もう一度、稲村ヶ岳―クロモジ尾から大日の根っこまで (Feb.8, 2003)
前回(1月25日)、小屋までも行けずにあえなく敗退した稲村ヶ岳。もう一度行きたくなってわかんを買った。
DOPPOさんから、クロモジ尾を行ってみないかとお誘いを受けた。臆病者の僕は、
「怖いとこない?」
「大丈夫。ただし、ごっつしんどいけどね」と。
せきやんも行こうと言う。急遽オヤジトリオの変態、いや編隊を組んだ。
わかんを買ったとは言うものの、まだ袋の中。やっと取り出して紐の調整やら、紐の絞め方などをいちおう頭に入れて布団に入ったのが1時半頃だった。
おかげで顔も洗わずに自宅を飛び出したが、集合場所には10分ほど遅刻をしてしまった。
四駆のD氏の車でミタライ渓谷から左の白倉谷へ入るととたんに雪の量が増える。怖がりの僕はしっかりとシートベルトをつかんでいる。なんせ、ガードレールがないのだ。制御不能状態で為す術もなく川へ落ちてしまいそう。切り立った崖にはいたるところにシェークスピアの氷瀑である。
「DOPPOさん、よそ見したらあかんで」
クロモジ尾へは、植林したての若芽を鹿が食わないように仕切っている網のフェンス沿いに登る。いばらにちくちく刺さらないように登って行くと、どうやら先行者らしき踏跡があった。ただし、いつの踏跡かはわからない。ふうふう言いながら登ると「げっ」。
鹿の死骸があった。気温が低いせいか、死後間もないのか、まだ腐乱していない。
怖くて正視に堪えないけれど一方で怖いもの見たさもある。
ヌタ場らしきものがあり、死骸のすぐ脇にはコーヒー缶があった。きれいに腑分けされたようにも見え、また踏跡はここで途絶えていた。
おそらく猟師によるものかと思う。食える部分だけ腑分けをして持ち帰り、残りは放置され、いずれ鴉、鷲、鷹の餌食になるのだろう。
雪は徐々に深くなり、いよいよワカンを履くことになった。
S氏はスノーシュー。さっさと履いて「ほなお先に」
昨晩の稽古どおりに履いていると、「郭公さん、そら前後逆とちゃうか?」。
D氏のを見るとたしかに僕のと逆になっている。
「昨日の図の通りに履いてるんやけど」
「ま、行けんこともないか」
すると、一分も歩かない内に足元からワカンが外れ、足には紐でかろうじて繋がっていて、ズリズリと引き摺る仕儀となった。
「でへへ」
前後を逆にしてふたたび締め直すことである。
木々の切れ間から正面にバンと大日が見えた。ぐっと右に振ると奥には一段と雪を冠った弥山が見える。
見上げるような急登にさらに深く雪が付いている。
ワカンでも潜る。それでも、靴のままより三分の一くらいだろう。
「まだかいな、まだかいな」というほどの急登だった。
ようやくクロモジ尾を登り切って、稲村の小屋から大日へのルートに合流するとすでに踏跡があった。二人くらいか? まだ下っていない。この先のどこかにいるはずだ。
大日の根っこに来ると三人の登山者。
「やあやあ」
「どうします? 向こうへ渡ります?」
「いえいえ、きょうはもうここまで。なんとか行ってみようと四年越しでここまで来てるんやけど」
僕たち変態、いや編隊トリオも、「いや、行けるで」「あかんあかん」「いったん下ったらどないや」「大日に直で登ったらええんや」などなどかしまし娘である。
とりあえずここで昼食。
それからD氏は大日に登りだす。S氏は途中までへつる。
僕もS氏の跡を踏んでみる。手がかりのないところまで来るとやはり心もとない。
じわっとラッセルしてみると、足元の雪はさらさらと零れていく。足元がいつ崩れてもおかしくないほど心許ない。
「やっぱりあかんわ」
もう少し雪が締まってからでないと難しいようだ。
それがわかっただけでも来た甲斐があった。納得した。
下りの林道もずいぶん緊張した。運転しているDOPPOさん、お疲れさまでした。
つららや小シェークスピアやらを「わあわあ」言いながら見て下った。
凍結した林道といい、深い雪の急登。なかなか一人では行けない。だいたい林道そのものに僕の車では入れないだろう。
DOPPOさん:
No,360 冬のクロモジ尾から稲村敗退 (大峰中部) 大日山手前でお手上げ