1996年11月16/17日 氷ノ山 (NO.19)

 今年の週末も、あと6、7回。何となく今年20回の登山をめざしたくなった。出来れば、初めての山へ。それに遅くなればなるほど雪の心配をしなければならない。さて、何処へ。候補は、氷ノ山、霊仙、雪彦あれこれ考えて結局、氷ノ山へいく事にした。雪に閉ざされる前に行っておこうと。
 ただ遠いから、登りだしは遅くなる。はたして人に会うだろうか? 家から遠いのも不安材料のひとつ。雪の事もある。初めての山は何かと不安なものだ。

 大阪駅を10時の特急「北近畿」。一般に山登りは朝が早いのだが、私の場合早起きはどうも苦手なのだ。「よし、行くぞ」より、何となく一歩ずつ足を出して行ったら山の方に近づいて、結局登ってしまった。何かそんな気分で山登りをしたい。泊りで週末を山で過ごす。そんな登山をしたい。たぶんこれは本当の登山者の感覚ではないのだろう。

 駅弁を車内で食べ、12時過ぎに八鹿。バスは12時40分。しばらくバス停でのんびりとしている。この時間に山行きの格好は私だけだ。バスも空いている。私とおばあさんの二人。
 ところが途中からちょうど高校生の下校時間なのか、あっという間にいっぱいに。
 八鹿高校があるのだ。ふたたび、乗客が減った頃、氷ノ山が見え出す。上は白い。運転手が、「2、3日前雪が降りましたよ。今年はちょっと早いかなぁ」と。鉢伏口で降り、登山口まで約20分。
 登りだしは1時50分であった。登山口に車はあるが人はいない。私だけ。こんな時間から登るのはやはりいないのだ。布滝を見ながら谷にかかる橋を渡る。水はポリタンクに入れているが、この滝で山の水に詰め替えようと思っていたが、何処から降りてよいかわからなかった。仕方なく沢の音、滝の音を聞きながら高巻いて行く。何回か折返すとついに雪道となる。
 雪の中を足元に気を付けながら、滝から40分ほどで地蔵堂。加藤文太郎が泊った所だ。三体の仏像は、薄暗いお堂の中で不気味でさえあった。誰にも会わない。小休止して、みかん、煙草。天気が良いのが気分を和らげてくれる。上の方からかすかに鈴の音が聞こえる。カメラ、三脚を持って一人降りてきた。
 「みんな向こうへ、東尾根の方へ降りて行きました。頂上あたりで30センチぐらいかな」
 お堂の仏像に手を合わせてさっさと降りて行く。
 暗い中にぼんやりと見える仏像を撮る。出来上がりのイメージは悪くなかったが、シャッタースピードが長くて、結局ブレた写真になってしまった。ストックの一脚だけではやはり無理である。

 そこから1時間足らずで氷ノ山越え避難小屋。3時50分であった。頂上は目の前だが、地図でもあと1時間はかかりそう。がんばって登った所ですぐ日没となろう。ヘッドランプを点けてあれこれしなければならない。不自由な事になろう。予定通りここに泊る事にする。人が一日で済ます所を2日かけているのだ。夕焼けを写真に撮る。

 立派な、しっかりした小屋である。真ん中に囲炉裏が切ってある。小枝や枯れ木があったので、火をつけようとするがなかなか燃え上がらないのだ。泊ると決めて、汗をかいた下着や、ワイシャツを着替える。だんだんと寒くなってくる。ウイスキーのお湯割をする。ご飯を炊く。暗くなってきた。ろうそくが1本あったので借りて火をつける。火の気はこのろうそくの灯りと、コンロの火、お湯割の湯気、温かさを感じるのはこれだけである。
 小屋の中にテントを張ろうと思ったが面倒だ。あとで人が来るかもしれないし邪魔になるかも知れないし。そんな事でマットだけ敷いて、寝袋にくるまる。疲れと、酔いと満腹感ですぐに寝てしまうが、風の音のうるささと、寒さとで9時頃目が覚めてしまった。寝袋の中のカイロひとつではとてもじゃないが、寒くて寒くて。風は強くなる一方。寒気は、体の芯から冷やして行く。何度も目が覚めては眠れない。外は吹雪のような風の音である。猛吹雪に違いない。明日は歩けるだろうか? それにしても寒い。家へ帰れるだろうか? ひょっとすると凍死? あるいは遭難?
 「俺は一人でこんなところにいて、寒さに震えているのだ」色々複雑な心境であった。

 何度目かに目が覚めると少し薄明るい感じ。やっとの思いで寝袋から抜け出す。窓を開けると氷ノ山の方から真っ赤な朝焼けである。外へすっ飛んでシャッターを押す。うまく撮れたかどうか?
 さいわい雪が降った気配はなかった。きのうと同じである。ひと安心だ。お茶を沸かす。小屋中に散らかしたリュックの中身を片付け、7時過ぎに山頂へ向かう。アイゼンなしでさくさくした雪を歩く。急な登りもなく、カメラを片手に登って行く。昨晩の風で樹氷がほとんど落ちてしまっていた。夫婦連れらしい下山者と遭う。頂上の小屋にテントを張って寝たとか。確かにそうでもしないと、広すぎて寒すぎる。
 天気は悪くない。晴れてきた。鉢伏の方がすっきりと見える。頂上の手前で樹氷が強風のために「えびのしっぽ」のように伸びている。その先からぽったりと水滴が落ちた。気温は上昇しているのだろう。
 山頂は広々としていた。夏はさぞ気持ちいいだろう。小屋に入りひと休み。朝食だが、どうも食欲が湧かない。屋根の雪が大きな音を立てて落ちる。「どきっ」としてしまう。
 ほどなく、単独者が入ってきた。千葉から来たのだと言う。長いレンズをつけたカメラと、コンパクトカメラとふたつ持っていた。(後日雑誌「四季の写真」でこの人に良く似た人が載っていた。たぶん間違いないと思う)

 東尾根へ下山。確かに標識をチャンと見ないとどっちへ行っていいかわから無くなるほどの広さである。老人が二人。彼らもまたカメラ、三脚を担いでいる。この時間にここにいると言う事は早朝から登り出しているはずである。達者なものだ。
 「朝焼けがきれいだったねぇ」
神大小屋を抜けたあたりでさらに一人。彼もまたカメラを持っている。ここらあたりは秋の紅葉がきれいに違いない。今は何を撮りに来たのだろう。僕も何枚か撮ったが気に入るのが撮れたかどうか?
 東尾根小屋から左へ急な下りである。林道へ出るはずだ。木を渡して階段を作ってくれている。素直にそこを歩けば良いものをはしっこの土の上を歩いたらつるっと滑ってしりもちをついてしまった。今回は1度もこけずに降りれると思ったとたんに油断をしてしまった。
10時25分、やっと林道に。すぐ左にキャンプ場らしい広場。そこでやっと朝ご飯のような、早めの昼ご飯のような。ラーメン、パン、紅茶、みかん。一服しながら周りを見渡す。スキー場でも有名な所でゲレンデ、スキー小屋などがいくつか見えるが、その周りは段段畑、白菜を取り入れる地元の農家の人たち、畑から立ち上る煙、いかにも山里の風情である。とても良かった。

 バス停に着いたのが12時過ぎ。バスはなかなか来ない。山里の人たちもけっこう人懐っこく気軽に話し掛けてくる。畑から家まで、耕運機のようなトラクタのような車の荷台に白菜を積んで何度も往復している。通るたびに私がまだいるので「きょうは日曜やから、1時半ぐらいやないかな」なんだか気の毒がっている。1時間半待ってやっと来た。駅で浜坂産の焼きちくわを土産に。浜坂と言えば加藤文太郎の故郷ではなかったか。僕には彼のような山行はできないけれど。

 山道そのものは広いし、しっかりしていて雪が無ければ快適であろう。
 凍えるような寒さを経験、山里もいい感じ。やはり行って良かった。今回は氷ノ山だが鉢伏の方も見るからに高原のすすきの原を散策する感じで次回はそっちでもいいなあと思いながら、秋の紅葉の山里を歩いた事であった。
 なお、経費は全部で14,000円ほどであった。