高見山から明神平(Sept.21/22,2002)

 しんどかったとは言え、先週の馬の鞍峰から大台ヶ原をやってしまえば、台高縦走も繋いでみたい。きっと馬の鞍峰から添谷山までが核心部だったのだと思う。
 
9月21日(土)
 大峠(高見峠)に着いたのが8時50分頃。サンダルを靴に履き替え、手洗いを済ませ、明神平への入り口を確認した後、空身で高見山へ。地図には登り50分とある。これくらいなら往復しても水も要らないだろう。
 取りつきから急登だったが、空身のせいか足は軽い。33分で山頂へ。
 地図と実際の地形とを重ねながら、これから歩くルートを確認する。ずいぶん長そうである。
 峠へ下りてザックを担ぎ、10時15分、山道に入る。明神平まで約5時間だろうか。時間は充分にある。急ぐことはない。道は穏やかだ。雲ヶ瀬山はいつのまにか通り過ぎてしまったらしい。
 ハッピノタワとハンシ山の間で一本。尾根の左側では杉の伐採が行われていてエンジン音が聞こえていた。登山道脇にもいくつも新しい切り株があった。座れば樹液でズボンを汚しそうだ。ザックに腰を下ろしお茶を飲む。

 伊勢辻山で12時半。山頂はススキと赤とんぼだった。大普賢が見えた。
 先客二人がちょうどお昼を終えて立つところだった。僕はおにぎり2個。食べ終えて一服していると青年が上がってきて、そのまま国見方面へ向かって行った。
 さて、僕もと立ち上がり、下りかけると水無山が切れたところにあしび山荘が見えた。
 もう少し下ると、長い柄のついた鉈、腰にももう一本鉈を差したおじさんと出会った。
 「いやいや、お疲れさまです」

 先週、高見峠から二泊三日で大台の川上辻まで縦走したのだが、その時、歩きにくい箇所があったので、歩きやすいように道にはみ出した枝や草を払っておられるのだそうだ。 三連休なんだけど、明日は用事があるから、きょう明神平からこっちをやって、明後日の月曜日、明神平から向こうをやるつもりなのだと。
 「えっ、僕たちも先週、馬の鞍峰から大台まで二泊三日でやりましたよ。高見峠から? すごいですね〜」
 ひとなつこいおじさんで話がはずんだ。
 二人でやったんだけど、明神平で水を4リットルずつ汲んで行った。地図によっては水場の位置が異なるために探すのに苦労した。御座[山/品]の下りは往生した。「でしょ、でしょ、でしょ〜」と相づちを打つ。川上辻に着いたのが6時25分。暗くなって来るし、相棒が電池が故障してるからとさっさと歩く、電池の予備持ってるで〜って言うんだけど。 「池木屋から馬の鞍峰はどうでした?」
 「うーん、どうだったかな?」
 僕は内心、「そうだよね〜。なかなか覚えられてるもんでもないよね〜」と。
 事実、僕も先週のその馬の鞍峰から大台間でもしんどいアップダウンだけは強烈に覚えているけれど、地図を見ながらでもはたしてどこがどうだったのか途切れ途切れでしか覚えていないのであり、その覚えているところがごくわずかなのである。また、記憶の光景の前後関係も定かではないのである。

 釈迦ヶ岳の東の、小峠山、十郎山もなかなかいい。などなどと、話を聞いていると時間の経つのも忘れてしまいそうである。
 「じゃあ」と言って下りかけると、
 「あの〜すみません。小峠山と十郎山はほんとにいいですから。道をあらけときましたから、良かったらぜひ」と。
 あらけるとは初めて聞いた言葉のように思うが、どうやら今おじさんがやっているように道を整備する意味なのだろうと思う。僕は忘れないように何度も「小峠山、十郎山」と復唱しながら歩いた。

 伊勢辻山から国見山まではとても気持ちの良い道だった。伊勢辻山からススキの道を下りきると左側に小さな池があった。赤ゾレ山は登山道から少し登るけれど、次回いつ来るかわからないし時間もあるから登ってみると先ほど追い越して行った青年が休んでいた。きょうはここまでで引き返すのだという。なるほど、こういう山行も悪くない。
 馬駈ヶ辻の分岐から馬駈ヶ場へ。ここのススキもきれいだった。そうか、DOPPOさんがゆうてはったんはここのことか。

14:05
 国見山山頂はもう見慣れた光景である。明神平まではあとわずかだ。
 一服して、500mlのお茶を飲みきり、もう一本のもキャップを開ける。

14:45
 水無山から明神平までの急斜面を下りるとすでに三張りのテントがあった。僕は水場の上に張る。ここにもすでにひとつあった。シカが三頭きょとんとこちらを見ている。
 設営を済ませ、まず水を汲む。ピーナツをかじりながら焼酎を飲む。寝袋を枕にしばらくうとうととしていたようである。ご飯を炊こうとテントの前にガスを出すと、もうひとつのテントでも晩御飯中であった。「やあ、こんにちは」
 いつもだとレトルトのご飯かアルファ米なんだけど、先週の山行の気分がまだ残っていたせいか、今回は炊くことにした。何度かは経験がある。
 すこし焦げたけれど、まずまずである。カレーを温める。スープはコンソメ。
 ほんの少しだが、明日の朝のために残しておく。
 ヘッドランプが要らないうちに寝てしまった。

9月22日(日)
05:40 起床。
 ぐっすり眠れた。どうやら僕は普段の睡眠不足の解消のために山へ来ているのかもしれない。
 朝食は、昨晩のご飯の残りだが、おかずがない。味噌汁を持ってくればよかったが、在庫を切らしていた。お茶の残りがあったからそれで茶粥にする。
 テントもさらさらだ。朝露にも濡れていない。
 撤収して水を汲み、6時40分。昨日の道を引き返す。

 DOPPOさんと12時ごろ大峠で待ち合わせの予定である。DOPPOさんは高見山の北尾根を通って高見峠に下りるという。
 時間的には充分間に合う。急ぐこともない。
 水無山へ上がり、
07:20 国見山を通過
07:30 馬駈ヶ場
07:40 馬駈ヶ辻
08:10 伊勢辻山で一本。
 台高、大峰の山並みがまるで薄墨で描いたように、塁々と重なっている。
 大普賢の特異な山容も見える。

 緩やかな下りだから快調である。
 そう言えば、ここへ来る前の晩、MLでTVドラマ「白線流し」のことを書いた。酒井美紀のお父さん役が山本圭だった。
 かつて映画「若者たち」「若者はゆく」に出ていた。
 どちらも観たはずだけれど内容はよく覚えていない。田中邦衛、佐藤オリエ、そして山本圭も出ていた。僕は彼の長髪に憧れた。髪をかきあげる仕草がなんともかっこよかった。

 ♪君のゆく道は 果てしなく遠い
  だのになぜ 何を探して
  君はゆくのか そんなにしてまで

  君のあの人は 今はもういない
  だのになぜ 何を求めて
  君はゆくのか あてもないのに

 こんな歌詞だった。音痴だけれど、誰も聞いていないから遠慮がない。

 うろ覚えだが、その「白線流し」のドラマで、酒井美紀は入試の試験場に向かうときたしか病気気味のおばさんを放っておけなくて介抱するうちに時間に遅れてしまい、結局受験できずに浪人をすることになる。
 なぜ、彼女はそれにかかずらってしまったのか?
 僕には良くわかる気がする。

 ハンシ山を過ぎ南タワから雲ヶ瀬山への登りはけっこうこたえた。一本取ろう。登り切って少し下ったところでザックを下ろす。パンをかじりコーヒーを沸かす。時計を見ると10時を回ったところ。大峠まではあとわずかのはずだ。ずいぶん早く着いてしまいそうだ。そうだ、空身でもう一度高見山に登ってみるか。山頂でDOPPOさんを待とう。

 平穏な道を気持ち良く歩けば、なんだもうそこじゃないか。大峠に停めてある車が見えた。10時30分。4時間かからなかった。

 ゆっくりとひと休みしたあと、空身で再び高見山へ。展望台を過ぎた頃だった。上から良く知った顔が下りてきはった。
 「よう。えらい早いなぁ。僕も早く着きすぎたから山頂でのんびりしてたんや」
 「あのでかい山が迷岳でしたっけ?」
 「ちゃうちゃう、あれは三峰山や」
 なんて話をしながら峠へ戻り、ぐるうっと高見山を巻いてDOPPOさんの登山地点まで車を走らせた。
 「えっ? こんなとこまで入ったんですか?」
 「車でやぶこぎやで」
 「やれやれ」

 その後、僕たちは「あすかの湯」で汗を流して帰った。


DOPPOさん:No,341 高見山北尾根(台高山脈北部)