稲村ヶ岳敗退記 (Jan.25, 2003)
 前日の低気圧の通過は天川、洞川に更に雪を積もらせた。高気圧の端っこの緩やかな等圧線に覆われて土曜日は晴れマーク。ただし、予想最低気温はマイナス3度。道路の凍結必至の状況である。
 今朝6時33分のDOPPOさんからの情報では、新川合トンネルを抜けると「道路はツルツル」だと。
 「でへ.。も.うそこまで行ってるの?」
 僕はまだ自宅でトーストをかじってるっちゅうに。
 彼は今日は熊渡からナベの耳の難コースである。僕にはとてもとても。
 ホワイトボードに「稲村ヶ岳」と書き、「そやけど、道路は凍結もあるし、山も雪の状況次第やから、まあ、行けるところまで行って、あかんかったら引き返すから」と言い置いて、7時に自宅を出た。
 
 黒滝を過ぎたあたりから道路は凍結。車は軽く横滑りした。雪モードのスイッチを入れ、ギアもDから2へ、2から1へと落としていく。対向車線の車はチェーンなしで下ってくる。みんな四駆ってわけでもないだろうから、装着しないでも行けそうな気もした。新川合トンネルを抜け天川川合の交差点へ下る。滑らないように、ゆっくりと、ブレーキを踏まないようにじわじわと信号で停まる。
 洞川へはこの交差点を左折し、右へ左へと山を巻きながら幾分登る。ここを登れるかどうか? 不安はあった。
 チェーンを着けずに下りて来た軽自動車に合図をして状況を聞く。
 「チェーンなしで行けますかね?」
 「前駆か?」
 「ええ」
 「なんとか行けるんとちゃうかな」
 
 ほんの少し強気になってそのままうねうねと曲がる山道を登る。三つ目くらいのカーブを曲がった頃、下りてきた車と離合のためにそろっと左端に寄って車を停めた。それからアクセルを踏むと「ズルッ」と滑った。先へ進まない。ついに立ち往生してしまった。
 「やばっ」
 厚かましくも突っ込み過ぎたか。
 バックでそろっと戻りながら、カーブの広い道幅のところで端に寄せて停める。
 「しょうがない、チェーンを巻こう」
 とは言うものの、じつは今まで一度もチェーンを着けたことはない。駐車場で稽古しておかないといかんところだけれど、元来不精なのだ。
 取説をボンネットに広げ手順に従うけれど、それが正しいのかどうかもわからない。
 「こんなに弛んでてええんかな?」
 しまいに指先は冷たくなってくる。
 「あかん。こんなところでごそごそしててもあかん。洞川へは行かれへんわ。いったん引き返そう。そうや、和田やったらチェーンなしで行けるかもしれん。天和山へ行くか」
 と日和ってみたりする。
 そろっと車をUターンさせて天川川合まで戻る。
 「そや、役場の駐車場があるわ」
 そこに車を入れ、せっかくだからここでチェーンの装着をマスターしておこう。

 取説を見ながら巻くのだけれど、文章と写真とがどうも一致していないような気がする。
 自信がない。でもまあ、両方ともなんとか装着したので、役場の中を走らせてみて状態を再確認。弛んでるところを締めてもう一度試走。なんとか行けそうだ。
 
 こうなるともう一度あの洞川への坂道に再チャレンジだ。何とか登れた。虻トンネルまでの坂を過ぎるとあとは平坦。だが雪の量も増える。
 観音峰の登山口では10人ほどのパーティが橋に向かうところだった。
 洞川温泉を過ぎ、豆腐屋さんの前で停まり、二丁予約する。
 「稲村へ行くんやけど、ま、行けるとこまでやけど」
 なんて、言わなくてもいいことまで言ってみたりする。
 登山口にごろごろ水の取水場がある。そこに車を停める。
 こんな雪の中でも数台、ポリタンをいくつも並べてはる人がいるのだ。

10:05
 パンをほおばり、仕度をしていよいよ山道に取り付く。今年は比較的雪が多い。稲村はどの程度だろうか。どこまで行けるか。青空も一部に見えていたけれど雲の多い空模様である。

 11時頃だったか。もはや下山者がいた。若いお兄さんだ。と言っても僕よりやや下くらいかな。
 「どこまで行きはったん?」
 「法力峠から先へ行くとだいぶ深くなります。下りのこともあるので、あんまり突っ込んでも」
 「それもそやね」
 
11:15
法力峠を通過。好天ならばここから高橋横手の巻道を通るあたりまで稲村、大日が見えるはずなのだが、きょうは雲に閉ざされている。

 さっきの彼が言ったように、徐々に雪に足を取られるようになってきた。わかんらしき踏跡もある。潜り方がだいぶ違うようだ。
 山慣れたふうの年配の方が下りてこられたが、道を譲ってもらって挨拶をしただけだった。なんか話しづらそうな人だった。

 さて、上にはまだ誰かいるのだろうか?
 膝までの雪がついに股下まで潜るようになった。抜くのが大変だ。時間もかかるようになってきた。
 踏ん張っては抜き、踏ん張っては抜きを繰返す。ストックは地面に当たった感触もなくズボズボと深く潜ってしまう。
 上に何やら黄色いものが見える。
 「テントか?」
 近づくとツェルトである。中には人がいるようだ。
 「すみませーん。道の真ん中に」
 「いいよ、通れるから。どこまで行ったん? 小屋はもうすぐのはずなんだけど」
 「このちょっと先まで行きましたけど。もう雪が多くて」
 
 踏跡は谷に架かる橋で途切れた。
この橋を渡ったところで踏跡は途切れた。なんとか行けそうな気もした。

 「うへっ」
 橋を渡るとびっしり雪がついた急斜面をラッセルしながらトラバースすることになる。
 見れば怖いが、いざ踏み込めば緊張はするけれどさほどの怖さはない。ただ、ラッセルするから時間はやたらとかかる。20mほどを少しずつ踏みながらようやっとトラバース。
 「やれやれ」

12:45
 次の橋の手前で道は右の谷側をこそぐようにへつる。橋の向こうを見るとこれまたどっさりと雪がつまっている。
道は橋を渡って右にトラバースする。ついにここで敗退。小屋まであとわずかのはずなんだけど。

 「こりゃあ小屋までも無理かな? 時間も時間だし。引き返そう」
 手前のやや明るいところで昼ご飯にする。お地蔵さんの頭らしきものが雪の中からかすかに見えていた。
 巻き寿司とおいなりさんをほおばり、テルモスの熱いお茶を飲む。脱いだ手袋があっという間に硬くなった。ザックにぶら下げた温度計はマイナス5度。指先もかじかんでくる。
 えらく不器用に手袋をはめ、ザックをかついで引き返す。踏跡があればかなり楽だ。
 先ほどのツェルト組が撤収中だった。
 「やれやれ、すごい雪やね」

 とっとと下ったつもりだったが、あっという間に彼らに追いつかれてしまった。彼らはわかんを履いていた。
 
13:50
 法力峠。観音峰の展望台の枯れたすすきがよく見えた。

14:20
 母公堂。
 「ふう。なんちゅう雪や。結局アイゼンは要らんかったな」
送水管の継ぎ目から噴き出す水が徐々に凍ってこんなオブジェを作り出す。
洞川ではしばしば見かける。


14:40
 取水場に戻る。相変わらず数人が18Lのポリタンをいくつもならべている。
 「その水、営業用?」
 「いいええ、自宅で使うんですわ」
 「風呂とか?」
 「ちゃいます、ちゃいます。全部飲み水用ですよ」
 「あっそうなの。一週間くらい?」
 「ちゃいます、ちゃいます。ひと月はもちますよ」
 別のおっちゃんが、
 「日陰に置いとったら夏でもみ月はもつで」と。
 みょうに感心して、僕はテルモスのお茶を飲みきり、コーヒー用に入れる。
 
 エンジンをかけそろっと道に出たつもりだったが、チョークが効いていたのか頼みもしないのにスピードが出る。ブレーキをそろっと踏むと、あらら、車はすうっと横を向いた。
こんな道だもの。滑っても不思議ではないですよね。

 「やれやれ。こりゃあ、あの下り坂をうまくおりれるだろうか」
 豆腐屋の前で車を停め、二丁受け取る間に後続のトラックに手を振って待ってもらった。
 そろそろと走り出し、広い通りに出たところで後ろの車を先に行かせる。
 
 虻トンネルを抜け、いよいよ下りだと思ったら、陽射しの加減か、たぶん融雪剤を撒いたのではないかと思うが、雪はなく、天川まで難なく下りれた。
 再び役場へ。チェーンを外す。

 新川合トンネルでは、とろとろと走る僕を猛スピードで赤い車が追い越して行く。
 ナンバーに見覚えがあった。DOPPOさんやないか。
 黒滝の道の駅でそれらしい赤い車が目に入ったので、僕も右折する。
 「よお〜」
 「追い越して行ったでしょう。トンネルで」
 「なんや、郭公さんやったんか〜」
 コーヒーをごちになりながら情報を交換しあって帰路についた。
 
 と言ふ、今年の最初の大峰行であつた。