弥山―残りの花 (July 13/14, 2002)

 知恵熱、石、雨、会議等々でしばらく遠ざかっていた。
 オオヤマレンゲはどうだろうか?
 残りの花でいい。まだ咲いていれば。

7月13日(土)

08:15
 天川村役場のグラウンドを横切る。雨はいまのところ大丈夫。山道に入るとまるで蒸し風呂だった。風もない。雨上がりの樹林帯の中は湿度100%だ。15分もすると、体中から汗が噴き出した。急ぐことはない。一人なのだ。ゆっくりゆっくり。鉄塔へ直登。汗だくの体に日が照りつけた。
 ふたたび樹林帯の中へ。巻道のふたつめの大きなカーブにある切り株でまず一本。一時間をすこしまわったところ。煙草が数本しかない。天川川合の交差点にはジュースの自販機はいくつかあったけれど煙草がなかった。しょうがない。
 そうだ、アミノバイタルを飲んでみよう。袋を開け、顆粒をお茶で流し込む。
 10分休憩。心なしか足も軽くなったか。ほどなく二本目の鉄塔。稲村、大日の山頂部には雲がついていた。山道に入らず、林道をそのまま歩く。山側の崩壊が激しい。土や岩だけではなく、木そのものが根っこからずり落ちている。崩壊するに任せて岩盤が露出するのを待っているのかもしれない。いずれ栃尾辻まで車で入れるようにする話も聞いたことがあるけれど、それはいかがなものか。それにしてもあちこちトンボだらけだ。いつかの夏、尾瀬の燧ヶ岳でもやたらトンボだらけだった。向こうの木の枝が揺れている。どうやら猿がぶら下がっているみたいだ。
 雲はずいぶん高く感じられた。風も出てきた。
 林道から階段を上がって再び山道へ。

10:40
 軽いアップダウンのあと栃尾辻。二本目。ここで突然風がやんだ。
 「やば、雨になるのかな?」
 それでも雲は西から東へ急いでいる。
 急登をあえぐと、「栃尾辻からナメリ坂間で熊の出没が確認された。ご注意を」と看板があった。
 平坦なブナ林へ。ここまで上がると、ふたたび風が騒ぎ、ガスも出てきた。この風のおかげで必要以上の汗をかかないのがよかったのかもしれない。アルミバイタルが効いているのかな? 汗でずぶぬれのシャツでむしろ寒く感じたくらいだった。たいして意味もなかったかもしれないが、まくった袖をもどしてボタンを留めた。

 尾根道を歩いたり、右へ、左へと巻きながらもう一段上の平坦地へ。ブナ林の中を一人で歩く。岩に腰掛けて三本目。狼平でお昼にしよう。ちょい遅がけだけれど。
 この道はいつも滅多に人に会わない。やや距離があるだけに日帰りは難しいせいか、このコースは人が少ない。ほんの少ししんどいけれど、僕はこの道が好きだ。何を考えるともなく、いきつ戻りつ、くりかえしつついろんな考えが脈絡もなく去来する。
 頂仙岳を巻くと、狼平までの最高地点になる。最高地点なのに平坦な散策道になっている。トウヒだかシラベだかの立ち枯れを通り過ぎると沢の音が聞こえる。狼平ももうすぐだ。橋が見えた。その橋の左手に白い花が。
 「あった、あった。まだ咲いてた」
 橋を渡ると山側にもいくつも咲いていた。

12:50
 小屋で昼ご飯にする。四本目だ。
 500mlのお茶もここで飲みきる。
 沢の水を2Lと500ml補給。
 小屋には、双門コースを昨日河原小屋に泊まったという二人組。名古屋からだそうだ。
 ご飯を食べ、オオヤマレンゲを撮る。花の香りを胸いっぱいに吸い込む。
 僕はこの花の匂いが好きだ。
 

14:20
 山頂が近づく頃には風はさらにきつくなった。弥山小屋の前には数人の登山客が。どうやら小屋泊りの客もいるようだ。
 五本目。
 国見覗きへ出ると、一頭の鹿が無心に何かを食べていた。僕に気がついたのかひょいっと頭を上げた。じっとこちらを見ている。僕もじっと見ていたら、再び下を向いて食べ始めた。写真に撮ろうとしたら飛んで逃げて行ってしまった。
 弥山から鞍部へ下りると、途中から木の杭が打ってありロープが張ってあった。なにやら道そのものにも覚えがない。鞍部まで下りてしまうと旧道へ出た。そうか、崩落が激しいので新たに道を付け替えているのだ。
 八剣へ登り返す途中にも丸太を階段状に補強されていた。
 オオヤマレンゲは茶色くなっていたのもあったし、開ききったのもあったが、つぼみもまだあった。
 僕は、何度も顔を近づけその匂いを吸い込んだ。みずみずしい甘さだ。

14:55
 八剣山頂。僕を追い越して行った小屋組の三人が下りて僕一人になった。
 視界がないのが残念だったが、こんな日ももちろんある。

15:15 
 明星よりに15分ほどの平坦地で幕営。
 「ふう」
 思ったより体力が落ちていなかったのがなによりありがたかった。風があり余分な汗をかかなかったのが良かったのかもしれない。アルミバイタルが効いたか。
 ピーナッツ、サンマの蒲焼き、白菜の漬物でウイスキーを飲む。六本目。
 「あらら、あと一本か」
 山ではなぜか酒がすすむ。時折雨か、木の葉に溜まっていた水滴が風で払われてテントを叩く。
 いつのまにか眠ってしまっていて気がつくと10時前だった。それからお湯を沸かし、ご飯を食べる。紅茶。最後の一本。
 なかなか寝付けなかったけれど、目を閉じていると考え事をしていたつもりだったのが、じつは夢を見ていたような不思議な経験をした。ふと我に返るといままでのことをきれいさっぱり忘れてしまっていた。
 「そうか夢だったのか」


7月14日(日)

 5時前にいったん目が覚めたがやたら体が重く感じられ再び眠りに落ちた。次に目が覚めたのが5時半を回ったところ。まずは一本。
 「あら? そうか、もうなくなっていたのか」
 吸い殻入れから少し長そうなのを選って、吸い口をぬぐい火をつける。
 お湯を沸かし余分に紅茶を作る。無理やりパン一個をほおばる。ぬるくなった紅茶を500mlのポリタンに。いったんコップに移してポリタンに入れるのだけれど、口がちっこいせいかぽとぽととこぼす。
 まだ寝ぼけているのか、撤収の段取りに手間取りつつも、6時15分。
 「さ、帰るとするか」
 さいわい雨ではなかったが、足元は濡れているからスパッツがわりに雨具をつけた。

06:27 八剣山頂。
07:00 弥山。アルミバイタル。
07:40 狼平。ここでも無理やりパン一個。水を汲む。再び、吸い殻入れから一本。
09:00 栃尾辻手前のブナ林で日が射して来た。またもや、吸い殻から。もう長めのはなくなってきた。やれやれ。
09:30 栃尾辻。休まず林道まで出た。来るときは林道を歩いたが帰りは久しぶりに山道を歩いてみよう。林道との出合でヘビに逢った。今回初めてのヘビだ。特に歓迎はしない。そう言えばイボガエルはたくさん見かけた。これも気色のいいものではない。

10:20 鉄塔。稲村からバリゴヤの頭まできれいに見渡せた。ウエストポーチには、アルミバイタルがもうひと袋。最後の下りがもっともしんどいから、ここでも飲んでおく。

11:30 天川村役場。
 天川川合の交差点で入念に自販機を見渡したがやっぱり煙草の自販機はなかった。車の吸い殻入れからまた長めのを取り出す。
 黒滝の「道の駅」に立ち寄る。まず煙草を買う。ジュースを買う。こんにゃくを売っているところにはめがねをかけたおばさんがいた。
 僕は遠くから先日はどうもと心の中でお礼を言った。