良山系は高さこそ著名な山群とは比肩しうべくもないが、距離だけは一応の経験にはなりうる。そう思ってこの縦走を選んだのだが、読図力が足りないと言えばそれまでのことだけれど、アップダウンが想像以上にきつかったのだ。言ってみればひとつの山をしっかりと登ってしっかりと下りて、峠からまた、ひとつの山をしっかりと登ってしっかりと下りる。そんな山系なのだ。それをいったい幾つ繰り返したのか。地図にある山名を列記してみる。岳山、鳥越峰、岩阿沙利山、滝山、ヤケ山、ヤケオ山、釈迦岳、武奈ヶ岳、烏谷山、比良岳、打見山、そして蓬莱山である。恥ずかしいけれど、八雲ヶ原のテント場まであとひとつの釈迦岳のピークの手前で足がつってしまった。体を丸めてじっとする。そろそろとマッサージをしてやる。九時に近江高島を出発して、なんとかテント場に着いたのが六時であった。

 今朝は五時十五分起床。手洗い、朝食、撤収。出発が六時五十分。テント携行は三回目、初心者だから段取りが悪いのだ。慣れた人に聞けば、「起きて三十分後にはもう歩いとるでぇ」と言うけれど。もともと普段から整理整頓は苦手なのだ。
 武奈へ上がり西南稜を経てワサビ峠からいったん谷へ下り中峠に登り返す。そこから小川新道を大橋へ。やぶこぎの連続で、下半身はずぶぬれになってしまった。よほど雨具を着けようかと思ったが面倒なのでそのまま歩いてしまった。やぶこぎがすんだと思ったら今度は急な下りである。下りきった大橋のあたりはまさに深山幽谷といった風情ではあったけれど。
 葛川越で若い夫婦連れが昼食を摂っている。となりで僕もラーメンライス。さっきの話をすると、
「それは大変でしたねえ。その道はあんまり通りませんからねえ。中峠から金糞峠へ出てこちらへのルートが良いでしょうねぇ」
事実僕は人には会わなかったし、彼等は、彼が言ったルートでテント場から来たのだと言う。そちらのほうが楽だし早い。いやはや。
 こちらの予定を告げ、下山道のアドバイスを受ける。
「まあ、日暮れまでに下りれたらいいかなあ」
「ははははは、まあ気をつけて」

 ゴンドラの下をくぐり、打見山の水場に着くと蓬莱は目の前である。水を補給し、一服していると、おじさんが追いついてきて、
「打見山上に展望風呂があるらしく、それに入って、ビールを飲んでゴンドラで下りようかなと思って来たんや」
 魅力的なアイデアである。誘惑に負けそうである。「しかししかし」と思い直して、蓬莱山頂を目指す。冬はスキー場、夏は山上遊園地と言ったところだから、親子連れやら、手をつないだ若いカップルやらを横目に見ながら、何だかこちらが場違いな感じで草付きの急坂を登り切るとそこが蓬莱山山頂。三時四十分であった。

 「やったあ、やったあ、ついにやったあ」
 心の中で万歳三唱である。リュックを山頂の標識のそばにおいて写真を一枚。いつもそうしているのだ。リュックが僕の代わりなのだ。寝転んで煙草に火をつける。南西方向には小女郎峠に向かって熊笹のなだらかな稜線が続いている。小女郎峠から下りようかとも思っていたが、もう良い。じゅうぶんに堪能した。満足だ。昼食のおにいさんのアドバイスにしたがって、ここから下りることにする。
 眼下には琵琶湖がきれいに見えているけれど、あそこまで歩かなければならないのだ。穏やかな下りを足元を見ながらとぼとぼと歩く。足の裏が痛くなってくる。林道が恋しく思われるときは、疲れている証拠なのだ。
 そう言えば、今回はへびに会わなかった。よかった、よかったと思っていると、左の山側からゾロリと音がして、冗談抜きで腕の太さぐらいの、長さは両手を広げたほどの青大将が悠然と僕の前を斜めに右の谷側へ横切って行ったのであった。どきっとしてしばらく立ちすくんだままでいると、再びのそっと首だけを出してきてじっとこちらを見ている。目が合うと、「なにをしてるんだ、早く下りないか」とばかりに、首を二度三度と下の方へ向け合図をするのであった。いや、これは冗談。最近、酒の席でよく使うネタである。失礼。

 やっと幹線道路へ出る。駅はもう目の前だ。すぐそばに食堂があり、そこから一人の青年が出てきてスタスタと駅へ向かう。ひょっとすると四月、稲村の頂上で会った彼ではないか。そう思う間もなく電車がスウッと入ってくる。駅の階段を駆け上がる力もなくやり過ごすしかない。六時四十二分。やっとこさホームまで上がり、山靴を脱ぐ。靴下も脱ぐ。足が喜んでいる。サンダルに履き替える。
 ああ、何と言う解放感だ。「やっと、やっと終わったのだ」

 それから梅雨に入り、有り難いことに週末はずっと雨。七月になって、まだ梅雨が明けきらぬうちに性懲りもなく伊吹、御岳。そして、木曽駒から空木への縦走を。八月には、五竜から鹿島槍、爺ヶ岳への縦走を。いずれも追い抜かれてばかりのペースではあったが何とかこなすことができたのも、この比良の縦走が自信をつけてくれたのだと思っている。