吉野から山上ヶ岳―
3月9日(土)
近鉄吉野駅を出たのが8時半だった。
つづれ折りの急坂をあえぎながら登る。快晴、無風、温暖。汗が噴出す。ひさしぶりに16キロを担ぐ。横川覚範の碑で9時半。セーターを脱ぐ。テルモスのお茶をひと口。
懸案だった吉野から洞辻茶屋までをやる予定である。ここを埋めておけば、奥駈は最後の玉置山から本宮が残る。これをみんなでやって風呂に入ろうと言うことになっている。だからそれまでになんとか今回のコースを埋めて、心おきなく一緒に風呂に入ろうと言う算段である。
上に行けばまだまだ雪は残っていそうだから防寒対策にマットは広いのと細長いのとふたつ。シュラフカバー、それにテルモス。気温は高そうだからアイゼンは持って来なかった。
吉野水分神社を過ぎ、倍金満教授が電線音頭を熱演した懐かしの高城山を巻き、西行庵の分岐を左の山道へ。高見山の優美な姿が見えた。女人結界の道標を過ぎる。ここから初めての道になる。青根ヶ峰の下を通ると林道に出た。すぐ右に「人為…」の碑が立つ広場があった。10時35分。ここで小休止。
アスファルトの林道をトラックが走り抜けた。すぐ右に登山道の分岐があった。日のあたらないところには雪が残っている。くきっくきっと雪の感触を味わう。このシーズン雪の上を歩くのは初めてなのだ。新しそうな踏跡がひとつあった。けっこう大又である。
そうこうするうちにまた林道へ出た。なんだ、さっきの林道を歩いてればよかったのか。
しばらくすると、山上ヶ岳方面の登山道入口の標識があった。階段を登り林道と別れる。
ひさしぶりの重たい荷物のせいか、まず左のふくらはぎがつりそうになった。次に右のふくらはぎがつった。「やば」。おさまるのを待ち、ゆっくりと歩き始める。日当たりのいいところでお昼にする。11時40分。カップのうどんだ。「なになに、沸騰したお湯でまずうどんをかき混ぜてお湯を捨てる。さらに沸騰したお湯にうどんを入れ、具、調味料を入れる。うーん、けっこう水を使うんだ。しもたな…」
上へ行って水場があればいいんだけど。なくても雪を溶かせばいいか。
パンをかじりうどんを食べて結局30分ほど休んだ。すぐ下を林道が走っている。ヘンな気分だ。
日当たりのいいところは雪はない。南斜面の杉が伐採されてハゲ山みたいになっているところがあった。切り株に腰掛けて一服。
踏跡は四寸岩山への分岐、新茶屋跡で途絶えてしまった。僕はそのまま巻き道を歩く。鹿らしい足跡が僕の案内である。
13時35分、四寸岩山の尾根と合流する足摺の宿で再び踏跡があった。
14時10分。道はいったん林道と出会う。百丁茶屋方面との分岐点だ。ここで小休止。
14時30分。百丁茶屋跡。ここから踏跡は大天井へ向かったらしい。
そうか、先行者は四寸岩山、大天井と登ったのか。大又で比較的しっかりした踏跡だった。無駄がないと言えようか。
僕は大天井もパスする。時間をみるとどうも今日中に洞辻茶屋までは行けそうにない。五番関で幕営することになりそうだ。
巻き道は再び鹿の足跡しかない。スパッツを着けるほどではなかったが北斜面の雪はさらに深くなった。靴を蹴りこみ足場を確かめながら慎重に歩く。滑れば谷まで落ちてしまう。けっこう緊張する。南斜面の、雪はまったくなくロープが張ってある20メートルほどの急斜面があった。上を見れば大きな岩が今にも落ちてきそうだ。岩なだれが来たらひとたまりもない。ロープがあり、かつ疲れもあり、幾分気が散漫になっていたのかもしれない。ロープをつかんだ瞬間大きく谷側に体が振られてしまった。ロープを掴んでいたからよかったようなものの僕自身がなだれるところだった。雪が付いてたらとてもじゃないが通れない。くわばらくわばら。
15時25分、小休止。
沢があった。ラッキーだ。ここでポリタンを再び満タンにする。テルモスのお茶を飲んでしまい、これにも水を汲む。飲んでみるとめちゃ冷たい。頭の芯がつんとした。
沢の水が周りの雪を凍らせていて、カッチンチンになっている。どこに足を乗せても滑りそう。ストックで様子を探り、こう行って、こう行ってとやっとのことで向こうへ渡った。いい加減疲れてしまった。
大きな岩につららが何百本となく垂れていた。決してオーバーではない。
写真に撮り、一本を折ってかじる。
16時45分、やっと五番関に到着。女人結界門の前が平坦地になっていて浅い雪を踏みテントを張る。
ここから大天井へも行けるらしい。改めて地図を見る。こんな怖い思いをするぐらいなら大天井の稜線を歩いたほうがよかったかな。ま、そんなことを言ってもしかたがない。
そう言えばあの比較的新しい踏跡の本人には会わずじまいだった。大天井から引き返されたのかもしれない。結局誰にも会わなかった。
さっき汲んだ水を沸かしお湯割で飲む。御飯は例によってカレーと味噌汁。残ったお湯をテルモスに。
シュラフにカバーをかけぐっすりと眠る。
3月10日(日)
5時前に一度目が醒めたが、まどろんでいるうちに6時半になった。今日も快晴だ。
テルモスのお湯を再び沸かし紅茶とパン。
7時半に出発。鍋冠行者を8時10分。今宿茶屋跡の手前で背後から足音が聞こえた。
五番関から上がって来られたのだという。
僕よりずいぶん速そうだ。僕は今宿茶屋跡で一服。8時35分だった。
地図によると、ここから洞辻茶屋間に危険マークがある。なんせ初めての道だからどのように危険なのかがわからない。
急斜面にロープが何本も張ってあった。そのロープを掴みながらよじ登る。見上げるほどの急登で、雪の中に足場を探すけれど、雪の下の岩場が凍ってつるつる滑る。ロープを掴んで登ろうにも足場が滑る。困った。左へそれて足場を探しやっとのことで這い上がった。「やれやれ」
そこを過ぎるとあとはうららかな陽射しを浴びながら早春の山歩きである。洞辻茶屋の屋根が見えた。9時35分。
「ふうっ」
ここまで来れば当初の目的は達成したことになる。タバコを吸いながら山上ヶ岳への道を見やる。思ったより雪がない。いつだったか息子と来たときはここまで来るのがやっとだったのに。
ザックを置いて、カメラだけ持って空身で「まあ、行けるところまで行ってみるか。階段を登ればいいんだし」
気楽な気分で歩き始める。僕はひょっとすると、本宮での混浴を想像しながら歩いていたのかもしれない。
もはや一人の下山者に会う。
だらすけ茶屋の通路には雪が吹き溜まりになっていた。わらじはきかえ所を右の階段へ。左の巻道はとても通れない。
階段を上がり鐘掛岩へ。洞川の集落が小さな盆地にひしめいているのが見える。
今宿茶屋の手前で会ったお兄さんももはや下りている。
開口一番「あそこのロープのところ、めちゃ怖かったわ」
「そうでしたね。僕も、あそこ下るの危険だから洞川へ下ります」
その後、単独行の二人に会う。二人とも年配のおじさんだ。達者なものである。
大峰山寺の門の左にこんな文字が書かれていた。
「身口意三業を整え参入召されよ」
「おっと」
僕は大きく深呼吸をし、邪念を払い、門をくぐった。10時40分だった。
お花畑からの稲村、大日はまだまだ白かった。
引き返すと、お寺の上には真っ青な空があった。
洞辻茶屋へ引き返し11時半。昼食。13時に清浄大橋。
ごろごろ水のあたりまではまだ凍結していた。
ごろごろ水は相変わらず人でいっぱい。
広い駐車場が出来ていてそこにも汲み場が作られていた。僕もポリタンを満タンにする。
やっと洞川温泉に着く。14時。観光案内所で、バスの時間を確認する。15時55分。
ゆっくりと風呂に入った。
焼酎の残りを水割りで飲み、パンを食べたりしているうちに、カメラがないことに気がついた。「あれ? あれれ? どこで忘れてきたんだろう。困ったなぁ…。洞辻茶屋かな? まさかいまからあそこまで取りに行くわけにもいかんし…。ごろごろ水やろか? 新たに買うにはちょっと痛いしなぁ…。しょうがない。交番所に届けておくか。たしか豆腐屋のそばにあったはずだ」
そう思って、ザックをバス停に置き重い足を引きずって豆腐屋のそばまで行くと交番所がない。建替え中だった。「あらま」。橋を渡り、おばさんに尋ねる。すぐそばにあった。
「すみませ〜ん、カメラを」と言いかけたら、机の上に僕のらしいカメラが目に入った。
「いやあ、僕も今帰ってきたところなんやわ。向かいのおばさんが預かってくれてた」
「で、どこで忘れたの?」
「はい。洞辻茶屋か」
「えっ?」
「ごろごろ水やったかもしれません。あそこで水汲んだから」
「うん。堺の女の人がそこで拾わはったんやて」
「よかった〜」
お名前もお聞きしたが、残念ながら住所がわからない。
帰りのバスは、広橋林道の中を通った。梅林で有名らしいが僕は一度も通ったことがない。たくさんの梅の花はさすがに見事だった。僕は子供のように窓外に身を乗り出すように見入ってしまった。