1996年7月26/29日 木曽駒から空木岳へ

 急行ちくまで朝二時四十三分、木曽福島着。車内では良く眠れなかった。駅でほんのちょっと仮眠。予約したタクシーが寝ている僕の名前を呼ぶ。
 「六時って言ってたけど五時でも良いかな」と。五時だと明るいから「OK」しておく。四時四十分目が覚めてそそくさと朝食。ちょっとしか食えない。タクシーに乗り込む。
 「ヤワラちゃんが、決勝戦をやるから見ても良いかなぁ」と運チャン。たぶん若い頃柔道をやっていたそうな体つきである。いっしょに車内で見る。残念ながら銀メダル。次に男子、野村の決勝戦。その間にトイレ。帰ってまた続きを見る。見事一本で優勝。

 五時四十分、木曽福島Aコース登山口、草原へ。
 寝不足もあり、ゆっくりと行くことにする。後にも先にも誰もいない。一人の登山である。木曽駒は駒ヶ根からバス、ロープウェイで楽に登れる。もちろんそれをまず考えて山行予定を立てようとしたが、駒ヶ根はちょうど中央アルプスを挟んで木曽福島の向かい側にあり、塩尻で乗り換えなければならないし、塩尻で待ち合わせの時間が相当ある。時間のロスが多い。駒ヶ根からのバスもそこそこ並ぶだろうし、ロープウェイも並ぶだろう。体力のロスは少ないにしても時間、交通費はそれなりにかかるのだ。それならいっそのことこちら側の木曽福島から登った方が良くはないか。そう考えたのだ。なにも、文明の利器を否定した登山にこだわった訳ではない。
 しかし、これが甘かった。しんどかった。だけどもう一度同じコースを行っても良いかな。
 さて、寝不足もあり、四、五十分歩いては休むことにする。正味七時間ちょっとの登りであるはずだが、なかなかペースが上がらず、それでも今日中にテント場へ着けばいいのだし、一人なのだから自分のペースでゆっくりと、といったところである。
 が、けっこうしんどい登山であった。さすがに八合目の昼食時まで、同じコースで登ってきた人は一人もいなかったのである。下りは数人に出会った。広島からの十人ほどの女性の多いパーティにも八合目で出会った。
 昼食は丸いフランスパン二個、ジャム、トマト、それに水。紅茶を沸かすほどの気持ちの余裕はなかったが、さすがに八合目まで来るとあとわずかだと思って昼寝をしてしまう。
 そのうとうととする間に一人が通って行き、その後もう一人が上がって来た所で目が覚める。
 その後、彼と休憩の取り方で抜きつ抜かれつ話を交わしながらの登山であった。玉の窪を過ぎたあたりで頂上方面とテント場へ直進との分岐になる。とりあえずテント場へと思って後者の道を取るが、これまた随分と遠い。やっとの思いで着いたのが三時二十五分。

 テント設営場所代六百円。テントを張って空身で頂上へ。多少ガスがかかっていたが、やはり達成感はうれしい。写真を撮ったり、のんびりとたばこを吸ったり。たぶんロープウェイで上がってきたらしいツアーの一組がなんと大峰のそばの川上村から来ているらしく、大峰山系の話をひとしきり。なんだかうれしくなった。それに村長や村会議員の選挙の事とか。
 テント場へ下りてウイスキーを飲む。八合目で会った若い男性はカメラマンでICI石井スポーツの商品カタログの写真を撮っているのだとか。色々と話をした後シチューを食べると夜行列車の睡眠不足がたたったのか、六時四十五分にはもう「おやすみ」と言って、テントに入ったら即、ぐっすり寝てしまった。

 翌朝、夜明け前に起床。日の出はガスの切れ間越しに撮れた。朝食は前夜残したご飯で雑炊のつもりが雑炊の素を忘れてしまったのでおかゆにする。朝一では食べづらいと思っていたが、意外と旨かった。ご飯を少量にしたのが良かったのかもしれぬ。撤収後トイレに行ったりして五時五十分出発。起床から二時間近くかかっていたのではないか。
 例のカメラマンは一足お先に「宝剣までいってくる」と言って出発した。
 ガスの中を中岳頂上を踏んで、それから宝剣山荘の前を通って宝剣を目指す。早朝から山小屋泊りのパーティが岩場に取り付いてなかなか先へ進めない。すぐ前を関西の若い女の子数人と男性ひとりのパーティも待ちの状態である。ガスがさあっと切れた瞬間、御嶽がきれいにその全容をあらわした。「わあ、御嶽がきれいに見えてる」と僕が言うと「わあ、ホンマや」と声をそろえる。
 宝剣までの登りはさすがに緊張するがさほど困難でもなく頂上に達し極楽平の方へ下りる。むしろこの下りがちょっと恐い気がした。やはり下りは足元が見えないから途中でどうしたものかと往生してしまうのだ。
 島田娘まで来る頃にはすっかり晴れて、これから向かう南への稜線、および山々が鮮やかに望まれた。森林限界を超えた登山の醍醐味であろう。昨年の白馬の雨と風の中の縦走とは、まったく違う。
 しかし、遠くから見れば気持ちのよさそうな稜線漫歩のように思えて、じつはそれから濁沢大峰、桧尾、熊沢、東川岳とピークを踏んで行くのにそのアップダウンのきついこと。足がなかなか進まない。抜かれてばかりである。東川岳で昼食の予定が、結局はその一つ手前のピーク、熊沢岳になる。

 しぜんと数人と話をする事になるが、みんな少なくとも僕よりは速いのだ。そして、ピークで休んでいる所で追いつくと言う始末である。若い女の子で一人、めちゃくちゃ脚の速いのがいた。ストックを持ち軽いリュックで、ひざの使い方が旨いように思われた。遠くから、たばこを吸っている間に見る見る近付いてきてあっという間に遠くまで行ってしまった。たぶん夫婦らしい若い男女。これも速かった。そしてピークで充分すぎるほど休みを取っている。
 中年のおじさん。しんどい、飯が食えない、などと言いながらボチボチ行くけれど、やはり私より速いのだ。熊沢岳でちょっと話をし、東川岳の手前のちょっとしたピークで話をし、東川岳で写真の撮り合いをする。空木岳が見事である。東川岳から木曽殿越の山小屋まで急な下りである。ひざがわらうほどの急坂である。登ってきた人が「この坂が一番きつい」と。

 二時五十分、山小屋。水はと言えば木曽義仲の力水まで片道約15分ほど。随分疲れていた。もっと早く行けるはずなのに。水を満たして山小屋まで戻る。三時十二分。中年のおじさんが「どうするんだ?」と聞く。ここに泊るのか、空木まで今日中に行くのか?と。
 「うん、どうしようかな? 思案中です」そう言いながらとりあえずボチボチと空木への登山道を上がってみる。僕の中の常識は「ここに泊れ」と言っている。テント場はないから小屋に泊るしかない。「もったいない」そんな気も一方である。山頂までの標準タイムは一時間半。ちょっと登っては休む。ガスがかかっている。雨が来るとは思えなかったが風が体を冷やす。「さて、どうしようか」などと、まだ決心が付きかねるまま少しずつ登っているのだ。上から一人降りてきた。「上は岩ばかりで大変ですよ」と脅される。少しずつしんどい体を持ち上げて行くにつれ、あと一人、あと一人、あと一人と結局降りてくる人は四人であった。後で考えてみればたしかにみんなが「大変だぞ」といいたそうであった。そして軽装であった。

 頂上近くになると岩場が増えてくる。かつては鎖をつけていたらしいが、今はない。登りだから何とか「ああしてこうして」と登って行く。一個所ひざを付かないと足の届かない個所があった。これまたやっとこさ登り切ってやっと頂上。道中何度か休んだがガスがかかって寒い、寒い。雨具を出したりする。頂上五時二十分。やっとたどり着いたといった所。駒峰ヒュッテの方へ下りる道は、花崗岩のザレた感じで滑りやすい急坂だ。空木平にテントを張るつもりで下りるのだがそれがどの辺りなのか定かではない。広場があって遠くから見るとテントのようにも見え、小屋のようにも見える所があり「ああ、あそこか」と思ってしまうが色がみんな灰色なのだ。色とりどりのテントの色からするとモノトーンなのだ。識別できる所まで近付くと何とそれは巨大な岩であった。
 稜線からはるか下にテントが見える。空木平があんな下にあるはずが無い、それはまた別のテント場、キャンプ場なのだと、実は長い間信じて疑わなかったのだ。空木平のテント場はこの稜線沿いの平地にあるはずだとずっと思いつづけていたが、そこがそれであると気づいた時はもう随分歩いた後だったし、地図をチャンと見れば遠回りをせずに駒峰ヒュッテから真直ぐそこへ下りる道があったのに見落としてしまい、ずいぶん遠回りをしてしまったのである。
 結局テン場に突いたのが七時二十分。日没直前であった。足の裏が痛くなってスピードが出ないのだ。設営はヘッドランプを点けて。もはや食事を作る気にもなれなくて、ウイスキーとピーナッツで寝てしまう。
 夜中何時ごろだったか、ラジオをつけてみると、女子マラソンをやっている。アトランタオリンピックの最中なのだ。

 五時起床。となりのテントのお兄さんは、これから空木へ登り返し、木曽へ下りるという。岩場のナンギな所があったので、登るには登ったが、とてもじゃないが僕には下りれないかもしれないので、
 「駒ヶ根の方へ下りようと思う」と言うと、
 「そうね、確かにやっかいなところが数箇所ありましたね。僕はリュックを先におろして(落として)空身でその岩場を下りようと思っている。だめなら飛び降りればいいし」と。
 下りはそれほど難しいのだ。朝食はラーメンと赤飯。昨晩食えなかった分、食うには食えたが気分的にムッとして吐きそうになってしまう。トイレを使い、沢で水を補給し、六時五十分、池山尾根を駒ヶ根に向かって下山。これまた足の裏が痛く、なかなかスピードが上がらない。ずいぶん抜かれてしまう。登りも数人に会う。
 池山小屋で昨日の若夫婦が追いつく。彼らは木曽殿越の小屋に泊って今朝六時ごろ出たらしいが、それから空木へ上がって下りて追いついてきたのだ。身の軽い事うらやましい。

 ボツボツ下りて林道へ出たのが十二時二十分ごろだったか。さらにバス停へ着いたのが十二時四十分頃。風呂屋もあったが疲れすぎていて動くのがしんどい。バスに乗って駒ヶ根駅まで。うまい具合に電車の連絡があり、塩尻経由で「しなの18号」で大阪駅に7時32分着。経費約二万二千六百円。

 反省点としては、車内でよく眠れなかった、一日の行動距離が長すぎた、荷が重すぎた(約19キロ)ことなどがあげられる。初日の登りも長すぎた。二日目は殿越で泊るのが普通だったろう。帰りの電車は予定通りのに乗れたから結果的には良かったのかもしれぬが。
 下山を、空木を登り返して倉本へ下りるという予定を変更して、駒ヶ根に下りたのは正解であった。危険を冒す訳には行かない。これは正解である。
 ガスこそ出たが天気に恵まれ、ほぼ予定を何とかこなせた事で、さらに自信が付いた。
 森林限界を越えた山歩きの醍醐味の一端にも触れえたと思っている。足の裏が痛くなった事に付いては、靴の問題なのか、疲労過多なのか、もう少し考えてみる必要があろう。