仏生ヶ岳直登−大黒上尾より (May 3/4, 2003)

 仏生ヶ岳から東へ走っている一本の尾根、大黒上尾である。
 1804mの山頂から1500mくらいまでがかなり急で、p1470からp1307あたりは比較的緩やかだ。いったんがくんと下って、p1152の少し先までが再び緩斜面。このあたりから尾根はいわば熊手のようにいくつかに別れ崖石で林道と接している。
 大黒上尾を通って仏生への直登ルートもかなり魅力的なのだが、地図には道が記されていない。この尾根のどこかに登山口があるはずだ。


 5月3日(土) 晴れ

 5時に自宅を出て7時には白川橋を渡り右折して林道へ入る。10.6km地点で林道は分岐していた。右は砂利道で下っている。左は舗装道路で登っている。この左の林道は手元の地図にはなかった。「大黒溝
(ママ)谷保安林管理道」とあった。落石の巣みたいな林道だったが、それこそ管理が行き届いているのか道路の左右にきれいに払われていて難なく走ることができた。地図にない道であり、いささか不安もあったが、登っているのだからと構わずに上りきると一台の車が停まっている。
 「林道はここで終わりですわ。あとは砂利道。車では入れませんなぁ」
 「仏生へ行くつもりで来たんやけど」
 「私、釈迦ヶ岳へ」
 「え? そしたら道間違えてはるんとちゃいます? 一本早く曲がりはったんとちゃうかな?」
 地図を出して、
 「白川橋で右折してこの林道に入りはったんですよね。釈迦へやったらもうひとつ先の前鬼橋で右折ですわ」
 「じゃあ、気をつけて」と別れたものの、さてここがいったいどこなのか?
 おかげで高度は稼げたけれど、大黒構谷はすぐ下である。ここから大黒上尾までは相当距離がありそうな気がする。
 とりあえず、ザックを担いで砂利道の林道を歩く。途中で尾根に上がる梯子があった。
 しかし、ここから登っても見当違いのところへ行きそうな気もする。林道を詰めてもはたして尾根に上がる道があるのかどうか? 自信がない。
 「待てよ。さっき林道は尾根を横切ってたよな。あそこまで引き返してみようか」
 テントを持って来たことだし、時間は充分にある。
 いったん、尾根と林道の交差するところまで引き返す。
 「ここからやったら行けそうだ」
 林道から斜交いに山道に取り付きすぐ上の尾根に出て右に折れる。間違わないようにテープを巻く。すぐ上の小ピークから手前にひとつと、その先にも尾根が見えた。あとでわかったことだが、僕には大黒上尾が手前の尾根ではなく、その先のと勘違いしていて、
 「これやったらだいぶ歩かないと大黒上尾まで行かへんなぁ。ここから取り付くのは時間をロスしそうだし、ルート的にも複雑になるかもしれない。地図にある林道をもう一度走ってみようか。それからでも遅くはない」
 車に戻り、林道の分岐を地図にある砂利道へと下る。下った先は落石で塞がれていた。
 あらら。落石の先まで歩いてみると道そのものは問題なさそうだが、この落石を超えるのは無理だ。
 「よし」、と覚悟を決めて先ほど登りかけたところへ引き返す。
 初めてのルートでしかも地図には道が記されていないのだからこれくらいのロスは仕方がない。

ここを右に登りました。 右に大峰の主稜線。左下に林道。
石楠花開花 山頂直下の倒木と苔の世界


09:15
 「ここから行こう」
 尾根は先ほどの小ピークで分岐しているが、左は谷へ落ちている。右だ。下りで間違えないようにテープを巻く。この尾根に沿うと右にフェンスが張ってあった。フェンス沿いに登り、次の小ピークへ。たぶんここがp1152の北東にあるピークではないかと思われた。周りを眺めると、別の尾根が下っていた。ここを左へ。ここにも間違わないようにテープを巻く。切り株や倒木やらで歩きにくかったが、わりと平坦な道だった。左右は谷である。右に見える尾根。じっと眺めると、
 「なんだ、あれは。弥山、八剣、明星の大峰の主稜線じゃないか。と言うことはいま歩いているのが大黒上尾なんだ。なんだぁ・・・」
 左下に林道らしきものが見える。
 「あれ? これってさっきの林道なのかな? ってことは林道を詰めても来れたのか。なんだぁ・・・」となんだか間の抜けたスタートになってしまった。
 ヒメシャラだろうか、細い木の林になった頃赤いテープが見え始めた。
 彼らは林道を詰めて、ここらあたりからひょいっと尾根に乗っかったものと見える。
 でも、これでなんとか間違いなく大黒上尾を詰めていると実感できた。

10:15 p1307。
 隣の孔雀への尾根は3月、p1477.6まで行った。その上にp1551がある。それとの比較でおそらく今一本取っているピークがp1307であろう。
 緩やかに登りp1470。このあたりの尾根は石楠花の森である。満開時はさぞやと思われる。
 ここしばらく、僕にはどうしたものかと思い悩んでることがあって、その解決法が天啓のように閃いた。
 「なんだぁ、簡単なことじゃないか」
 いまさらながら自分の臆病さに気がつく。

11:30
 最後の急登を登りかけたところで一本。腹も減っていたので、休みついでに昼ごはんにする。もうあとわずかだし、急ぐこともない。
 隣の孔雀への尾根を見ると、p1551を過ぎ、いったん鞍部へ下りてからぐんと急斜面が登っているのが見える。
 「あれを攀じるのもひと苦労やろなぁ・・・。でも、いずれ行ってやるぞ」

 大黒上尾の仏生への最後の登りは倒木と苔の世界だった。尾根も広い。異なるパーティが巻いたものと思われるテープが右にも左にもあった。
 右へ行き、左へ行きつつようやっと倒木と苔の世界を抜けると広々としたいつもの大峰奥駈の風情である。奥駈道は仏生を巻いている。山頂を通らない。いつだったか12月に釈迦ヶ岳から楊子ヶ宿までを往復したことがあったが、気がつくと仏生を通り過ぎていた。だから、仏生は未踏のままなのだ。これでようやくピークを踏める。最後の高まりはすぐそこだ。

12:20 仏生ヶ岳山頂。
 まさか仏生で人に会うとは思わなかった。先述したように奥駈道からそれているからだ。でも、やっとピークかと思う前に、4人ほどのパーティが昼ごはん中で、「やあ」「やあ」と挨拶して、その後、山名板で仏生ヶ岳山頂を確認した次第である。
 話をお聞きすると、篠原の民宿で泊まり、七面山の登山口まで送ってもらい、七面からここまで来たのだと。その中のお一人に僕は見覚えがあった。
 「あの、人違いやったらごめんやけど、ひょっとしてHAMAさんのお知り合いの方ではありません?」
 「ええ、そうです」
 「やっぱり」
 それから、明神平、交野、夜行「北国」でお見かけしたことなどを申し上げる。
 いっぺんに打ち解けて、「きゅうりの漬物どうぞ」「お菓子どうぞ」「飲みさしやけどビールどうぞ」「おにぎりどうぞ」「記念に写真撮りましょか」などなど、賑わってしまった。明日は大普賢だそうである。
 気がつかないだけで、何人もの人たちにきっとどこかで何度もすれ違っているのかもしれない。

 お礼を言って奥駈道に下りる。
 仏生への直登を何とか終えることができ、次は水場の確認だ。
 テントは持って来たけれど、テン泊用の水はない。
 以下に、ひがやんが昨年の同時期、奥駈を熊野本宮から吉野へ向けて一気に完走された時の記録から引く。

> 孔雀岳までの岩稜地帯が終わり、西側の巻道をしばらく進んで再び尾根近くに出たところで今日の最後の水場である鳥の水に着く。16:38。

> 稜線上なので涸れていてもなんら不思議でないところだが、ここ数日の雨のお陰か、草地に突き刺されたパイプから水はしっかりと流れていた。
> 汲み直した水で茶を作ってから出発。17:10。


 僕は12月にこの道を往復したのだが、じつはこの水場に気がついていない。涸れていたのかもしれない。
 で、今回、この記録に頼ってテン泊用の水は持って来なかった。
 仏生から奥駈道へ下り、孔雀岳へ。
 不覚にも今回もこの水場に気がつかなかった。

八丁谷ではないかと思います。 孔雀岳山頂
鳥の水 釈迦ヶ岳


13:20 孔雀岳山頂。
 「道中、水場はなかったよなぁ」
 ザックを置いて釈迦ヶ岳の方へ歩いてみるがそれらしいところはない。引き返して孔雀周辺を見回すがそこにも見当たらない。奥駈道からそれているとも思えないのだが、涸れているのだろうか。ひがやんが歩いたのと同時期であるし、まだ雪解け水がある時期なのだしと思うけれどもないものはない。なければ、きょう下りなければならない。
 釈迦を越えて千丈平まで行けば水はあるにはある。時間もあるが、気が向かない。
 
 いささか意気消沈しながら孔雀から仏生へ向けて歩いていると道がやけに濡れている。右を見ると、ひがやんの文章どおりにパイプから水が流れていた。
 「あったぁ・・・」
 パイプは二本あった。しっかりとと言うほどでもなかったけれど、「待てば海路の日和あり」だ、ポリタンを据え煙草をくゆらすうちに満タンになる。もうひとつのパイプにも小さなペットボトルを据える。ほどなく2.6リットルの水が得られた。

 水が得られると、次は小峠山から孔雀への尾根が奥駈とどこで繋がっているのかを確かめたい。地図では孔雀岳山頂から仏生寄りになる。どうやら鞍部ではなく、樹林が生い茂っている高まりに繋がっているようだ。だいたいの位置はわかったが、ここという確証を得るには少し下らなければならないようだ。それより、p1477.6を経て登った方が早分かりのような気もする。これもいずれやる。
 
 意気消沈も束の間、「さあ、どこでテントを張ろう」。
 ほどないところ、仏生と孔雀の間のトウヒの倒木帯のなかに地面が柔らかい平坦部があった。ここからだと夕日も朝日も眺められる。時刻はまだ早かったけれど、
 「ここにしよう」。
 大普賢がきれいに見えた。

仏生と孔雀の間にある。トウヒの倒木帯。ここで幕営。 夜が明けた。
大普賢 奥駈道


14:30 設営完了。
 テントの中は暑いくらいだ。
 汗で濡れたシャツをテントの上に乗せ乾かす。靴下を脱ぐ。すっかりくつろいでしまった。これもまたテン泊の楽しみのひとつだ。
 明るいうちから飲みはじめ、寝袋を枕にしているといつの間にか眠ってしまった。気がつくともう日は落ちた後だった。「ありゃりゃ」
 そう思ったのも酔眼の一瞬だったか。またもや眠りこけてしまった。目が覚めるとすっかり真っ暗。おしっこもしたいしと外を見ると満天の星だった。靴を履くのも面倒だったからテントの前に立った。
 哀しいかな花の名前を知らないのと同様に星座の名前にも詳しくない。
 けれども、これほどのたくさんの星を一人で堪能できるところに僕はいまいるのだ。
 
 仏生山頂でいただいたあれやこれやのおかげもあってちっともお腹は空いてないけれど、明日のことも考えればやっぱり晩御飯は食べておいたほうがいい。
 まずお湯を沸かして紅茶を作る。これは明日用だ。外へ出して冷ましておく。
 もう一度お湯を沸かす。アルファ米に注いで約30分。残りのお湯でレトルトのカレーを温める。
 その間にまた焼酎を飲む。

 
 5月4日(日) 晴れ

05:00 起床。
 外はもう明るい。05:08 朝日が昇った。
 何をどうしたものか、寝起きの頭では整理がつかない。とりあえずお湯を沸かしてコーヒー。パンを一個、無理やりほおばった。
 「そうそう、シュラフを先にザックに入れないと片付かないのだ。それからマットを入れないと」
 おしっこに出たとき靴を履き、ついでに紐も締めてしまい、そのままテントに入る。
 シュラフを入れ、残りのあれこれをテントの外に出す。それからマットをザックに入れる。あらかた収納したところでテントを撤収。
 6時までに10分ほど余裕があった。倒木に腰掛け一服。
 もはや奥駈道を歩く人がいた。
 「おはようございます」

06:00
 楊子ヶ宿に新しい小屋が出来たらしい。確認に行こう。
 仏生を巻くと小屋が見えた。どうやらかつての楊子ヶ宿と同じところに建てたようだ。裏へ回ると「水」とペンキで書かれていた。ここから谷へ下りると水場があるようだ。
 時間も早いので、ここにザックを置いて空身で七面へ。七面の屹立した壁が見える。
 小さなピークを越えるとかつて幕営したことのあるp1693の手前の平坦地。バイケイソウが30cmほどの背丈で群生していた。

楊子ヶ宿復活 奥に水場へ下る道あり
七面山 七面山山頂

 
 七面へはこの目前のピークを越えるよりも西側を巻いたほうが楽そうだ。
 そう思って巻いたのはいいが、踏み跡らしきものもあるにはあったが、足元はやたら不安定だった。距離は短縮できたかも知れないがずいぶん緊張しながら歩いた。
 p1693から七面への吊尾根では、鹿が3頭駆け抜けていった。わずかな距離ではあったが、ここもなかなかいい道だった。

07:40 七面山東峰。
 かつて石楠花の時期に虎さんとご一緒した。
 ここの石楠花は数少ない経験だけれど、ほかに例を見ない。
 帰りは巻かずにp1693を登って下る。
 バイケイソウの群生に踏まれた一角があった。
 きっと朝一で会った単独のお兄さんがここで幕営したのだろう。

08:40 再び楊子ヶ宿。
 弥山小屋で泊まった人たちのパーティが続々とやってくる。大阪弁ではない人たちもいた。
 
09:30 再び仏生ヶ岳山頂
 楊子ヶ宿側から仏生へ闇雲に登って行くとガサガサと立ち木の間を抜けていくことになった。白浜から来たお兄さんと一緒になり山頂で歓談。

09:50
 さあ、いよいよ下りだ。
 間違わないように下りなければ。
 倒木と苔の世界をなんとか抜け、p1470からp1307へ。石楠花の尾根を抜ける。

ほぼ中央が孔雀への最後の急登 十郎山

 
10:55 p1307で一本。
 たしかに見覚えがある。同じ倒木で腰を下ろす。
 ここからの下りで迷いかけた。尾根が分岐している。
 「ええっ、どっちやったっけ?」
 頭が真っ白になってしまう。
 落ち着いてあたりを見回す。思いがけないところにテープがあった。やれやれ。

 あとは慎重に。
 僕の巻いたテープにも記憶があった。
 林道に下りる直前、谷を挟んで十郎山が見える。低山ながら端正な山頂部としっかりとした根張りの尾根は名山と言ってよかった。

11:45 下山。