稲村ヶ岳(Mar.8/9,1997)

 週末いつも天気とは限らない。GWまで好天の週末が何回あるだろうか?ぜひ行きたいと思っていた比良もどうやら時機を失した。もっと雪のあるうちに行っておきたかった。が雪の量を考えるとどうもひとりでは無理のようだ。知り合いを誘っていたのだがなかなか予定があわずに、結局パスせざるを得なくなった。仕方がない。稲村ヶ岳はもちろん候補の、予定のひとつである。ポイントは大日のへつりのところだけ。あそこを向こうまで超える。あとは雪の量だ。昨年は4月に行った。今年は一ヶ月早いから、気がかりなのはそれだけであった。

 何故山に?
その問いにはいまだに答えられずにいる。この一連の冬山入門コースを考えたのは、まず漠然とした気分は、暮れの休みの間にふくらんでいった。昨年は我ながらよく出かけたものだと思っている。しかも一人で、である。テントを買ったのが大きい。それを担いであちこちに出かけた。ワンサイクルを終えてみて、「さて来年はどうしよう」。それが出発点であった。今年のようなことを繰り返すことは出来る。それがつまらないというのではないが、何か違ったこともしてみたかったのだ。岩登り?まさか。沢?これだって正直難しい。あと残るのは冬山である。これだって単独では無理なのだ。相応の経験、知識、技術を持った人だってまず単独では冬山には入らないだろう。私においてをや、である。けれど春山なら、しかも入門コースなら行けないこともないのではないか。その練習なら近場の低山の冬山でできる。昨年やってないことといえばそのあたりである。「よしこの冬から春にかけて、最終目標を北アルプスの春山入門コースに置いて、稽古をしよう」。それが動機なのだ。

 それにしても何故山に?の問いには答えられずにいる。
 山に入る気持ちとしてはふたつある。ひとつは純粋に気持ちがいいからだ。道中はしんどいけれど日常平地では味わえないいろんなことがある。空気がうまい、哀愁のある鹿の鳴き声が聞ける。山の水で水割りを飲む、これがうまい。いろいろと理由をこじつけるのだが、結局「非日常空間に身を投げ出せるのがよいのかなあ」と思ったりするが、これさえ本当の突き詰めた所の感覚なのかどうかはちょっと自信がない。
 もうひとつは、やはりふだんのいろいろなうつうつとしたものから開放されたい、そんな気持ちが働いているのは事実だ。現に昨年は、仕事や家庭でいろいろあると、もちろん天気次第だが山に逃げ込んでいた。しんどい思いをして汗をかきながら山道を登っていると何もかもを忘れられる。ただふうふう言いながら足を前に出すことに神経を集中できる。歩くことに神経を集中できる。その間はいろんな事共を忘れてしまえるのだ。それがいいのかもしれない。

 さて、稲村ヶ岳。
 「ごろごろ水」ではすでに数人がポリタンクをいくつも持って陣取っていた。仕方がない。列に並ぶとよこせと手を出してくれる。有り難い、お言葉に甘えることにする。喫茶店、料理屋、あるいは自家用? よく判らないがそれこそ何百リットルにもなりそうなポリタンクの数である。登山口で昼前だった。ここで昼食ということも考えたがそれをすると、面倒になって、「もういいや、帰ろう」ということになりかねないので、さっさと登山道に取り付くことにする。雪はわずかに残っている程度。日の当る所は何もない。比較的新しい踏跡がいくつあったろうか? 土曜日のせいだろう。ひとまわり小さな踏跡もあった。一時過ぎに日の当る所で昼食。泊りのいい所は先を急ぐ必要のないことだ。とりあえずテント場まで行けばよい。頂上は明日でもよいのだ。テント場まで行けなくても適当な所があればそこで泊まってもよい。荷物は重たいが気分は楽である。高度を稼ぐにつれて日陰の巻き道に入るとさすがに雪は豊富。下手をするとずぼっとはまってしまう。一人女性が下りてきた。下を向いて歩いていたから直前まで気が付かなかった。
「ああ、あなたでしたかぁ」
ひと回り小さな踏跡の本人である。モンベルの黄色のヤッケに、ザックにはピッケル。アイゼンは履いてない。ひょいひょいと下りてきている。慣れているのだ。まして一人なのだ。いずれ遠出の足慣らしなのかも知れぬ。私などよりはるかにレベルは上である。
 「こんにちはぁ、上にもう一人おられますよぉ」
 「ああ、そうですかぁ。雪はどんな具合?」
 「どおってことないですぅ。小屋の所まではこんな感じかなぁ」
 そんな感じで別れてしまったが、もっと話をしておけばよかった。

 テントは小屋の所に張るつもりでいた。ところが思う以上の雪であった。小屋もまた思う以上に荒れていた。小屋から張り出した屋根の下あたりを考えてきたがちょっとやばそうである。二時半に着いて、一服しながら場所探しである。頂上へは明日の予定だからのんびりしたものだ。
 ザックがひとつベンチに置いてある。空身で頂上へ行っているのだ。もうひとつの小屋の入り口が一段下がっていてその前がうまい具合に平らになっている。雪はあるけれど適当に踏んでそこに張ることにする。それが決まると何もすることがないから、大日のところまで、雪の偵察がてらにザックの持ち主を出迎えに行くことにする。小屋を過ぎてから雪はどういうわけかぐんと増える。足を取られながら大日の根っこまで。去年より雪は多そうだ。向こうまでいけるだろうか、ちょっと心配になってきた。黄色の上下の防寒具を着た人が向こうからへつりの真ん中あたりまで来て何やら立ち止まって山上ヶ岳のほうを見ている。それからおもむろに歩き出した。やっとへつりをこちらへたどり着く。
 「やあどうも」
 ずいぶん年配のおじさんである。つららを折ってガリガリかじっている。さっき立ち止まった時に多分折ったのだろう。
 「稲村はまあ行けます。大日はやっとこさ何とか行ってきました」
 「へえ、大日もぉ。大変でしたね」
 それから小屋へ引き返すのだけれど、その足の速いこと。わずか十分くらいの道のりなのにあっという間に見えなくなってしまった。彼は更に山上ヶ岳へ行ってそこでテント泊の予定だという。彼は今朝から登り始めて、稲村、大日と済ませ更に山上ヶ岳まで。さっき会った女性は日帰りで稲村の往復。私は頂上まで行かずに小屋の所でテント。要するに私が一番アルバイトが足りないのだ。さすがにこの時期の単独行は達者な人がやるものなのだ。
 「じゃあ」
 「お気をつけて」
 小屋から山上ヶ岳へ、踏跡のないしっかり雪の付いた道を足を取られながらもひょうひょうと歩いて行った。凄いと言おうか、レベルとしては数段以上の力量である。私はせっせと雪踏みをする。テント設営後、日暮れまでにはまだ時間があり、ホットウイスキーとピーナッツ。手帳に簡単な山行記録。そうこうするうちに酒も飲み終え、夕食。それを済ますといつものことながらすっかり眠ってしまう。

 午前一時半、目が覚める。凄い風である。尾根から一段下がった所でかつ一メートルほどの雪がうまい具合に風をよけてくれている。外にぶら下げた温度計はマイナス五度。心細くなるほどの風の音である。気味が悪い。怖い。テントの中は今日はずいぶん暖かく感じられる。パッチの上下のせいだろうか。荷物にはなるが、寝袋がスリーシーズン用だからこうでもしないと寒くて眠れないのだ。外を覗くのが怖い。だけどおしっこはしたいし、しないと眠れない。例によってテントの入り口に立つ。なんと外は満天の星である。強い風が空気をきれいに掃き清めてくれているのだ。枯れた木々が黒々とシルエットになって音を立てている。ひと知れない山の生態を垣間みた、そんな感じである。

 お湯を沸かし紅茶を飲む。たばこを一服。残りのお湯をテルモスへ。一息いれた後、これからが眠れない。輾転反側。風の音。山上ヶ岳へ行ったおじさんのことも気になれば、こんなところへ来てしまった自分もまた情けなくなってくる。夜、一人のテント泊りも何度か経験はあるが、いろんな不安がよぎってしまう。 「明朝稲村の頂上へはいけるだろうか? それよりちゃんと下りれるだろうか? 雪解けまでここにいようか。いやだなあ」
 去年の十一月氷の山へ行った時のことだ。氷の山越えのしっかりした小屋で泊まったのだが、その時も寒くて仕方がなかった。それに今日のような強風であった。不安で仕方がなかった。
 「なんでこんなところに来てしまったのか」、家ではみんな暖かくしているだろうに。「明日ちゃんと下りれるだろうか?」そんな不安に付きまとわれる。山の夜は怖いものだ。夏の北アルプスのように人が多ければそんな気にもならないが、大峰あたりはまだ森の中だし人はいないし、動物の気配に耳を澄ますこともしょっちゅうである。
 経験的には風の強い時は星がきれいだ。逆に静かな時はガスっている。何にも見えない。ヘッドランプで照らしたってはねかえされてしまう。そういう時は漆黒の闇である。山はけっして静かな時ばかりではない。むしろうるさくて仕方がない、そんな時のほうが多いのではないか。

 六時前に目が覚める。紅茶、パンで朝食。おおざっぱな整理をしているうちにテントの奥に光が射してくる。朝日が上がったのだ。気温も零度近くまで上がっている。意を決して外へ出る。ブナ林の向こうに朝日。アイゼンを履いて幾分か硬い雪を踏みながら大日のへつりに向かう。もっとも緊張する所だ。昨年よりか雪は多い。朝早いせいか雪はまだ硬い。向こうへ渉ってしまったら後は楽勝だと思って、昨年の記憶と昨日の踏跡を頼りに稲村の頂上に向かうが途中から昨年とは道が違うのに気が付く。ここを直登したはずなのに、踏跡がない。踏跡にしたがったつもりで巻いて行くと今度は踏跡そのものがなくなってしまった。先の方を見ると何とはなしに夏道の気配なきにしもあらずである。アイゼンで斜面を切りながらやっとトラバースを終えて尾根に出ると、看板があった。人工物になぜか安堵させられる。そこから少し引き返すと頂上の展望台へ。
 写真を撮ったりした後、さっきの道ではなく去年のように真直ぐ下りようとするが、踏跡は尾根に沿ってある。それについて行くと剣をつきたてたようなモニュメントにであった。修験者たちの回行のひとつであろうと思われる。去年の雪の中を直登したのはたぶん間違っていたのだ。更に尾根伝いに行くと視界バッチリのピークにでた。猛烈な風である。ストックで風除けの体勢に入る。ここで吹き飛ばされたらいつになっても発見されないだろう。急な下りを下りると、大日の登り口のあたりに出た。
 「なんだここから直登すれば一番早かったのか」なにせ雪のない時はここまで着たことがないのだ。いずれにせよ滑落せずに、アイゼンを引っかけずにここまで何とか行って帰ってこれた。
 大日は昨年も登っていない。昨日のおっちゃん、何とか登れました、と。挑戦してみるか。時間はある。危ない所もあった。急登もあった。すべて雪の中である。あと少しで、頂上かと思われる急登をつめると、雪の中から鎖の付け根が見えている。そこまで来ると、右の潅木をつかんで攀じるのか、左へ五、六歩トラバースして痩せ尾根にあがるのかわからなくなった。どちらを取るにしても正直、気持ちが震えた。登れても下りる時危ないに違いないのだ。私の力量にあまる。無理はしないほうがよい。へたをすればとり返しがつかない。引き返す。これが私自身にとっての、正直なかつ最善の判断であろう。ここまででもちょっと深追いの感ありなのだ。おそるおそる、しずしずと元の道を引き返す。そして再び緊張しながら大日をむこう側へへつる。きのうのおっちゃんのように途中でつららを折ってがりがりとかむ。

 テントに帰り撤収、下山の準備をしていると三人組みが顔を覗かせる。九時、ずいぶん早いお出ましである。  「いやあ、昨晩から来て車中泊ですわ」
 一回の山行で怖いことを何度も経験したくはない。予定では、レンゲ谷を下りるつもりだったがこの分だと雪はまだまだ深いだろう。自分の力量からすればNoである。昨日の道を普通にかつアイゼンを着けて下りて行く。日曜日のこと、いくつかのパーティーが登ってくる。昼前やっと林道に下りる。
 家での水割り用に「ごろごろ水」を汲み、洞川温泉を抜け、天川河合から左へ曲がり、役場の駐車場を下見。弥山、八剣へ行く時の駐車場のメドを立てておきたかったからだ。役場の駐車場、OKだ。