大所山−青空に満開の雪の花 (Apr.6, 2003)

  大所山山頂



 前夜、腕時計のアラームを04:20から10分おきに04:50までセットしたのに、目が覚めたのは6時半を回った頃だった。外はもう明るい。
 「そうだ、大所山へ行こう」

 コーヒーを入れる間に歯を磨く。朝食は要らない。昨晩食べすぎた。途中コンビニで弁当を買うときパンを食おう。
 念のためにtenki.jpでひまわりの画像を見る。今日は晴れだ。

 久しぶりに一人の山行になった。
 車を走らせながら、「ちょっと肩こりがするなぁ」。

 道中、桜が満開だ。
 桜は夜桜に限る。妖艶。駅のプラットフォームがちょっとした桜並木になっている。
 夜、薄灯りの中で見るとなぜか欲情してしまいそうだ。そう思うのは僕だけだろうか。

 でも山桜は違う。雨に煙った朧な風情がいい。
 「あなたはそこにいるんですね」
 そんな気持ちにさせてくれる。もうしばらくするとその山桜が咲く。


 吉野を抜けて国道169号線を南下すると、川を挟んで左に白屋岳が見える。その山頂部は真っ白だった。金曜から昨日にかけて降った雨が大峰では雪になっていた。
 下多古で右折。林道を詰めると正面に青空を背景にまぶしいほどの真っ白な山なみが見えた。
 カメラは? ザックの中だ。
 フィルムは? まだ装填していない。
 仕方がない。自分の目に収めておこう。


 駐車場に着くとすでに3台。僕のあとにすぐもう1台。
 小屋の左に登山口を示す道標があった。

09:20
 道は昨日までの雨を含んで粘土質のためか滑って手を付きそうになる。暖かくなったのだからと冬用の手袋は持って来なかった。軍手をはめる。鼻水を拭くと石鹸の匂いがした。

 この登山道は比較的新しく付けられたようにも思われた。あとでわかったことだが小屋の右から林道が登っていて、その林道の終点でいま歩いてきた山道が合流する。
 もともとこの林道が登山道だったのだろう。その拡張工事のために臨時に付けられた山道を僕は歩いて来たんだと思う。
 その後、迷いそうなところもあったが、新しい踏み跡もあり、目を凝らせばテープもあり、なんとか道を外さずに麓のもやもやを抜けることができた。
 山道は登山者のためにだけあるのではない。本来、地元の林業従事者のためにある。
 僕たちは、その恩恵に浴しているにすぎないのだ。

 やがて雪道になった。気温が高いせいかずいぶん柔らかい。杉の葉に積もった雪が融けて大きな塊になり遠慮なく落ちてくる。
 上からにぎやかな声が聞こえてきた。五人ほどの熟年パーティである。

白鬚岳 稜線にて


 彼らを追い抜くとまっさらの新雪を踏んで、ほどなく稜線に出た。林業用のワイヤが通っている。ブナの木が青空に白い花を咲かせたようだ。
 東南にはすぐにそれとわかる孤高の白鬚岳。右奥にはさらに雪を被った大台ヶ原。ぐっと近くの南西の平らな山頂が山上ヶ岳だろうか。
 雪の重さに枝を垂れた杉の木の下をくぐる。藪をこぐ。

杉のトンネル 山頂にて


10:45
 平坦な山頂部に出た。大所山(百合ヶ岳)山頂である。

 今回の目的はもうひとつあった。距離としてはずいぶん長くなるけれど、できれば奥駈道にある鍋カツギ行者まで稜線を歩いてみたかったのだ。地図を見るとピークは10個ほどあるけれど大きなアップダウンはなさそうだ。引き返さなければならないから深追いはできないけれども、行けるところまで行っておきたい。
 鞍部に下りると雪はさらに深くなった。

 大所山から二つ目のピークは大きくゆったりとしていた。まさにおわんを伏せたような形である。
 さてどっちへ行ったものか。地図とコンパスを出す。どうやら南へ行けばよさそうだ。稜線もそのように通っているように見えた。テープもあったから安心して歩き続けているとがくんと落ちる斜面まで来てしまった。
 「待てよ。こんなに下るところはないはずなのに」
 木々のために見通しは良くなかったが、谷へぐんと降りるようだ。
 「これは違うな。引き返したほうがよさそうだ。このテープはいったい何だったんだろう?」
 おわんのピークまで戻り周囲を見渡すと、もうひとつ稜線があった。大所山から来た道からは鋭角的に右奥に曲がるような感じである。だからさっきはこの稜線を背にしていたのだ。地図ではせいぜい90度くらいなのだけれど。
 新雪をぐっぐっと踏んで鞍部へ降りる。尾根を外さないように心がけながらぐんぐん歩く。右には吉野から五番関への林道らしい線が見えた。
 「そう、これに間違いない。あとは時間がどのくらいかかるかだ」

岩場 赤いテープ

  気分良く歩いていくと、正面に岩場が立ちはだかった。これを正面からよじ登るのは容易ではない。右に巻いてみる。雪の上だからなんとも言えないが先を見ても岩場である。
 引き返して左を見ると、赤いテープがあった。そばまで行ってみる。でも、道があるのではなく、ここからだと比較的よじ登りやすそうな地点を示していただけのようである。登れても、また下らなければならない。下りは登りより危険だ。雪の中のことでもあり、無理はできない。仕方がない。引き返そう。

 再びおわんのピークに戻り少し下りて風を避けて昼ごはん。靴の中は雪が入って濡れている。じっとしていると冷たくなってきた。指先も同様。
 そそくさと食べ終え、大所山へ引き返す。

  大所山 おわんのピークより



12:35 再び大所山山頂。
 広々とした横長の山頂にブナ林。先ほども書いたけれど、見上げると青空に満開の雪の花である。

 あとは来た道を忠実に下るだけ。下多古と書かれた道標から稜線を下るのだが、その道標から僕はなぜか右へ右へとトラバース気味に歩いていたようだ。とくに気にもとめず下っているものとばかり思っていたのに再び稜線を歩いていた。つまりついさっき歩いた道を引き返していたのだ。それに僕自身が気がついていない。
 二人のパーティに出会う。内心僕はずいぶん遅がけから登ってきてはるんだなあと思っていた。
 「どちらへ?」と聞かれるので、
 「下多古へ下ってるんですけど」
 「えっ? 下多古へはこっちですよ? 僕たちも下多古へ下りるんですけど?」
 「えっ? ついさっき下多古の道標から下りてきてるんですけど?」
 「えっ? そっちは大所山ですよ?」
 「えっ?」
 要領を得ない会話であった。
 「ひょっとして登山口でお会いしませんでした?」
 「えっとね、9時20分でした」
 「やっぱり」
 「ああ、あのお二人でしたか」

 仕方がないから二人のあとをついて行くと先ほどの下多古を示す道標に出た。
 「あはは。ほんまや」
 薄ぼんやりしていたのか、何か考え事をしていたのか。
 目を凝らすと道はほぼまっすぐ下へついていて、テープもそのようについていた。

 雪道を終え、日当たりのいいところで一本。彼らが下りてくるのを待った。
 いくつか確かめておきたいことがあったからだ。

 どうやらおわんのピークから僕が最初に歩いた道を逆から登ってこられたようだ。
 「急なところで引き返した踏み跡がありましたよ」
 「あっ、それ、僕です」
 その道は、琵琶の滝手前から登る道らしい。
 五人の熟年パーティも僕の踏み跡についてその道を下りかけたらしいが、
 「雪の中、急でもあり危険だから引き返した方がいい」とおっしゃったそうである。
 「カメラをぶら下げた兄ちゃんと会いました?」
 「いいえ」
 「おかしいなぁ」
 そんな会話があったそうだ。
 そうか、それはちょうど僕が鍋カツギ行者への稜線を歩いていたときのことだ。

琵琶の滝



 「それにしても、思いがけない雪でちょっともうかった気分ですね」
 「ほんまやね。きれいやったね。昨日の雨はこっちでも雨やと思てたんやけど」
 「ほんとほんと。じつは僕もそう思ってました」

14:25 下山。
 まだ時間はあるので、空身で琵琶の滝まで。途中、彼らが登った分岐があった。道標もあった。なるほどここから登ればあそこへ出るのか。

14:45 琵琶の滝。

 帰途は吉野の桜帰りで少し渋滞したけれども、ちょっとグッドな山行だった。