池木屋山清々(1996年10月19-20日)

 今年18回目の山行は池木屋山であった。初めての山である。何処へ行こうかと考えた末にこの山を選んだ。二度目三度目の山も考えたが、初めての山も悪くない。不安も多いけれど。
 予定はテント一泊。
 高見山の根っこを過ぎて、国道沿いのたぶん波瀬のあたりで野生の猿を五、六匹見かけた。テレビや動物園では見るが野生のを肉眼で見るのは初めてだ。車を停めて写真を撮ろうとするが、気配ですぐ逃げられてしまう。逃げたほうは谷になっており、「キャッキャッ」と鳴き声がしている。猿谷なんだと妙に感心してしまう。林道に入ると小さな二頭連れのたぬき(あとで考えるといのしし、いわゆるうり坊だったかも知れない)を見かけた。

 登山口にはすでに、7台ほどの車が駐まっている。ひょっとすると誰にも遭わないのではないかと思っていたが、どんな山にも誰かしら人はいるものだと痛感させられる。ほっとするような、ちょっと残念なような。
 10時40分。登山開始。犬飛びの岩を過ぎ、鷲岩で沢に下り水を汲む。鉄橋、階段はふんだんに架けられ水量豊富な沢の音を聞きながらゆるやかに登っていく。途中、岩肌に沿って架けられた超長い鉄橋が老朽化のためか渡れない。危険だから沢に下りて沢沿いに上がれと注意書きがある。岩の河原を歩く感じで二、三度向こうへ渡りこっちへ渡り返しながら再び山道に戻りほどなく高滝へ。すごい滝である。
 パンをかじり、紅茶を沸かす。

 若いカップル。
 ここで昼食をとり下りると言う。缶ビールをすすめられたが、ここで飲んでは登る気をなくしてしまいそうで、お礼だけ申し上げてお断りする。

 父娘。
 父は水彩画を画いている。娘は横でそれを眺めたり、きょろきょろと見回したり。父は下りる時、ちょっと会釈をして行った。

 中年男と若者。
 彼等は三脚を下げ写真が目的のようである。リュックを見ると泊りではないようだ。

 高滝を巻き猫滝。奥の出合まで一時間ぐらいか。休憩。この辺が地図にあるキャンプ適地のはずだが、登山口の車の台数からしてもひとつやふたつはテントもあるだろうと思っていたが、何も見当たらない。もうすこし上だろうかと思って急になりつつある坂を上がっていくうちに二人連れの下山者と会う。
 「テント場はどこだろう?」
 「泊るとすればこのへんだけど。水はこの上にはないしねえ。でも頂上でも泊れるよ」
 時計を見ると2時30分。  「日暮れまでには行けますよ」
 「泊れるのならそうしよう。どうも」
 「気をつけて」
 急登である。尾根へ出たところで単独者の下りと会う。もう上には誰もいないらしい。
 「そうか、今日こそ一人か」。楽しみ、不安、複雑な気持ちで急登を登る。リスがチョロチョロしている。さすがにこの辺りまで来ると紅葉が素晴らしい。
 熊笹が見えると頂上は近い。近いとは言えしんどい。写真を撮りながら登ったせいもある。奥の出合から急登であったせいもある。何かふだんの登山のペースではなかった。けっこう疲れた。3時50分、やっと頂上にたどりつく。大きなかえでの木に「池小屋山」の標識。たしかに誰もいない。

 テントを張り、さっそく水割りを飲む。山の水で水割りを飲む、僕の山登りの楽しみのひとつなのだ。鹿の鳴き声が聞こえる。何と哀愁のある鳴き声なんだろう。日没が早いからゆっくりはしてられない。ご飯を炊く。カレーを温める。風がきつくなり急速に冷えてくる。下着とカッターシャツを着替える。夕食を終え寒くなりテントに入るといつの間にか寝てしまう。
 9時ごろ目が覚める。木を揺する風の音がうるさいほどだ。空気窓から外を見ると満天の星である。熊に遭ったらどうしようと思いつつ、外へ出ると、きりっと身が引き締まるほどの寒さと、月明かりと星の光とで透明なほどの明るさに包まれた。いまこの頂上には僕一人しかいないのだ。怖いけれど一方で一人の山を経験してみたい、そんな気持ちがどこかにずっとあった。
 冷気と一緒にテントに入り再びウイスキーを飲む。眠れない時間をとりとめもなく過ごしていると、「心に移りゆくよしなし事」で、「あやしゅうこそものぐるほしく」なってくる。
「会社とか、家とかでいやな事があったら山へ逃げ込むんですわ」
 半分は、冗談である。一切を忘れて鹿の鳴き声を聞きながら、日が落ちるのを眺めながら酒を飲む。決して悪くない。むしろ、週末の過ごし方としては最高の部類に属するだろう。
 だけど、こうして山の中に身体を投げ出している事が、本当に自分らしい事なのかどうか。休日と言えば、テレビを見ながらゴロゴロしているか、パチンコに行くか、たまに早起きをしたと思ったら競馬場に行く。そんな生活を長い間続けていたのだ。

   朝5時すぎに目がさめて、まどろむうちに6時。紅茶だけをのみ、雨具を防寒用に着けて山頂付近を徘徊する。小屋池の辺りで写真を撮る。池とは言うものの湿地である。動物の足跡が散見された。本来、動物たちと木々の世界なのだ。この池も雪解けのころなら水を湛え、鹿や熊やヘビやそのほかの小動物、あるいは鳥たちが集まってくるのに違いない。それにしても何と清々しい山の朝なんだろう。明けたばかりの朝の光がブナやかえでの長い影を落としている。
 テントに戻り、7時半下山する。数頭の鹿の群れ、きつつきを見る。8時半に奥の出合まで下りそこで朝食。一人上がってきた後、別の7人のパーティが上がってくる。みんな早起きしているのだ。日帰りならばそうするより仕方がない。
 「みなさん早起きですねえ」
 「マイクロバスで来たんや」
 小休止の後、「さあ」と登り始めるがそのうちの一人、装備を見れば山慣れた感じだが、
 「しんどいなあ、にいちゃん。ゆっくり行ったらええんや」
などと言いながら朝御飯の準備である。彼もどちらかと言えば単独に慣れているのかも知れない。

 僕の場合、去年までは高校生の息子と組んで出かけたが、今年になって大半は一人である。元日の早朝の金剛登山の時、どういうわけか、今年は一人で出かけてみようと、勝手に決めてしまったのだ。
 出かける前はずいぶん不安もあった。山道に入ってからは些細な物音にもどきっとした。
 しかし、天気には十分注意したし、危険な箇所では慎重に行動してきたつもりである。おかげで、事故もなく夏の遠出も何とかこなしてこれたのだ。ペースは人並み以上に遅いけれど、一般ルートなら一人でもやっていける自信もついた。
 ただし、自然と身に付いた自己流だから、ちゃんとした指導、訓練を受けた人たちからみれば、おかしなところがいっぱいある事だろう。その事が自分自身の山行の限界を規定してしまうような気がしなくもないけれど。
 ゆっくり休憩して再び下山。高滝をすぎ、鷲岩で沢に下りて水を汲む。これは家での水割り用だ。