北の俣岳−黒部五郎岳−三俣蓮華、双六岳−笠ヶ岳(Jul.26/29, 2002)

 昨年、折立から太郎平、薬師沢、雲の平、三俣蓮華、双六と歩いたとき、次回は「黒部五郎を」と決めていた。また、昨年もあきらめてしまった「笠もぜひ一緒に」と考えていた。もし、今回もまた笠をあきらめることになれば、次回は何はさておき新穂高温泉から笠へまっすぐ登ることにしよう。

 結果として、好天の下、黒部五郎を通り、念願の笠ヶ岳のピークも踏むことができた。なかでも、黒部五郎のカールは素晴らしかった。
 三泊四日といささか長大なコースだったが、危険な箇所もなく、一人の山歩きを満喫できた。北アルプスは人が多い。一人とは言え、同じコースを抜きつ抜かれつで自然と会話もかわすけれど、やはり一人だからいろんな思いがぐるぐると繰り返し繰り返し脳裏をよぎる。
 僕の場合花に詳しいわけでもない。ただぼんやりと山道を歩くだけである。自分はいったい何をしにこの山道を歩いているのだろうとふと思ってしまう。


7月25日(木)

 先週末、半日遅れで白鳥組を追いかける予定だったが、やむを得ない用事で一週間遅れになってしまった。天気だけが心配だったが、あえて希望的観測を言えば、台風は勢力を弱めながらそっぽの方角を向いていたし、日本海の前線は太平洋高気圧のがんばりのせいか分断ぎみに見えた。富山、岐阜の週間予報も「曇りにちょびっと晴れ」から直前には「晴れ」のマークが大きくなっていた。
 「よし、行こう」
 僕は、木曜の昼間、富山地方鉄道に電話をして、富山−折立間のバスを予約した。帰宅途中、大阪−富山間のJRの切符、スーパーでパン、酒屋でウイスキー。帰宅してザックを作る。ざぶんと風呂に入る。水割りを飲み、晩御飯。汗が引いたところで着替えた。
 「どこ行くの?」
 「あれ? 言ってなかったっけ?」
 僕はホワイトボードに、「折立−北の俣岳−黒部五郎−三俣蓮華、双六−笠ヶ岳−新穂高温泉」と書いた。

 発車30分ほど前に大阪駅に着く。車両の乗降口にはそれなりの列が出来ていたが、まあこれなら座れるだろう。僕は一番端の1号車の列に並びザックを下ろした。下ろしたとたん、ブチッと音がした。ザックを高い位置で担げるように、ザック本体と肩を通す所とを結んでいるストラップの左肩の部分がザック本体の縫い目のところで切れてしまったのだ。
 「あちゃー、これやったら行かれへんわ。帰ろか」とも思ったが、かつても似た経験がある。ザックに通していた黒いストラップのひとつを抜き取り、天袋に付いているリングと肩のリングを通して、左右が均等になるように長さを調整した。
 「よし、これでなんとかなる」

 「北国」は、23時26分大阪を出て04時26分に富山に着く。比較的良く眠れた方かもしれない。
 富山地方鉄道バスの運転手さんの話では、北陸もつい先日梅雨が明けたとのことである。バスに乗っているうちに朝日が昇る。遠くの山が雲ひとつなく見渡せる。


7月26日(金)

07:10 折立
 パンをかじる。二個目は無理矢理ほおばった。太郎に水はあるのだから、お昼までの登りの分だけあればいい。暑そうだから、すでに持っているお茶と合わせて1.5リットルになるように水を汲む。帽子を水に浸す。薬師岳の愛知大学13人の遭難碑に手を合わせ、7時40分、山道にとりつく。
 後ろか来る人たちに道を譲りながらゆっくりと登る。一時間ほどで大きなトチの木の根っこで一服。1870mの三角点まではそう遠くないはずだ。そうだアルミバイタル。
 ほどなくその三角点。大勢が休んでいる。左には剱が見える。小高いピークを二つほど過ぎればあとは森林限界の上である。じりじりと照らされながら左に薬師、目の前に太郎平、その右にたぶん北の俣岳への稜線なのだろう、きれいに見える。振り返れば有峰湖。

11:30
 何度かの小休止を経て太郎平へ。初老のご夫妻がベンチの端を譲ってくれる。奥様の方が隣りだったせいか、いろいろ話をされて、それがまたけっこう詳しいのだ。
 席を外されたとき御主人と話をすると、地元の方だった。
 「お近くでうらやましいですねぇ」
 御主人幾分照れぎみに、
 「じつは、初めてなんですわ」
 察するに、奥様の方が活発で、御主人はそれに促されてご一緒されたのではないだろうか。

 ビールを飲みながら、ここには水があるので、まずスパゲティをゆがく。独りで食うにはちょっと多かったけれど。
 これから、北の俣岳を経て黒部五郎、三俣蓮華、双六方面へ。初めてのコースである。
 いちおう明日の幕営予定の双六のテン場までの水を3.5リットル担ぐ。
 ゆったりとした広い尾根道を一時間も歩いたろうか。ザックを下ろし草場に寝転がるといつのまにか眠ってしまっていた。気がつくと2時半。
 北の俣岳を越え、ガラガラの岩場の赤木岳山頂を巻き、たぶん中俣乗越の手前の小さな鞍部の平坦地で5時になった。

 ここで幕営。正面に水晶を眺めながらウイスキー。眼前には緩やかな広い草原。谷を挟んで雲の平。
 お腹いっぱいになって、晩御飯も食べずにヘッドランプも要らないうちに眠ってしまった。


7月27日(土)

04:40
 目が覚めると朝焼けの空が美しい。太陽は水晶から昇った。
 それほどお腹は空いていない。5時25分。撤収後すぐに歩く。正面に黒部五郎。ちょうどカールの裏側から見ていることになる。
 中俣乗越へ下り、潅木帯の登りで朝ご飯にする。風をよけられるのでお湯を沸かしコーヒーを入れる。じつに美味かった。脳みそがしゅわしゅわする。ザックの中で細かく割れてしまったバタートーストをひとかけらずつ口に入れる。缶詰のフルーツを食う。
 「さて、あとひと登りだ」
07:45
 黒部五郎の肩に着くと、カメラマンが二人撤収中だった。
 「頂上まですぐだよ。ザック置いて行けば」
 山頂をまたいで稜線沿いにも小屋へ行けるし、いったん肩まで引き返してカールへ下ることもできる。
08:00
 進言にしたがって空身で山頂へ。昨年来念願の黒部五郎岳の山頂に立った。
 昨年歩いた雲の平、三俣蓮華からこの黒部五郎がそのでかいカールとともにずっと見えていた。来年はぜひこのコースをと思っていたのだ。
 山名板の向こうには、明日行くであろう笠ヶ岳が見える。笠は気品のある山容だと思う。
 これも昨秋、DOPPOさん、森の音さんと明け方平湯から見たときそう思った。
 
 肩からカールへ下りると雪渓がまだ残っていて、そこから冷たい水が流れている。
 ザックを下ろし手に掬う。
 「ふう、冷たい」
 両ひじにかけ、そして顔を洗った。両手に掬い飲む。
 「うまいっ」
 頭の奥がしんしんする。改めてコップに掬う。
 カールは巨岩、さまざまな花を配し、自然の庭園をなしている。雄大でケレンがない。
 断言するが雲の平の比ではない。
 先のカメラマン氏は三脚を立て、撮影に余念がない。
 すこし休みすぎたか。再びザックを担ぐ。もうすぐ黒部五郎小屋の手前にもう一本沢があった。ここで上半身を脱ぎ体を拭く。
 汗に濡れたTシャツもあっという間に乾いてしまう。

10:30
 黒部五郎小屋着。
 じつは、カールでふんだんな水が取れることも知らなかったし、この小屋にも地図には水マークがあったけれど、天水だったらまずいからと思って太郎で3.5リットルを汲んだのであるが、杞憂だった。沢から引いているのであろう、美味しい水だった。
 早めの昼食にラーメン。

 三俣蓮華へは小屋の裏から樹林帯の中へ入るけれど、ぼんやりと歩き出してテント場まで行って「おや?間違えたかな?」と引き返した。そのテント場にも沢から引いた水が溢れるほど流れていた。
 樹林帯の急登はさすがに疲れたけれど稜線まで上がってしまうと、三俣蓮華、双六への稜線が眼前に見える。アルミバイタル。
 
13:30
 三俣蓮華山頂。
 ここからは黒部五郎の、そして鷲羽のカールも見える。
 薬師、雲の平、赤牛、水晶、もちろん槍ヶ岳、穂高も見える。

 この頃になるとさすがに疲れてきた。三俣蓮華を下りきると雪渓から冷たい風が渡ってきた。
 「ああ、気持ちいい」
 ゆっくりと休む。
 
15:20
 双六岳山頂。
 ここではついに靴を脱いで大休止状態である。
 きょうはここを下りるだけだから急ぐ必要もないのだ。

 誰もが下りた後、広い尾根をゆっくりと双六小屋へ。

16:35
 双六小屋。
 まずビール。テントは池のそばに張った。
 麻婆春雨で晩御飯。ここでもヘッドランプの必要なく、すぐ寝てしまった。


7月28日(日)

05:35
 こうやって、日付を書いているけれども、山に入ってしまうと、今日が何日、何曜日なんてあんまり気にならない。まさに山中無暦日。
 二個目のパンをむりやりほおばり、出発。
 樅沢岳から派生する尾根を巻き終えると、左に槍、穂高がバンと見えた。おそらく蝶、常念からよりも近いのかもしれない。
06:35
 鏡平の分岐を過ぎたことろで一本。
 双六から樅沢岳への急登のあとをたどるとしばらく若干のアップダウンが続き、それからぐっと槍へ突き上げる西鎌尾根が見える。地図を見ると千丈沢乗越からがきびしそうである。「いつかはきっと」と思ってしまう。













 その先の雪田のそばに雷鳥がいた。小さな子供が数えると5羽いた。
 「あの雪田に乗ってくれるといいんだけどね」

 この頃から10人くらいのパーティと抜きつ抜かれつを繰り返すことになる。
 彼らが休んでいる脇を抜けるとき、からからに干された梅をひとついただいた。
 「元気が出るよ」とおそらく最年長のおじいさん。
 口に入れるとなんだか甘い。
 「甘いですね。砂糖をまぶしてるんでしょうか」
 「紹興酒に漬け込んでるから。梅も中国産だな」
 「紹興梅って言うらしいよ」とほかのおばさん。

09:00
 秩父平。ここも黒部五郎のカール同様、雪渓から水が流れている。絶好の休憩ポイントだ。沢へ行き、ここでもTシャツを脱ぎ体を拭く。
 
 じりじりと照らされながら抜戸岳の稜線への急斜面を登る。一歩一歩少しずつ少しずつ歩幅を狭めて、とにかく足を前へ出すことだけに専念する。稜線に出れば笠が見えるかもしれない。約30分の急登でようやっと稜線に出たと思ったらガスが出てきた。やれやれ。
 先ほどのパーティが休んでいる手前で僕も一本。和気藹々とにぎやかな人たちである。
 
 笠新道への分岐は従来より抜戸岳寄りに付け替えられていた。そこで11時10分。
 この頃からガスの切れ間に瞬間笠の山容が垣間見られた。
 彼らが再び「やあやあ」と追い越して行く。
 彼らが先で休んでいると、「やあどうも」と追い越して行く。
 小屋がすぐ上に見える平坦地の入り口で一服して「さああとひと登り」と歩き始めるとなんとそこがテント場だった。
 「なんだ。じゃあ、テントを置いて空身で行こう」
 ストックとカメラだけ持って岩の上をぐいぐいと登る。
 小屋で受け付けをし、バッジと缶ビール。

13:10
 10分ほどで笠ヶ岳山頂。 三度目の正直でついに立つことができた。あいにくのガスで視界は利かなかったけれど、一人で乾杯。
 
 時間も早いしぐずぐずしていると先ほどのパーティも上がって来られた。
 「写真撮っていただけます?」
 「もちろんいいですよ」
 「じゃこれで」「あ、このカメラでも撮って。これはデジカメ」
 「いいですよ」
 「俺のでも撮ってもらおうかな」
 
 テント場へ戻り設営を済ませ、すぐ下の水場へ。ここも雪渓の水である。冷たい。
 早めに酒を飲み明るいうちに食事を済ませると、ちょうどそこでガスのカートリッジが切れた。
 「あれ? もっともつはずなんだけどな? 新品を持って来たはずなのに?」
 いろいろ思い返してみると、「そうだった。先週、弥山で使ったのだった」
 仕方がない、明日は水で我慢しよう。

 振り返ってみればこの三日ともにヘッドランプが要らないうちに寝てしまった。
 きょうは早めに着いて早めに寝付いてしまったためか夜中に眼が覚めた。
 時々閃光が走る。雷か? 音はしない。小用に外へ出ると、遠くの空が時々光っていた。


7月29日(月)

 4時20分起床。撤収後4時55分。いよいよ下山である。朝なんにも食わないからすぐ撤収できる。
 笠新道を下っていると下の平坦地に、どうやら昨日のパーティが見えた。ずいぶん早起きだったんだ。こちらも急ぎはしないけれど、距離は徐々に近づいて来る。大人数のパーティになればなるほどペースは落ちる。ついに追いついた。
 「やあ、どうも。えらく早起きですね」
 聞くところによると4時には小屋を出たらしい。

 八王子から来たとのことである。
 「ああ、八王子ですか。八王子って坂が多いんですよね? じゃ、毎日体鍛えてるようなもんですやん」
 「山もあるしね」
 
 少し先で僕が一本取っていると、「じゃあ」なんて追い越して行くけれど、すぐまた先で休んでいた。
 「いいんですか? こんなに休んでて。日が暮れますよぉ」
 「羊羹タイムね」
 辺りを見ればきれいな百合の花が咲いていた。しかもピンク色である。
 「こんなにきれいな花が咲いてたんじゃ、撮らないわけにはいかないでしょう?」
 「これが八王子流」
 そんなこんなでにぎやかなことである。

 ところどころで下の堰堤が見える。
 周りがブナ林になる。
 もうすぐだ。
09:10
 登山口へ下山。「ふう」
 登山口脇の水場で手を洗い、顔を洗い。一服。
10:15
 新穂高温泉。風呂に入り、ビールを飲みながら、カンカン照りの下、濡れたタオルやシャツを乾かしていると、彼らが到着。
 「お疲れさんでした」
 「うん、帰りに御岳寄ろうかって話をしてたとこ」と最年長氏。
 達者なことである。

 僕は11時40分のバスに乗り、高山でビールを飲み、朴葉味噌定食を食べた。麦ご飯だった。何十年ぶりかだった。久しぶりに美味しくてお代わりをした。