1997年1月25/26日(土、日)岩湧山

  22日(水)は今年一番の寒波で大阪も大雪であった。金剛、葛城、岩湧山、窓から見ても白く雪におおわれていた。
 週末の予報は、ことに土曜日は雨のち曇りだったが、それが早まって金曜日に雨。
 土曜日は何とか晴れてくれた。曇り時々晴れ、といった感じ。二、三日前から作りかけていたリュック。朝の天気で思い切って出かけることにする。おにぎりを作ってもらい、テルモスには熱湯。日曜の朝食は駅でパンを買うことにする。泊りの予定だから急いで出かけることはない。十一時出発。歩いて駅まで。パンを買い、階段を降りるとちょうど急行が出たところ。仕方がない、十分ちょっと待って次の電車。千早口で降りて駅員に写真を預かってもらう。先週撮った猫のおばあさんだ。
 紀見峠に着いたのが十二時二十分。この時刻だから雪はもはやズブズブだ。一時間十五分程で三合目。それ程空腹でもないのでもう少し先のベンチまで行く。ベンチにはどれも雪が積もっていて直接には座れない。銀マットを敷く。グッドアイデアだ。荷物も十八、九キロになっており、ずいぶん汗をかく。食事中は体を動かさないからどんどん冷えてゆく。髪の毛が凍って行く。寒い。
 いでたちといえば下はジャージーにスパッツ。ジャージーだけだと風が入って寒いのでその下にパッチをはく。これは良かった。これに下はスパッツでほぼ防寒になる。ジャージーの上から雨具を着けなくてもよいほどだ。アイゼンは不要だった。上は半袖のTシャツ、ワイシャツ、その上に雨具。

 杉木立から雪がどさどさと落ちてくる。
 南葛城山への分岐から先は、昨年の二月、市岡高校の耐寒登山にかち合って以来だ。こんな道だったかと、記憶が薄れている所もあった。十五時、山頂。高い雲がある。夕日はうまく見えてくれない。風が出てきた。山頂でうろうろ考えているうちに早めにテントを張っておくのが正解かと思われた。どこに張るか場所を探しながら登ったが適当な所がなく結局山頂に張ることにする。
 20〜30センチほどの雪を踏み固める。よいしょ、よいしょと一人で雪踏みだ。例によって左ひざの外側が痛み出す。
 テントを張ってお湯を沸かす。その間にお湯割を飲む。湯気、たばこの煙、吐く息でテントの中はガスがかかっている。ヘッドランプの電池が切れかかっている。低温になると電池の活性が落ちるらしい。やばい。さいわい月夜だったから薄明るかったけれど。
 それにしても寒いし、雪だし、身動きの取りにくい一夜だった。小便をしたいのだけれど外へ出るのが厄介だ。一度はテントの出口に立ってする。十時半に再び小用のために目が覚める。しないと眠れないのだが、外へ出る決心がつかないでいるのだ。寝袋の中でうずうずしているが、いずれにせよ朝までこらえている訳にはいかないのだ。そのために眠れなかったなんて本末転倒だ。意を決してシュラフから出て雨具を着け、手袋をして、靴を履き外へ出る。星はオリオン座の次の大熊座が見えていた。とてもきれいだった。それ以上に夜景のきれいなこと。関空も見えた。滑走路を照らすライトの列があざやかだった。写真に撮ることも考えたが、たぶんバルブで撮ることになる。これほど風が強いとなんぼ三脚、レリーズといえどブレてしまう。冷える。たばこを一本吸うのがやっとだった。そそくさとテントに入る。風でテントがゆれる。寝返りを打つと、左ひざがぎくっと痛む。やばい。
 眠れないような眠ったような、気がつくと朝六時十五分。お湯を沸かしスープを飲む。残ったお湯は紅茶にしてテルモスへ。夜明けを撮ろうと三脚を立てじっと待つ。何枚か撮ったが果たしていいのが撮れたかどうか。
 撤収して、そろそろ下りようかという時早くも単独者が上がってきた。何と早起きなんだろう。
 八時半下山する。まっすぐ紀見峠までの予定。岩湧寺へとも思ったが今回の目的は泊りと写真。まっすぐ紀見峠へ下りたほうが時間的には早い。岩湧寺から流谷を経て、天見まではいささか遠すぎる。左ひざの痛みがなければ考えてもよかったが、無理はしないことだ。下りの間でリュックの中のポリタンクの水が凍ってしまった。
 十二時、帰宅。


2月1/2日(土、日) 弘川寺―葛城山―金剛山

 近場の低山冬山テント泊り 第二弾。
 高さの順番からいえば次は葛城山。例によって泊りだから遅く出かけてもかまわない。どこから登るか地図を見ながら、はじめての道、弘川寺から登ることにした。弘川寺には西行の墓があるらしい。
 「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月のころ」
 晩年一年ほどだがここに住まいし、歌のとおりに二月十六日、ここで没した。じつは知らないでいたのだ。庭園が有名らしく、また西行の資料館もあった。奥の山に桜が植えてある。春になればきれいなことだろう。
 ここまでは女房と一緒にきた。昼食をとり、ここから一人で登り出す。いきなりの急登。たぶん山仕事の人たちであろう、五、六人が暖を取っている。それを過ぎると時間が遅いから誰にも逢わない。ちょっとマイナーな登山道かもしれない。地元の人の道といってもよいかも知れぬ。追い越す人も、追い越される人もいない。鉄塔29を過ぎたあたりから雪道になる。いくつかの分岐を過ぎて林道に入る。
 ザクザクと凍結した道を登る。アイゼンをしたものかどうか。結局しないで慎重に登って行く。わりと新しい登りの踏跡があった。今日のか昨日のかは定かではないけれど。
 そうこうするうちに、一人の下山者と会う。おそらくこの道を登って下りてきたのだ。挨拶をして道を確かめる。「私の踏跡をたどって行けば大丈夫です」。有り難いことである。
 何事にも先達はあらまほしけれ、である。

 雪はだんだんと深くなる。舞ってくる。汗をかき、さくさくと雪を踏んで行く。
 青崩からの合流点を過ぎたら頂上は間近。山鳥が一羽、バタバタと前を横切って行った。じつにきれいだ。これで三度目だと思うがこれほどの大きな鳥だから生息数も少ないのだろう。音には驚かされるが、実にきれいだ。
 テント場を過ぎる。一つ一つ水平にプラットホームを作っている。
「まさかここに張るの?」
 ダイトレとの合流点にやっとたどり着く。記憶のある道だ。売店を過ぎてとりあえず頂上へ向かう。親子連れが十人、いや二十人ぐらいはいただろうか。ソリスキーを楽しんでいる。十四時五十分、登頂。二時間二十分の登りであった。登頂後、売店の所まで降りるのに二度滑ってころんでしまった。雪の下りは要注意だ。家に電話した後、頂上のすぐ下の杉木立の中に適当な場所を見つけテント設営。汗いっぱいの下着、ワイシャツを新しいのに着替える。
 外から声が、
「あのぉ、ここにテントを張ってもらっては困ります。キャンプ場の縁台に張ってください。」
「ここではいけませんか?」
「ダメです」
「わかりました。今着替えているのでその後撤収し、移動しますから」
「はいわかりました」
 先ほどのテント場をもう一度よく観察する。仕方がない。
 売店のおばさん、
「ひとり?」
「うん」
「そしたら三百円もらわんと」
 テントの中にぶちまけたものを再びリュックに詰め込み、テント場まで。
 そうしていると、
「忘れとったわ、テントの持ち込み料七百円もらわんと」
 やれやれ、なんてこった。
「しょうがないねえ、そしたら領収書切ってよ」
「うん、ええよ」
 そんなこんなで九百二十円を払い、領収書をもらう。記念にも思い出にもなる。テントを張ったままよいしょと抱えて行く。

 ほっと一息いれて写真を持って再び山頂へ。今度はアイゼンを履いて行く。数枚撮ってテントにもどり、お湯を沸かす。この頃すでに日は落ちかかっている。お湯を沸かしながらテルモスのお湯でウイスキーのお湯割。レトルトのご飯、カレーを温めているうちに飲んでしまう。いつものことだ。小便をしたくなってテントの出口に立って放尿。ひょっとした拍子に後ろ(テントのなかに)にこけて、お湯はこぼすは、コンロは火が点いたままこかすはで、ひとりで大騒ぎをしてしまう。コンロを外へ放り投げ火を消す。タオルでテント内のこぼれたお湯を拭く。けっこう酔っ払っているのだ。カレーを食う。いつもなら食器をトイパーで拭くのだが面倒になってそのままほうっておく。眠くなって寝てしまう。夜中寒さと小用で目が覚める。テントのポールが一本ぐらぐらしている。つなぎ目が外れているのか、折れているのかよく判らない。外へ出て小便をしてポールを確かめるが、さだかではない。さいわい無風だ。朝までほうっておくことにする。寒くて眠れない。縁台に寝ているから下のほうからも冷えてくる。橋の上が凍結しやすいの同じ原理である。寝袋は本来冬用ではない。低山だからとたかをくくってきたのがよくないのだ。下着も秋と変わらない。ポケットカイロが有るだけである。寒さ対策をしっかりしないと体力を消耗してしまう。

 湯を沸かして紅茶を飲もうと思う。コッヘルに残っていた湯が凍っている。それをコンロにのせ点火するがカチッと音がしないのだ。ガスは出ている。ライターで火をつけてやっとコンロが火をたいてくれる。沸いてふたを開けるとテント内一面に水蒸気があふれ霧を作ってしまう。テントの隅さえ見えない。何といったらよいのか、岩湧山でも経験したことだが、山でこの季節でないと経験できないことだと思われる。このころはすでに酔いも醒めている。紅茶を飲みポリタンクを枕にしてシュラフカバーの首もとを締めて眠ろうとするが冷えて眠れない。テントの外に出しておいた温度計を見るとマイナス五度。このテント場は冬向きではない。げんにこんな酔狂は私しかいやしない。ヘッドランプの電池が切れる。テント場の周囲に明かりが点いていたから幸い真っ暗ではなかったけれど。

 六時起床。自分としては段取りよく撤収、湯を沸かしてオニオンスープ、パン一個の朝食を同時並行的にやったつもりだがやはり一時間はかかってしまった。テントのポールは折れていた。極端に曲がっている個所もあった。「あ〜あぁ」憂鬱な気分になる。修理に出さないと。
 七時水越峠へいったん下りて、荷物の整理をし一休みの後八時半金剛山へ向けて再び山道を登る。ダイヤモンドトレイルだから整備はされているがなんせ雪道。結構疲れるものだ。急登やなだらかな道やらを繰り返し二時間後、やっと頂上の葛木神社。三脚を立て数枚。すごく時間がかかってしまう。登山と写真、これは似て非なるものだ。ペースが狂ってしまう。千早峠から東条山を経て下山するつもりだったが、結局久留野峠を下りて、ロープウェイ乗り場のバス停へ。富田林駅からうまく接続があり、十四時四十分帰宅。


2月8/9日 東条山―金剛山

 近場の低山、冬山に泊まる 第三弾
 残る山はあと金剛山のみとなった。いずれ遠出をして春山を目指すためには近場の低山であっても経験しておかなければならない。今やろうとしていることは決して無駄ではないし、むしろ必要なことなのだ。この時期近場の低山であってもこの経験が絶対に役に立つはずである。そうでなければ何を好き好んでこんなところでテントを張るものか。日帰りで十分の距離なのだ。今までの二回の経験もやはり役に立っているはずである。寒さ対策のこと、装備のこと、またその重さなどなど、近場で経験しておかなければ恐くて遠出など出来はしない。そのためにやっているのだ。笑いたければ笑うがいいのだ。誰もが自分の考えに従って山に入る。自己に忠実になって山と向き合えばいいのだ。

 さて、そんな思いで、残る金剛山へ。
 登りは赤滝から東条山を経て、伏見峠のテント場まで。赤滝を攀じるのは不可能だ。ガイドブックには何とか行けそうなことを書いていたがこれは無理。巻き道をてくてくと滝の上まで。それから谷の出会いを右へ沢をつめて行く。涸れ沢になり雪の中踏跡もなくなってくる。場所を確認しようと地図をポケットから出そうとすると見当たらない。
 「おやっ、どうしたんだろう?」
 途中で落としているのだ。はじめての、しかも雪道で地図なしではとても危険だ。時間の無駄は承知で引き返す。涸れ沢に落ちていた。実はまだその時も道を間違えていることに気がついていなかった。踏跡のない雪の斜面を枯れた杉の枝やら根っこやらをつかんでやっとこさ尾根に出た。動物の足跡があった。熊のようでもある。尾根を上がるか下がるか、足跡は下へ向かっている。そのためばかりではないが東条山へまず登るのだからたぶん上がるはずだ。踏跡のない雪道を不安な面持ちで上がると尾根に出た。この尾根道でやっと踏跡に出会う。ほっとした。正直ほっとした。ダイトレ方面へ踏跡をたどる。小さなピークにたどり着いて正午。道なき斜面をよじ登ったせいか息が上がってしまった。標識が立っていた。左東条山と。
 「えっ、これが東条山じゃないの?」
という事は道を間違えたことになる。改めて地図を取り出して確認。なんだ谷の出会いを左へ取らなければならないのに右へ行ってしまったのだ。踏跡らしきものに付いて行ってしまったのが間違いの元だった。仕方がない。昼食にするが、息が上がっているのと、道の間違いに気が付いたせいか、胃がきゅっと小さくなって食欲がわかない。後ろで急にがさがさと生き物の動いている音がする。
 「熊?まさかぁ」
 それでもさっき足跡らしきものを見た。ますます胃が小さく、かつ硬直しておにぎりが砂のようにざらざらしてとても食べられたものじゃない。
 「後でまた食おう」
 そそくさと後始末をして先を急ぐ。やっと本当の東条山の頂上へ。一安心だ。それでもダイトレに出るまでにまたもや迷ってしまった。泊りだから時間は有るけれど。ダイトレに出た時は本当にほっとした。踏跡もしっかり。見慣れた道だ。後は中葛城山、久留野峠に下りてもうひと登りで伏見峠のキャンプ場。中葛城山で二度目の昼食。
 テント場に着くとテントがひとつすでに張ってある。管理事務所に申し込むと、なんと無料とのこと。前回の葛城山とはえらい違いだ。雪を踏んで設営。おっちゃんの話だと夜中はマイナス六、七度だろうと。
 「いつものおっちゃんがテント張ってるわぁ」
そんな言い方をした。いつものおっちゃんの顔は遂に見ずじまいだったが、写真を撮りにきたのだろうか?

 翌朝は日の出前に起き写真を撮りに広場に出る。ここからだとご来光がよく見える。正月はここからご来光を拝むのだろう。遊園地にあるような子供用の火の見櫓のようなものに登って日の出を待つ。写真をバチバチ撮ったけれど、露出が思い通りに行かなくて大半をミスしてしまった。
 朝食を終え、葛木神社、社務所、売店のほうへ。売店の前の広場にはすでにぼちぼちと登山者が溜まっている。国見城跡からセトを経由して下りるつもりだったが、昨日の道間違い事件が微妙に影響したのか、普通に登山口へ向けて下りることにする。
 登ってくる鈴なりの人たちとの離合のためすごく時間をロスしてしまった。また下りはよく踏まれた道のせいで滑りそうでおそるおそる下りたのだが、練成会の連中はいとも簡単そうにずんずん僕を追い越して行く。たいしたものだ。この道は、登りにはよいが、下りは時間帯のせいもあったが、登山者が多すぎて不向きである。時間のロスが多すぎる。