清水の頭、釈迦ヶ岳―円遊会2002  (Apr.13/14, 2002)


 誰にも言わず、胸の中に宝物のようにそっとしまっている想い出がある。
 一方で、忘れてしまいたい、できることならなかったことにしたい、時計の針が巻き戻せるように時間を戻してあそこからもう一度やり直したい、仕事やプライベートを問わず、そんなことのひとつやふたつ、三つや四つは誰にでもあることだろう。悔いと言う心の痛み、それもまた誰にも言わず一人でじっとこらえて日々を過ごしているのだ。時間は戻りはしない。本意ではない覚悟をしなければならないことほどつらいものはない。
 僕は、解決のつかない鬱屈とした思いのまま、この円遊会に合流したのだった。

 総勢16名で、奈良教育大学の演習林を登る。申請しないと入れない。円さんが段取りしてくれたのだ。気心の知れあった山仲間である。歩きながら、休むたびに軽口を飛ばす。寒いギャグも快い。素敵な仲間たちだ。この仲間たちに紛れ込んで僕もずいぶん気が休まる。きっと誰もが鬱屈としたものを内包しているに違いないのに、そんなことを言ってもしようがない。山へ行くことは決して現実からの逃避ではない。インターミッションみたいなものだ。いいじゃないか。それで少しでも今の自分を客観的に眺めることができ、解決への糸口が見つけられれば。あるいは、気分が改まって仕切り直しであっても。

 鉄塔で昼御飯。さらにひと登りで清水の頭である。


 山を下りてさらに釈迦ヶ岳の登山口へ移動する。ここで幕営。
 晩御飯は、炭火で焼肉パーティ。酒もふんだんにある。すべて円さんの段取りだ。野菜を切るくらいなら僕にも手伝える。
 香田さんから、博多の麦焼酎「時代(とき)の忘却」の差し入れが。飲むときくらいは、時を、あるいは時代の制約を超えて桃源郷に遊ぼうの意かと思われるが、僕は冒頭に書いたような卑近な意味に解釈した。
 「ほんまや、忘れてしまいたいことがいっぱいあるわ」

 日が暮れて、宴会がはじまる。さらに酒を飲み、肉を食う。
 円さんがギターを弾き始める。曲は70年代フォークである。きょうの参加者のほとんどが若者であった時代である。知っている曲ばかりである。一緒に口ずさみながら、僕はついに感極まって泣いてしまった。泣き上戸ではなかったはずなのに。
 僕は先に寝袋にくるまったけれども宴会はさらに続いたようである。

 翌日も好天。荷を軽くして釈迦ヶ岳へ。ゆるやかなブナ林の稜線を歩く。
 ピークを踏んだあと、大日へ向かった5人を待つ間、古田の森を下ったあたりの平坦地で昼寝をした。やさしい陽射しにつつまれ、本当に眠ってしまった。誰かが言っていた。

 「ああ、もう帰りたくない。このままずっとここにいたい」と。







RINちゃん:春の円遊会 2002年4月13日〜14日
milionさん:祭りのまえ 釈迦が岳オフ−1 =奈良教育大演習林から清水の峰=
milionさん:祭りのあと 釈迦が岳オフ−2 =釈迦が岳から大日岳=
DOPPOさん:No,322-1 清水の峰(1186.2m)奈良教育大演習林内
DOPPOさん:No,322-2  釈迦ヶ岳(1799.6m)と大日岳 大峰南部の主峰
円さん:第二回春の円遊会(奈良教育大学演習林と釈迦ガ岳)
HAMAさん:奈良教育大演習林(標高1186.2m)&釈迦ヶ岳(1799.6m)
第2回春の円遊会
森の音さん:春の釈迦ヶ岳でお昼寝